2021年06月30日
2021年06月29日
2021年06月28日
淮南子 A
<管 見>
本来コトを行うのは、誰かのためにとか何かを期待して為す、というのではないのだ。
自ら発した因の基に努め、是非は兎も角その果は己の責であるのだ。
従って、因果律は自律のもとに努めるのは、極、当たり前のことなのである。
古代において天子が政治を執り行うに、下に仕えし者は各々のあり方で諫言した、という。
*三公九卿(最高位の三人の官職とその下での実務者の九人)は、
諫争(争ってまで諫めた)して直に正し、
*博士(学問・技術専門の官職・称号)は詩(学・技の全般)を誦(読誦・暗誦)し、
*楽官(音楽を司る官職)は箴(戒めを)し、
*師官(技芸の官職)は誦し(詩歌などを唱える)、
*庶人(一般大衆)は語を伝え(伝承)し、
*史官(歴史官)はその過失を書(書物を著す)し、
*家宰(家長に代わって取り仕切る者)は、道理に反する場合は膳(食事)を取り下げる、
などしてそれとなく諫めた。
それでも古代の聖王は足らぬとした。(さらに諫言を求めた)
堯・舜・成湯・文王・武王などは、僅かばかりの過失にさえも備えを怠ることはなかった、という。
そもそも聖人であれば、己以外の善ならどんなに小さくとも必ず讃え、自身に過失があれば如何に微小であっても必ず改めるものであろう、ともいうのだ。
堯・舜・禹・成湯・文・武の諸王は、皆な天下に裏表の無い人として君主の座に在った。
その在り方は、
*王者の禮たる食時の太鼓、食終の奏楽を欠かすことなく(天・神に対する礼?)、
*食後には竃(かまど)を祭って恩恵に感謝し(天・神・大自然に対する礼?)、
*事を断ずるに祈ることなく(自己責任において物事を決定・裁断し、天・神に責任転嫁せず)、
などを天・神から与えられた当然の職務としていたから、
それ故に、
*鬼神は祟らず
*山川は禍を及ぼさず、
だったのであり、まさに高潔の極みと言える。
このような状況にあっても常に過ちが起こることをを恐れて、常日頃から己自身を反省することを怠るようなことはなかった。
このように聖人と言われる人を観てみれば、聖人の心というものはなんと小さなものであろうか。
(これは、侮りの言葉ではなく、心から崇め奉る言葉なのだ)
「詩経」に、
維れ此の文王、小心翼翼たり、昭(あきら)かに上帝に事(つか)へ、ここに多福を懐(いだ)く、と。
これはこのような聖人の姿を讃えたのであろう。
聖人は、決断を下して実行する時の言動は大胆だが、その前の段階では「小心翼翼」(臆病者)と言われるほど熟慮に熟慮を重ね、慎重に事を運ぶ過程を疎かにしないものなのだ。
つまり、「胆大心小(度胸は大きく、注意は細かく)」である。
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荘子 8
これを言い換えれば、
* 罔両と影が、互いに各々自身の主体性の無さを嘆いている。
* その罔両や影が、彼らの主として付き従っている形(人間の肉体)の主体性のなさをも疑い、異を唱えている。
* また彼らの主である筈の、形(人間の肉体)自身も何かに支配されている。
* さらに、その行動をコントロールしている、精神までも何かに管理されている。
ということになる。
つまり、森羅万象は、間違いなく存在している、と思っていたが、実体がないのだ、という。
翻って、これまでの我が人生を振り返ってみると、己の心身だけを以て世を渡ってきたつもりでいた。
だけど今回の「至言」に触れ、「五蘊皆空」・「一切空」などと併せて沁み沁み味わうと、夜郎自大的な傲慢さと相俟ってつくづく己の愚かさを思い知ることとなった。
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荘子 7
立って教えることもしなければ、議席にすわって議論することもしない。
それでいて、教えられるところが、限りなくある。
それこそが、真の教育者というものである、というのである。
<管 見>
愚生自身に限ってのことであるが、思い出の中に心から「師」と仰いだ方たちを大別すれば、
@ 教員免許を有する、所謂学校に奉職する人たち。
A 上記以外の全ての人たち。
になるが、数・質ともに圧倒的に➁の方が多い。
それは時間的な長さでみれば、学校における在籍期間よりも、(広義での)社会生活は長いことは当然ではある。
けれども、決して期間の長短だけのことだけではない。
そこで、別の角度から考えてみると、
A(幼児期の情操に深い影響を与えてくれた)祖父母をはじめ近親。
B(遊びを通して成長させてくれた)幼い頃の先輩や幼友達。
C(事の良し悪しを教えてくれた)知人や見知らぬ大人たち。
による教え・導きなどを考える時、
人の成長は、性善説でいう四端(仁・義・礼・智の芽生え)に絡んで説かれる<幼児と井戸の話し>にみられるように、Aの関わり合い(特に年少時)も然る事ながら(親離れしてからの生長期間の長さと広さからだけでなく)当然B、Cによる影響は格段に深くて大きい、といえる。
さて、
そこで、数・質共少ない@のケースの中にあって、敢えてAをも含めても生涯忘れることのできない「師」の中の「師」である人との出会いがあった。
その出会いは、その後の人生にとってもとても貴重な財産となった。
その天恵ともいえる巡り合わせから現在までも、ずっと思い続けている「師」のことを記してみたい。
その「師」とは、「窪田先生」(石川県七尾市出身)のことである。
述べれば長くなるので、詳細は端折るけれど、今回の「至言」にピッタリの「師」であった。
先生からは、教訓染みた言動を受けたことは一度も無かった。
年齢的に近かったせいもあってか、兄貴のような存在だった。
それでいて、八十路になった現在も我が心の「師」として、深く心の襞に刻まれているのである。
駑馬の呟きになるが、二十代から今日(八十路)まで心の「師」に一歩でも近づきたくて努めてきたけれど、到底及ばぬままでいる。
畢竟、今にして「窪田先生」に導かれ、そして得たことは、
「学び・学ぶ」ということは、
@ 「知識・技術」より以前に大切なものの薫陶を「師」から受ける。「麻中の蓬」
けれど、
A 「知識・技術」は「師」に頼らず独学(自助努力)を以て成す。
「学問に王道無し」・「眼光紙背に徹す」・「読書百遍義自ずから見る」
それと、
「百川学海」:
〚全ての川は海を目指して流れ続け、やがては海に辿り着く。
つまり、どんな人であっても絶えず学び続ければ、何時かは大道を知ることが出来る〛であった。
<注>
百川:全ての川=何人も・誰でも
学海:目標・目的=大道=根本の道理
先生には、在学中も卒業後も一度も感謝の言葉を表したことは無かった。
今、この年になって悔やんでも悔やみきれない。
これも、愚生にとっては自業自縛の一つとして、受け止めねばなるまい。