2021年05月14日
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2021年05月10日
十八史略 @
これは、秦の丞相・趙高の強弁だという。
<注> 趙高:宦官。始皇帝の死後権力を握り、遺言を書き換えるなど横暴ぶりを発揮した。
趙高は、秦の二代皇帝に末子の胡亥を強引に即位させて実権を握ると胡亥を傀儡化し、自らは裏で形ばかりの皇帝を操る黒幕となった。
そして、自らの権力ぶりを誇示するために皇帝の胡亥に「鹿」を献上して、
「これは、馬です」と言った。
皇帝は、不審に思い臣下たちを見たが、殆どの臣下は趙高を恐れて黙っているか、「馬」と答えた、というのだ。
<管 見>
愚生の経験からすると、全員が趙高に対して幇間のような者ばかりではなかった、と思う。
少なくとも、一人くらいは剛直・頑固者がいただろう。
何故なら、何時の世にも世間から変わり者、と言われる愚直を良しとする奴がいるのだ。
だから、そのような想定から、次記のようではなかったか?
@「馬です」と言った者。
➁「・・・」ただ黙っている者。
B「鹿です」と答えた者。
これら三者の答弁に分かれたのが、真相であろう。
@は、趙高に媚び諂う輩。
➁は、洞ヶ峠・日和見を決め込む輩。
Bは、事実をありのままに述べ、反骨精神を示した人。
Bの人たち(一人若しくは少数)は、即、殺害された。
その後も、事あるごとに賢者たちは次々と処刑された。
結果、始皇帝健在時には、豊富であった有能な人材も枯渇することになった.
趙高は恐怖政治を敷いたことと合わせ、大いに民から恨みを買うことになったのだ。
やがて、秦帝国は崩壊への道を辿ることになる。
本当は、「民」(弱者)ほどいざという時には強くて恐ろしい者はないのだ、ということを知るべきだ。
然し、それを知った時には、時すでに遅しなのである。
2021年05月09日
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2021年05月03日
洪自誠(菜根譚) ➁
また、病気をするとそれを機に我が身を大切にする心が芽生える。
したがって、どんな心配事もそれは喜びの因になるとも解釈できるだろう。
また、そのように理解するべきだ、というのだ。
人は、「順境」だと喜び,「逆境」だと悲しむ、というのが一般である。
然し、「禍福は糾える縄の如し」である。
従って、順境の場合は、有頂天になって手放しで喜ぶのではなく,次に備える心構えが肝心である。
また、逆境の場合には、「一陽来復」を訓言とし、諦めずに頑張ることが大切なのだ。
真人と言われる人は、喜びだとか悲しみだとかの区別を忘れている、いわれる。
つまり、微生物の世界も宇宙の世界も、陰・陽、正・負、調和・不調和などは僅かな現象なのだ、という。
だが人は、
「苦」の場合は、大きく・長くなど「負」を実際よりも重く。
「楽」の場合は、小さく・短くなど「正」を実際よりも軽く。
と、受け止めがちである。
だが、それは心身の健康状態とも相俟って、決して一様ではない。
それに、禍福は特別な人だけに訪れるものではない。
万人の人生に等しくやってくる「ごく当たり前のこと」という風に捉えるのが賢明なのだ。
さらに短見の歩を進めれば、
災厄は、人類の傲慢さに対する天命なのだ。
今、直面している難問題を克服しても、決して終わりは無いだろう。
何故なら、人の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という性がある限り永遠に続くからである。
それは、苦労して積み上げた石積みをいとも簡単に崩されるに等しく、反省と果たすべき努めを、際限なく繰り返し求めるものと、解すべきである。
ならば、継続した生のためには、「一病息災」をキーワードとして暮らすことだ。
人は、誰しも僅かの安らぎのために、日々の大半を費やすのを当然として生活している。
畢竟、少しの楽しみのために、多くの努めを惜しまないのが人生の嗜みだ、と思う。
苦い体験を経て経験と昇華した時、改めて「苦しみこそ人生の糧」だとしみじみ味わうことだろう。