2021年10月11日
陸游 @
至論 本 求む 編簡の上、
(至論:至極もっともな、道理にかなった論・素晴らしい論。
編簡:竹簡・木簡を綴ったものを策・冊と言い、これが書籍の起源。即ち、知識人.
忠言 乃ち在り 里閭の間。
(忠言:忠告・真心から諫める言葉。
里閭:村里のこと。即ち、庶民。
<管 見>
理に適った理論やそれに基づく判断、そして実行は、インテリぶった知識人よりも、むしろ日々一般の生活をしている民衆の中に求められるものだ、ということ。
何故なら、例えば、政治は上流の一部の特権階級のものではなく、国全体の大半を占める、ピラミッドの底辺に位置し最も低い生活を強いられている大衆のためにされなければ、本来の意を為さないからだ。
八十四歳の時に故郷に引退していた陸游(りくゆう)は、農家のお爺さんと語り合う内に自らを反省させられ、「愧(は)じを識(し)るし」た、という律詩(漢詩形の一つで、八句から成る)を作った。
その第二連にあたる部分である。注:八句から連なる律詩の中の、第二句目。
陸游は、病の身を故郷で養生していた時に、日々農民や樵たちと交わって暮らしていた。
そのような生活の中で、つくづく感じたり反省の気持ちが湧いてきた、という。
それは、これまで国政に関して優れた考えや意見というものを、書物の中ばかりに求めていた。
だが、何気ない村人との飾らぬ素朴な会話に、その誠実な意見を聞いてその中にこそ政治の心髄があることを気付かされたのだろう。
「あの傲慢な夷狄(野蛮人の意。この場合、金(女真族1,115年に建てた王朝)のことが心配で、なんとかこのお国の為に尽くしたいと思う度に、泣けて仕方がありません」と、彼らは言う。
政府から何ら施しを貰ってもいないのに、国を思っての心情を吐露するのだ。
日頃上流階級からは、何かというと無知無能と蔑まれている農民たちだが、このように人としての高潔な見解・意中を懐いて暮らしていることを、中央にいたら知ることはなかったであろう。
「それに比べて、何もせずに年金を頂戴している今の自分が恥ずかしい」と、陸游は省慮するのである。
それは、村里での村人たちが鏡となり、鑑となって大いに学んだ、という気持ちからであろう。
政治家として、中央にいただけでは目覚めることはなかったろう、の思いが禁じ得なかった。
これを各界を操る人たちに照らして批判するのは容易なことだが、それをする気にはなれない。
何故なら、自省しない心に妙薬を投与しても、拒絶反応を示すことが明白だからだ。