2021年12月06日
孔子(論語・雍也〜子游曰) F
行
不
由
徑
行くに径に由らず。
<注>雍也(ようや):人の上に立って指揮ができる人物
大道を真っ直ぐに進むのが良いのだ。
それは、一見すると回り道に見えても、平らで正しいのだ。
これに反して、見るからに変化に富んだ魅力ある近道だと思えても、そのような小道はやがて行き詰まる、という。
<管 見>
子游(孔子の弟子)が武城(魯国)の長官になった。
そこで、孔子は子游を訪ねた。
孔子は言った、
「お前は有能な人材を見つけたか。」
子游が答えた。
「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。
彼は(澹台滅明)、道を行くときは近道をしません。
それに、公用がないときは、私の家の部屋に来たことはありません。」
この時代には、
「役人という者は、常に天下の公道を歩むべきであって、間道をこそこそ歩むな」
と、定められていた。
つまり、万民に仕えるつもりで常に公明正大を旨として、私利私欲を満たすために抜け道を探し求め、歩むことにつとめるようなことがあってはならない、というのだろう。
また、用もないのにやたら上役の部屋に行くのも好ましくない、とされていた。
これを言い換えれば、公用以外にわざわざ上司を訪ねるというのは、媚び諂いなどの邪な思惑があるからに違いない、のだ。
自分の仕事に専念していれば、そのような必要はない。
また、そんな暇はない。
序でに記せば、
澹台滅明は醜男であった。
そこで孔子は、外見から判断して才能を低く見ていた、という。
だが、彼は、後に三百人からの弟子を持つほどの人物になったのだ。
後にそれを知った孔子は、己の判断の過ちを悔いた、といわれる。
従って、孔子よりも子游の方が人物鑑定が上だったことになる。
上に立つ者ほど、日々の研鑽が必要であり、大切なのだ。