2021年11月22日

0016 小雪

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孔子(論語・里仁) D

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      知  觀
      仁  過
      矣  斯

過ちを観て、斯に仁を知る。

過ちは避け難い。

その過ちにも、

  情けがあり過ぎて犯す場合

  情け知らずの場合

とがある。

その過ちの仕方(行為・方法)の有り様によって、その人の真の姿が解る、というのだ。


<管 見>

八十年に及んだ人生を顧みると、確かに過ちというものは避け難いものである。

何故なら、この世の人は、等しく生かされている身であり、己れの才覚には限りがあるからだ。

ならば、その過ちを活かすことにするのが賢明、というものだろう。


ということで、その観点から考えてみたい。

そこで、知者(知識人)と仁者(徳・情・慈悲のある人・博愛者)との違いを考えてみると、

  知者〜主義主張(特に利益の確保)を同じくする者同士の結束は固く、互いの便宜は図るが、諫言はせず馴れ合いの関係。

  仁者〜主義主張の枠に囚われず、決して徒党を組むことはせず、要用(差し迫って要する場合)は敢えて怯まずに諫言を行う。

となる。

但し、「仁者」でも過ちを犯すことがある。

然し、その場合言い訳をせず、速やかに謝罪し改める。


躊躇わずに、それが出来るのが「仁者」なのだ。


愚生の素な姿はどうだろうか?

顧みても判然とせず、甚だ心許無い。


だが敢えて記せば、どちらでも無く中途半端な放浪人生だった、

というのが的を射ているのだろう。




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