2021年04月26日

0083

0083.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

洪自誠(菜根譚) ➀

Q洪自誠(菜根譚)➀_20210211 (2).jpg

                水
         境  
         無   
         聲
水流れて境(きょう)に声無く、喧(けん)に処して寂を見るの趣を得ん。
<注> 境:四境=四方の国境=周辺

大河は、漫漫としながらも周辺は音がしない。
その訳は、大きくて流れが緩やかだから、という。

<管 見>
確かに、悠然としたさまは大河なるが故であろう。
だが大河たる所以は、ただ視覚から受ける感性だけではない、と思う。

その視覚からの雄大さに比して聴覚で感ずる音の量は比例せず、
黙するが如くであることが、悠然さを一層のものとしているのだ。
それらの感覚が融合して(作者〜洪自誠の)琴線に触れ、大河の味わいを覚えたのだろう。

そこには、ただ見える形が幅広く長さ大なるという、横方向の面的な、というだけではないのだ。
だから、この場合の素因には、縦方向(立体的)である水面から下(底までの深さ)にこそ、その趣意があるのだ。
また敢えて付すなら、形の長大さと幽かともいえる音の組み合わせが、絶妙の味わいを醸し出していたのだろう。

つまり、「見えにくい」・「聞こえにくい」からこそ、心に深く沁みるのだ。
そして、そこに大義があるのだ。

人も然りだろう。

昨今、これ見よがしの音・色で溢れかえっている。
目も耳も、鈍くなってきたのは、あながち加齢の所為だけではあるまい。

そう言えば誰かが言っていたけど、あの婆さんの口から出るのは「話し声」ではなく、「騒音・雑音(おと)なんだよ!」と・・・。
それを聞いたときには、思わず声を出して笑ってしまったけど、蓋し「名言」だと感心した。
懐かしい話しになってしまったけど、あれから何年経ったろうか。

自粛すべき時なのに、益々騒がしくなる一方の世間。
感覚機能である「五感」だけでなく、人間性の要素だと言われる「知情意」までもが、麻痺されてしまう。
これはもう人間社会ではない状態である、と言わざるを得ない有様だ。
嘆かわしい限りである。


続きを読む
posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記