2021年11月15日

0009 七五三

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孔子(論語・八佾) C

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     既   遂
     徃   事
     不   不
     咎   諌

遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎めず。

<起きた事は語るまい、遂げられた事は止めまい、過去の過ちは咎めまい。>


<管 見>

人の過去にどのような過ちがあろうとも、何時までもそのことを咎めだてすることはよくない、と孔子は説いているのだ。


「できてしまったことを、あれこれ言うのではない」

「やってしまった事を、ああすれば・こうすれば良かったなどと言うんじゃない」

さらに、

「これは、他人に対してだけではない」

「自分自身の過去にくよくよするのも、何の足しにもならない」

と、解き明かしている。


ただ、

喉元過ぎれば熱さを忘れる≠ナあっては、所謂、性懲りもなくの無反省では、現状維持どころか頽廃に向かうばかりである。

この言葉には、

<ところで、この失敗をこの先の人生にどのように役立てようか>

という思案(深く考えて工夫をめぐらす)するという、今後の成長を目指す前向きで積極的な姿勢が隠されているのだ。


だから、折角の成長の糧となる失敗という貴重な体験を、確り噛みしめることが肝要なのである。

過ちを生かすも殺すも、己れ次第なのだ。


この世では、永遠不変なコト・モノはあり得ない。

諸行(この世の全てのモノ)は、無常(常に変化してとどまることは無い)である。


それ故、人生行路の歩みの先には、常に岐路が現れ、選択を迫られる。

その時に、発作的・衝動的判断のもとに行動して過ちを重ねないことが必要になるだろう。


いざ岐路に立った際に正しい選択するには、

  判断する自身が陸(正しい心)でなければならない。

  その鑑(手本)は、経験である。

経験は、過去の体験から生まれる。

但し、苦い体験だけで終わらせずに、十分に味わい咀嚼の上、自身の意見を沁み込ませておくことが大切なことで、失敗体験+心念⇒経験にして心底に保存して置く。

そして、いざという時に判断材料として活用する。


その積み重ねが、成長という形につながるのである。





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