2021年04月04日

孟子 14

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        無
        知
     無   之
          
             

恥ずることなきを之れ恥ずれば、恥無し

無恥を恥じる心があれば、この人は恥ずべきことの無い人である。


<管 見>

 恥を知るとは、自らの誤った行いを恥ずかしがる心があることである。

孔子(BC552BC479)は、

「己を行うに恥あり」と、自分の行動について、恥とは?ということを弁えている「士」(学問・道徳を具えている人)の精神を大いに讃えている。

また、「恥を知るは勇に近し」とも言っている。

人が自らを恥ずかしがることは勇気が必要であり、恥を知ってこそ金銭の欲を抑えられ、困難に負けず、謙虚でいることができ、他人に対して思いやりを持って接することができるのだ。

孟子(BC372BC28)は、

「悪を恥じる心がないのは、人間でない」とも言っている。

孟子の「性善説」は、人は生まれつき、哀れむ心、恥じる心、謙虚の心、是非の心を持っており、これらは仁、義、礼、智の芽生えであるとし、

これら人類にしかない善の性は、禽獣や虫魚には備わっていない。

人は悪を恥じる心があるから、名利を前にして立派な節操が働くのだ。

 また、

「人は恥知らずではならず、恥知らずの恥こそ、恥知らずなり」との言もある。

即ち、人は恥をなくしてはならない、恥知らずという恥は本当の恥知らずである。


 自身の能力不足を素直に、そして躊躇わずに認めるという言動は容易なことではない。

人が自分の不足を恥と感じ、改正する勇気があれば、まだ救いがある。

* 恥そものの、意識が無い(恥を恥と思わない)

* 人の反応を勝手(自分に良いように)な解釈して、自慢にする。

 * 人の反応を勝手(故意な悪評と捉えて)な解釈して、反省せずに開き直る。

朱熹(11301200)は、

「人に恥じありて、為すべきでないことを為さない」と言っている。

人に恥じる心があったら、してはいけないことをしない。

恥を知れば、自ずと意志固く、貧富、得失、利益において取捨選択ができ、欲望に走らない。

そうでなければ、恥じる心がないとなんでもやりかねない。

呂坤(りょこん)15361618・明代の学者)は、

「五刑は一恥にかなわず」と言った。

即ち、如何なる厳罰でも、百姓(ひゃくせい)(人民)に恥を知ってもらうことに敵わない。

人に廉恥(れんち)(恥を知る心)を知ることは刑罰より大切で、道徳が高まることで恥を知れば、自ずと言動を弁えるのだという。

これは法を犯してから刑罰するより効率的である、というのだ。


ドストエフスキーの「罪と罰」では、(主人公の学生の理論と実践について)

➀理論(理想):罪悪(殺人など)は善行(社会貢献)によって償われる、とする勝手な立論。

➁実線(現実):目的とする殺人以外にも、殺人を犯してしまう、という実態。

B結果:@と➁のギャップに増長する一方、苦悩する主人公。

そのような中にあって、家族の為に献身的な自己犠牲に生きる女性を知り、自首する。

という人間回復の物語だが、これも真の善というものを知らない成長過程にある若者とはいえ、人としての勝手極まる恥ずべき行為だろう。

序でに記せば、

」は、会意形声文字で、心が柔らかくイジケルこと、また、恥じて耳が赤らめること。

大辞典(漢和辞典・昭和41年初版)によれば、会意文字で、(六書総要)《心は耳に従うとあり……、心が柔らかくイジケルこと》、という。

 「しゅう」は、恥じて心が縮まること。

 「()」は、恥ずかしくて心にシコリがあること。

 「(じょく)」は、柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。

 「(さく)」は、ドキッとして、顔色が変わること。

 何れにしても、外部から或いは自らの情報を素直な感覚で受け止めて、素直な心へと伝達するという互いに密接な関係にあり、自らの心を咎めることが肝要なのだろう。

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