2021年10月04日
曹松 @
一
萬 將
骨 功
枯 成
一将成りて万骨枯る。
露頭岩や氷山の頂点を支えているのは、見えない・隠れた大部分であることは自明の理である。
それと同様に、顕在する一人の成功者の陰には、多くの犠牲者や身を捨てて献身する者の存在が、潜在している事を表現している句なのである。
<管 見>
618年、李淵が隋を滅ぼして建国した唐王朝も、857年から始まった黄巣の軍による10年にわたる反乱だったが、879年に将軍高駢(こうべん)は淮南でこれを討ち破った。
この功績によって、高駢は封賞を受けた。
曹松は、このことを踏まえてこの詩にしたのだ、といわれる。
さらに、冒頭の句の他の部分を記せば、
沢國江山入戦図、生民何計楽樵蘇。
慿君莫話封侯事、<一将功成万骨枯>
沢国の江山戦図に入る、生民何の計あってか樵蘇を楽しまん。
(水郷である淮南地方の山川はすべて戦場と化し、人民は最早日常の生活を楽しむ術を失ってしまった、つまり、戦いとは、多くの民の犠牲が伴うのだ)
君に願う 語る莫れ封侯のことを、・・・。
(お願いだから、誰それが王侯に封ぜられたなどという話はしないで貰いたい。ひとりの将軍の戦功は、無数の兵卒の死の上に成り立っているのだから)。
だからせめて代表者に望むことは、あなたの名利の陰には無位・無冠・無名の身でありながら、それでも為すことを使命として努めている多くの人々を踏み台として成り立っているのだ≠ニいうことを決して忘れてはならない、いうことだ。
尤も、このようなことを願っても、上からしか物事を眺めてこなかった彼らの心には、遥かな彼方から聞こえる遠吠えの効果さえないことだろう。
そう思うと、これ以上記す気が失せてしまった。