2022年01月14日

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2022年01月13日

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2022年01月12日

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2022年01月11日

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2022年01月10日

0065 成人の日

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孔子(論語・述而) K

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       楽
       以
       忘
       憂

楽しみを以て憂えを忘れる。


人によって辛苦の多寡には差があろうとしても、皆無の人はおそらくいないであろう。


だから、人生に在っては「道」を楽しみ、憂いを忘れる「余裕」と「趣味」をもつことだ、と孔子が自身の体験から説いた、のだ。


<管 見>

<>

 道: *人道、仁義……。

*道理。

*働き、手段。

*学問、技芸……

趣味:*専門(学者・職業……)としてではなく、味わいを楽しみ・愛好する者。

   例:文学・書・絵画……。

余裕:*形而下。

    肉体的・物質的な意として…

   *精神的・形而上…。

    時間・空間を超越した抽象的・理念的…

孔子は弟子に、

「辛苦の多い世の中の状態と考えると食事のことも忘れてしまい、また、逆に楽しみごとに熱中すると心配事も吹っ飛んでしまう。そして、老い先の短いことも忘れてしまうような、そんな男が私なんだよ」

と語った、という。


そこには、聖人と言われる近寄り難い孔子の姿ではなく、並の人間の親しみを感じてしまう。

だからこそ凡人は、知徳の高み・深みなどを感じて仰ぎ見るのであろう。

下がるほど 人が見上げる 藤の花=E実るほど 頭の垂るる 稲穂かな≠ネのか…。


愚生の場合は、孔子ほどには勿論到底及ばぬので、

l  義憤を感じて憤りを覚える時には、食事をすることは忘れないが、味は砂を噛むようであることは間違いない。

l  一方、楽しむときでも心配事が気になり、晴れやかな気分にはなれず、熱中できない。

だから、どっちもどっちの中途半端な状態で、凡人の域からは脱し切れずの身なのだ。


だけど、齢を重ねることで身を以て知ることの一つに、時の過ぎる速さがある。

まさに、白駒の隙を過ぐるが如し∞光陰矢の如し≠フ箴言が針のように胸を刺す。

そうすると、止まる事の無い今の時の大切さが、深く沁みてくるのである。


また「食事」を心身に入り込む広義でのモノとすれば、単なる食べ物に限定することは出来ない。

それは、自らの好む・好まざるに拘わらず、心身に(好悪の)影響を及ばすことになる。


だとすれば、短い余生を楽しみを以て憂えを忘れる≠スめには、

l  学問・技芸に勤しみ、

l  それを楽しみ、

l  心に反映させる。

ように、日々努めることと、受け止めたい。



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2022年01月09日

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2022年01月08日

0063

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2022年01月07日

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2022年01月06日

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2022年01月05日

0060 小寒

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赤城町_石仏I

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2022年01月04日

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2022年01月03日

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孔子(述而) J

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       臨
       事
       而
       懼

事に臨んで懼る。


大事に直面しては、むしろ戦戦兢兢として身を慎むべきだ、という。

これは、決して臆病ではない、と断言している。


<管 見>

人生においては、折々選択・決断を迫られる。

その場合、

* 一時逃れ

* その場凌ぎ

* 匙を投げる

* 八方美人

* 頬被り

* 丸投げ

…などの無責任な言動は、何時かまた己に還ってくるのだ。


何事もまめ(忠実)に処理することに努め、未処理・未解決・未決定などを溜め込まないことだ。

心の内をゴミ屋敷状態にしたり、胸中の庭を雑草で埋もれさせるようであってはならない。

その時の処理方法も問題で、除草剤などの使用や業者など他人に依頼したりせずに、自らの力を以て、マメに手間をかけることが肝要だ。


最近、よく見聞きする断・捨・離≠ニいう言葉がある。

「断」は、入ってくる不要なモノを断つこと。

「捨」は、既にあるガラクタを捨てること。

「離」は、モノへの執着から離れる。

これは、物質的なことより、先ず精神的な健康状態のために断・捨・離≠ェ望まれるのだ。


さて余談はさておき、事に当たっての姿勢についての今回の「至言」に触れたい。

前後の句を記すと、

子曰、

暴虎馮河、死而無悔者、

吾不與也。

必也臨事而懼、好謀而成者也。

で、現代語訳は、

〚「若し、軍の総大将となった場合、誰を副官に選びますか?」子路の問いに〛孔子は、

「暴虎馮河のような者は任命しない。

注意深く、成功率の高い綿密な計画を立てる人物を任命するだろう。」

と答えた、という。


思慮深い、慎重な人物というのは、一朝一夕では出来上がるものではない。

日頃から怠らぬ学習・体験⇒経験が、<いざっ>という時に役立つのだ。


前にも触れたが、平時には<如何にも…>といった風情を装う者が、非常時には背を向け遠ざかり平然としている輩の姿勢を、これまで数多く味わってきた。

㋑ 苦難を敢えて受け、自ら苦汁味わう者。(他人事でも自分のことのように心を配る者)

㋺ 苦難を極度に避け、他人に苦汁を味あわせる者。(己の事でも他人事のことのように振舞い、他者に丸投げした上、収まれば己の手柄にする輩)


これまでの経験からすれば、名利に拘る者ほど、この世では㋑よりも㋺の方が断然多い。

何故なら、上記㋺の殆どの輩は、常識的・道徳的に基づけば、当然あるはずの屈託(気にかけての心配り)・躊躇い・恥じらい、と

いった感情が見受けられず、平然として憚らない(恐縮・遠慮がない)からである。


それは愚生のような、この世の底辺を徘徊してきた者のみが知ることでもあるようだ。

 

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2022年01月02日

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2022年01月01日

0056 元旦

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