2021年06月28日
淮南子 A
<管 見>
本来コトを行うのは、誰かのためにとか何かを期待して為す、というのではないのだ。
自ら発した因の基に努め、是非は兎も角その果は己の責であるのだ。
従って、因果律は自律のもとに努めるのは、極、当たり前のことなのである。
古代において天子が政治を執り行うに、下に仕えし者は各々のあり方で諫言した、という。
*三公九卿(最高位の三人の官職とその下での実務者の九人)は、
諫争(争ってまで諫めた)して直に正し、
*博士(学問・技術専門の官職・称号)は詩(学・技の全般)を誦(読誦・暗誦)し、
*楽官(音楽を司る官職)は箴(戒めを)し、
*師官(技芸の官職)は誦し(詩歌などを唱える)、
*庶人(一般大衆)は語を伝え(伝承)し、
*史官(歴史官)はその過失を書(書物を著す)し、
*家宰(家長に代わって取り仕切る者)は、道理に反する場合は膳(食事)を取り下げる、
などしてそれとなく諫めた。
それでも古代の聖王は足らぬとした。(さらに諫言を求めた)
堯・舜・成湯・文王・武王などは、僅かばかりの過失にさえも備えを怠ることはなかった、という。
そもそも聖人であれば、己以外の善ならどんなに小さくとも必ず讃え、自身に過失があれば如何に微小であっても必ず改めるものであろう、ともいうのだ。
堯・舜・禹・成湯・文・武の諸王は、皆な天下に裏表の無い人として君主の座に在った。
その在り方は、
*王者の禮たる食時の太鼓、食終の奏楽を欠かすことなく(天・神に対する礼?)、
*食後には竃(かまど)を祭って恩恵に感謝し(天・神・大自然に対する礼?)、
*事を断ずるに祈ることなく(自己責任において物事を決定・裁断し、天・神に責任転嫁せず)、
などを天・神から与えられた当然の職務としていたから、
それ故に、
*鬼神は祟らず
*山川は禍を及ぼさず、
だったのであり、まさに高潔の極みと言える。
このような状況にあっても常に過ちが起こることをを恐れて、常日頃から己自身を反省することを怠るようなことはなかった。
このように聖人と言われる人を観てみれば、聖人の心というものはなんと小さなものであろうか。
(これは、侮りの言葉ではなく、心から崇め奉る言葉なのだ)
「詩経」に、
維れ此の文王、小心翼翼たり、昭(あきら)かに上帝に事(つか)へ、ここに多福を懐(いだ)く、と。
これはこのような聖人の姿を讃えたのであろう。
聖人は、決断を下して実行する時の言動は大胆だが、その前の段階では「小心翼翼」(臆病者)と言われるほど熟慮に熟慮を重ね、慎重に事を運ぶ過程を疎かにしないものなのだ。
つまり、「胆大心小(度胸は大きく、注意は細かく)」である。
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