2021年10月31日
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2021年10月26日
2021年10月25日
孔子(論語・學而) @
過ちては則ち改むるに憚かること勿かれ。
過ちを犯したと気づいたら、自分の立場・面目とか他人の目など気にせず、躊躇わず、即改めるべきだ、ということ。
この箴言(上記の言葉)は、「優れた人物の本来あるべき姿」について説いたもので、
➀ 如何なる場合でも、毅然とした心体であること
➁ 学問に励み、常に柔軟な心身を保つこと
B 何人・何事にも誠実であること
C 友だちとすべき者のこと
の項目に続いて、挙げられている。
<管 見>
「失敗は成功の母」とか「失敗は成功のもと」という格言がある。
失策・落ち度・躓きは、誰にでもある。
ところが、その後に現れる岐路の選択次第で、大きな差が生じるのである。
失敗した後の行為(心・意思を基とした行い)を二つのタイプで考えてみると、
*利己的な者
・体面(面目)に捉われ、取り繕うことに終始。
・弁解(言い訳)。
・責任転嫁。
・喉元過ぎれば熱さを忘れる=B
・虚飾。
・詭弁を弄する。
・開き直る。
例:轢き逃げ・トカゲの尻尾切り・頬被り・謝罪しいない女性アナウンサー……
*利他的な者
・外連味が無い(繕わない)。
・自認。
・脚下照顧。
・他を慮る。
・体験⇒経験⇒財産。
・人生の糧として、今後に活用する。
例:謝罪しいない女性アナウンサーに成り代わって、謝罪する男性アナウンサー……
2021年10月24日
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2021年10月19日
2021年10月18日
大雅(詩経) @
他人の忠告は、虚心に傾聴せよ、ということだ。
※「芻蕘」(すうじょう):草刈る人と樵、つまり、この場合は賤しい身分の者たち。
これは、『詩経』の中の「大雅」(周王朝の儀式の歌)で、この句を含めた全般の意を記せば、
私と君は職務は違っているが、共に同僚ではないか。そのような間柄の私との話し合いなのに、君はただ煩わしそうな素振りをするばかり。この重大な問題を軽く笑ってあしらうつもりか
<管 見>
血縁関係とか心友・親友のような、ごく近しい関係は別として、
例えば、
*己よりも目下・若年
*それほど親しくない相手
などであっても、
少しでも頷くことがあるなら、真心から諫める言葉だと解釈して、素直な心で耳を傾けて一心(集中して)に聞け、ということだ。
けれど、話し合いとは単独では成立しない。
少なくとも「話し手」と「聞き手」という最小限の相手が無くては成り立たない。
また、「話し手」としての立場と「聞き手」としての立場では、思いや考えが色々な意味でそれぞれ異なる。
何れの場合でも大切なことは、
*相手の立場になって「話す」・「聞(聴)く」こと。
*間柄の親疎や風采(姿・形・肩書・能力・など)によって、無意識のうちに使い分けをしていないか?
・親(既知)・スペック(風采〜自己宣伝・風説の場合が多い)が低い〜傾聴に欠ける
・疎(未知)・スペック(風采〜自己宣伝・風説の場合が多い)が高い〜傾聴する
などの偏見を分別・内省。
事と次第によって、人は多面的に対応する。
自分が「話し手」の場合があるだろうし、「聞き手」の場合もある。
何れにしても、気持ちの持ち方次第でその果に大きな差が生ずる。
どのみち話し合いをするなら、確り(集中して)「話す」・「聞(聴)く」ことは得ることはあっても、失うことは無い。
それが、日々の暮らしを意義深い生活にするのだ。
そして、それらがいつの間にか累積して、結果として充ちた生涯となるのだろう。