2021年09月27日

0052

0052.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

唐 太宗 A

40唐 太宗_➁20210606 (14).jpg

            疾
         知   
      勁     風
      草

さらに、板蕩識誠臣。と続く。

疾風に勁草を知り、板蕩に誠臣を識る。


<注>勁草:強い草。転じて、節操の固いたとえ。   板蕩:乱世。 (出典:詩経)

激しい風に周囲の草が倒れ伏した時になって、強い草のあるのを知る。

乱世になって、節操を守る臣下のいるのを知る。


<管 見>

厳しい風雪に殆どの草が薙ぎ倒されている中に、凛として耐える草の姿には決して生来の強さだけでなく、守るべきものを必死になって努めている精神をもが感じられ、普段は気付かなかった草だけれど、改めてその貴重な存在を知らされた。


同様に、平和な時には目立たないけれど、世が乱れた時には、

*形勢の優勢な方に鞍替えをしたり、

*さも以前からであるが如きの忠義面をして、加担したり、

*筒井順慶のように日和見的な、洞ヶ峠を決め込んだり、

する中で、普段は媚び諂いなどしない地味な鋼のようだが、終始一貫して忠誠を守る頼もしき義士の存在を、その時になって知ることになるのだ。


これは、史上稀にみる明君として名高い、唐の二代皇帝太宗の詩の前半である。

また、太宗と臣下との問答集で有名な「貞観政要」は帝王学の教範として世に知られ、今以て、(広義の意での)学びの教本の最高ランクに値し、愚生も若い頃から現在も尚、鑑と仰ぎみる書である。


今回、「至言」として取り上げたのは、臣下である䔥瑀(しょうう)に与えたものである。

隋に仕えていた䔥瑀を、隋の滅亡後に太宗は見込んで招いた有能な人材で、宰相など要職を歴任し、諸制度を創立に尽くし大いに功績を上げた、功臣なのだ。

然し、何といっても頑固一徹な性格なため、周りから好かれていなかった。


一般的には、

➀ 孤立している䔥瑀

➁ 多勢な先君(唐の創立時)からの臣下

を比較したならば、@を説諭することの方だ、と考えるのが通例だろう。

ところが、そのような言動をしないのが、太宗の偉大なのである。


太宗は、敢えて我が国で例えれば、人口に膾炙する「大岡裁き」のような捌きを行ったのである。

*前半の「疾風〜」では、前記@の䔥瑀の気骨を讃えると共に、Aの臣下たちをそれとなく説き聞かせながら牽制している。

それに対して、

*後半の「勇夫安識義、智者必懐仁」(勇夫安んぞ義を知らんや、智者は必ず仁を懐く)では、

厳格な責め過ぎを心せよ≠ニ、これまた、(@の)䔥瑀に対して諭しながら間接的に抑制することで、一方の(➁の)臣下の言い分も立てて面目が保てる配慮もしている。


名臣・諫臣で知られる魏(同じく太宗に仕えた)は、この詩を聴いて、

「䔥瑀(しょうう)は法を守ろうとして周囲と対立し、その節を曲げまいと孤立している。然し、太宗はそれを忠義として、また勁草に譬えて庇っておられる。このような明君との運命(出逢い・巡り合わせ)がなければ、䔥瑀は危険な目に遭っていたに違いない」

と、感想をもらしている。


この魏徴の言葉を補足すれば、太宗の機知に富んだ裁量がなければ、@・A両者の対立は解けないばかりか、剰え、後に中央〜北東アジア(日本まで)席巻した世界的大帝国の唐王朝にも負の影響を与えてしまい、その栄光の実現が成らなかったかもしれない?と思うのだが、如何だろうか。


「千丈の堤も蟻穴より崩るる」の故事成語ではないが、些細なことにも配慮を欠かさない心掛けが肝要であることを、今回も(太宗の)「至言」で学ぶことができた。有り難いことである。



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記