2021年02月10日
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2021年02月08日
荘子 @
進
乎
技
矣
技よりも進めリ (荘子)
中国、戦国時代の魏国の話しである。
丁(てい) という庖(ほう〜料理人)が、恵王の前で牛を捌いた。
それを見た恵王は言った、
「ほ〜っ、これは見事だ!技≠極めるとは、こういうことか・・・」
その言葉に反応した丁は、
「これは、技で無く道≠ナす。」
そして、さらに、
「初めての時、ただ牛を眺めるだけの私でした。
三年経った頃、やっと牛の構造要点≠ェ見えた気がしました。
今では、心で牛の全体を捉えて、骨と肉の間のわずかな隙間に刃を入れ、
骨にも肉にも当てることはありません」
「・・・」
黙って聞き入る恵王に、丁は続けて、
「刃が毀れるのは、刀が骨や肉に当たるからで、
今では私は十九年間、研いだことがありません」
ここまで聞き終え、呪縛から解かれたかのような恵王は、
「う〜ん、なるほど!要するに無理≠しない、ということか」
そして、暫し恵王は沈思黙考の体で、
<人の道にも通じた極意を得た>との思いに浸るのだった。
※管見
「無理」:@道理の立たないこと。ー(この場合の用法)
A強いて行うこと。 ー(現在の主な用法)
⑶行い難いこと。 ー(現在の主な用法)
知識・技術よりも道≠説いた、丁もさることながら、
度量の豊かな、恵王に名状し難い敬服を覚える。
この逸話が日本に至り、「庖丁」(ほうてい)は「ホウチョウ」と読まれ、
「庖」の字は現代表記で「包」となり、「包丁」の語となった、といわれる。
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荀子 ➀
公は明を生じ、
偏は闇を生ず。
心を公平に保てば、世間のあらゆるコト(モノ)が自ずと明らかなり、
理解が容易となり深まってくる。
若し,愛憎や利害のために心が不公平になると、心の中が五里霧中の状況となり、
世の中の姿が正しく映らないから闇となる。
建築用語に「陸(ろく)」という言葉がある。
意は、水平・平坦である。
物質的には、床が微小に傾いただけで建具などに限らず他の部分に不具合が生じさせるが、
一方、精神的についても吐き気や眩暈などの健康障害の発症、即ち心の闇を生じさせるのだ。
これはまた、人間の微妙な感覚への影響による心身に素早く障害を及ぼすという反面、
機器と異なる人の心はその原因の判明に至るまでかなりの時間(期間)を要するという、
二律背反を物語ることなのだ。
建築界に止まらず、他のあらゆる分野でも然りである。
つまり、「陸」は正常・歪みのない姿やさまである。
人は五感を通して対象物を捉えて、意(心)に至り、脳で判断する。
その際、五感が傾いたり歪んだりしていたら、どうであろうか。
まともな社会では、到底通用しない言動をしてしまうことになる。
蛇足というか、下手の長談義になってしまうけど、
巷間、「ろくでなし」とか「ろくでない奴」などと言う。
この「ろく」に上記の「陸」を当て嵌め、打ち消しの「無し・無い」を付ければ、首肯できよう。