2021年05月03日

洪自誠(菜根譚) ➁

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              病
          以
        保   可 

        身     

病は以て身を保つべし。

病気というものがあるがために、人々はとかく等閑(なおざり)がちな保健衛生に注意を向け、
心身の健康を保つことに留意するのだ、というのである。
要するに、物事は捉え方次第で大きく変わる、ということだ。

<管 見>
そういえば、確かに「過去」は変えることは、何人にも出来ない。
然し、その「過去」(結果)の捉え方次第で、「現在」「未来」への姿勢を変えることは可能だ。
つまり、捉え方次第で結果に大きな差が生ずる、という訳になる。
例えば、「逆境」に立たされた時、
@この「苦境」を自分への人生の課題だ、と捉えて努め励む者。
➁この「難局」には耐えられないと諦めて、背を向けて匙を投げだしてしまう者。
@の場合は、無限の可能性を秘めている。
➁の場合は、可能性は皆無であり、その結果同じことを繰り返すだけで、何も残らない。
その差は、天命によって生を受けた者として、
*全う⇒完全燃焼⇒満ちた人生
*放棄⇒不完全燃焼⇒虚しい人生
となる。

また、病気をするとそれを機に我が身を大切にする心が芽生える。

したがって、どんな心配事もそれは喜びの因になるとも解釈できるだろう。

また、そのように理解するべきだ、というのだ。

人は、「順境」だと喜び,「逆境」だと悲しむ、というのが一般である。


然し、「禍福は糾える縄の如し」である。

従って、順境の場合は、有頂天になって手放しで喜ぶのではなく,次に備える心構えが肝心である。

また、逆境の場合には、「一陽来復」を訓言とし、諦めずに頑張ることが大切なのだ。


真人と言われる人は、喜びだとか悲しみだとかの区別を忘れている、いわれる。

つまり、微生物の世界も宇宙の世界も、陰・陽、正・負、調和・不調和などは僅かな現象なのだ、という。

だが人は、

「苦」の場合は、大きく・長くなど「負」を実際よりも重く。

「楽」の場合は、小さく・短くなど「正」を実際よりも軽く。

と、受け止めがちである。

だが、それは心身の健康状態とも相俟って、決して一様ではない。


それに、禍福は特別な人だけに訪れるものではない。

万人の人生に等しくやってくる「ごく当たり前のこと」という風に捉えるのが賢明なのだ。


さらに短見の歩を進めれば、

災厄は、人類の傲慢さに対する天命なのだ。

今、直面している難問題を克服しても、決して終わりは無いだろう。

何故なら、人の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という性がある限り永遠に続くからである。

それは、苦労して積み上げた石積みをいとも簡単に崩されるに等しく、反省と果たすべき努めを、際限なく繰り返し求めるものと、解すべきである。


ならば、継続した生のためには、「一病息災」をキーワードとして暮らすことだ。


人は、誰しも僅かの安らぎのために、日々の大半を費やすのを当然として生活している。

畢竟、少しの楽しみのために、多くの努めを惜しまないのが人生の嗜みだ、と思う。


苦い体験を経て経験と昇華した時、改めて「苦しみこそ人生の糧」だとしみじみ味わうことだろう。



posted by 頑輝 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

0090 憲法記念日

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