下問を恥じず。
自分より年齢や地位が低い者に質問したり、教えを請うことを恥じてはならない。
<管 見>
分からないことがあったら、外連味の無い素直な心をもって聞く姿勢が大切だ、というのだ。
人は、年長・履歴・地位などにより、夏炉冬扇の如しプライドに拘ってしまったが故に、かえってその人の軽さや卑賎さを露呈させてしてしまう場合がある。
また逆に、人としての深み・人品の高潔さ・勤勉さに心を奪われてしまうこともある。
今から六十余年も前のことを記してみたい。
それは、愚生が中学時代だった時のことである。
「理科(物理)」の時間だった。
その先生(吉川?)は担任ではなく、教えを受けたのも短期間であった。
先生の印象は、痩せ型で縁なしの眼鏡をかけた、見るからに神経質そうな方であった。
柔和な感じとは縁遠い、所謂、取っ付き難い先生だったように記憶している。
ある時、質問した。
すると、暫く教科書を見たり考えたりしていた先生は、
「悪いけど、自習時間にします」
それから続いて、
「教員室へ行って調べて来るから…」と言って出て行ってしまった。
先生が戻ってきたのは、授業時間直前だった。
「調べたけど自信がもてないので、僕の宿題にくれるかい?」
と言った先生は、ペコリと頭を下げて、
「次回までには、自信をもって答えられるようにするから…」
と、済まなそうに言うと去って行った。
愚生は当時を回想する時、何時でも(子供心に)その潔い言動に爽やかさを感ずるのだ。
(質問内容や回答・解答については、記憶を辿れども蘇ることは無い)
ただ後年、この至言を学んだ折り、即座にこのシーンと吉川先生の貌(振舞い)が鮮やかに浮かぶと同時に、自身の未熟さを思い知らされた思いが強く湧き上がるのである。
自身が人を評価したり判断する時、
@ 正味がほぼ風体と一致する場合。
A 正味と風体の相違を感ずる場合。
がある。
今思えば、第一印象で吉川先生に対してAであった、と思ったのは先生の外見(クールそうな態度)から中身(非情・無情…)を判断してしまったのだ。
これは、愚生の見る目の無さが招いた大変な間違いであって、先生の誠実さや能力の高さについてはここで改めて述べるまでも無く、上記の質疑の様子で明らかであるからこれ以上は記さないことにする。