2022年02月28日
孟子 9
旨酒を悪んで、善言を好む。
「禹王」は美酒を退けて、好んで人から善言を聴き、そして、それを用いた。
「儀狄酒を作る。禹は飲んで之を甘しとして曰く、後世必ず酒を以て其の国を亡ぼす者あらん」、
また、「昌言を拝す」というのは、古書に書かれた「禹王」の態度だった、といわれる。
【愚生注】
儀狄 :禹王の夏時代(BC1900年頃 –BC1600年頃)にいた人の名前。
昌言:道理にかなった良い言葉。善言。
<管 見>
儀狄が穀物から出来た酒を献上したところ、あまりの美酒に禹王は、
「後々、このような美酒に溺れ、人道を誤り、剰え国家を滅ぼす者が現れるだろう……」と言って、儀狄を遠ざけ重用しなくなったという。
この逸話を推量すれば、
酒を飲む事によって、(麻薬と同様に)精神喪失・精神耗弱や正常な判断を失い種々の問題を起こし、その人自身は勿論日ならずして、人間関係の悪化に発展し、やがては地域社会・組織さらには国までも滅ぼして仕舞いかねないことを恐れたのであろう。
人間は、如何に文明・文化が発達しようとも本来の性は変わらない・
まして、普段は本性を抑えている人ほど酒に飲まれた時の人の豹変ぶりは、目に余る。
美酒を甘言、良薬を諫言に置き換えても「肯綮に中る」(要点をつく)のではなかろうか。
世の乱れは、「禹王」の先見(予想)通りで、現在にまで続いているのは周知の通りである。
交通事故・各種の犯罪・等々……。
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孟子 8
恵なれども、政を為すを知らず。
恵む心はあるけれども、大局から見れば真の政治の方法を知らない、と孟子は説く。
鄭の名宰相として名高い子産が、人々が川を徒歩で渡っているのを見て、自分の車(馬車・牛車か)を貸してやった、という。
それを聞いた孟子は、
「小恵であるが、政治ではない。為政者として為すべきことは、もっと大局に意を注ぐべきだ」
と言った、というのである。
<管 見>
世界中が厄災に悩まされている時に、自らお祭り騒ぎを煽り立てて旗を振っている。
それが、〇〇屋と言われる所以なのであろう。
矛盾=E自家撞着=E自家撲滅=E朝令暮改=c…を臆面もなく振る舞うことができるのも当事者の資質を考えれば、”然もありなん”と何だか妙なところで納得してしまう。
〈そんな輩は、今更話題にするに値しないのだが、中国の春秋・戦国時代など周末から漢代にかけて出現した諸子百家の人々と比較すること共に、理非を判別する意味合いで記したに過ぎない……〉
―閑話休題―孟子に先立つこと≒180年前の孔子は、子産が亡くなったことを知った時に、「古の遺愛なり」(昔の宰相のように民を本当に愛すること)と、言って惜しんだ、という。
扨て、そこで三者のことを記してみると、
「孔子」(BC551〜BC479春秋時代)は、広い学識により信望を集め,多くの門弟を教えた。
「子産」(BC585?〜BC522春秋時代)は、春秋時代の鄭の名宰相。
法治主義(法律によって国を治める主義)によって国を治め、中国最初の成文法を作った。
外交・内政に優れ、巧みに大国間(晋〜楚)の均衡を保ち平和を実現するなど、国に貢献した。
「孟子」(BC372〜BC289戦国時代)は、 孔子の孫の子思の門人に学び,梁 ・斉 ・宋などを遊説を遍歴するも目的が叶わず、晩年故郷で門人の教育にあたった。
孔子・子産と孟子の違いは、≒180年程の差があり時代背景が異なることも一因だろう。
では試みに、この三者を上記とは異なる見地を以てすれば、
孔子:(春秋時代)「仁」、つまり、人間(個々)を大切にすることが基本とした、思想家・教育家。
子産:(春秋時代)「法治主義」を以て国を治めた、実務家・政治家。
孟子:(戦国時代)「義」(人としての基準)、特に孟子は、生命より義を選び、社会的行為がある一定の規則にかなっていること、を重要視した。つまり、社会の規範を重視した、思想家・教育家。
従って、今回の至言である孟子の大局的見地の指摘も否定はせぬが、だからと言って多くの人たちによる子産の高い評価は、些かも褪せることは無い、と言える。
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孟子 7
道は爾きに在り。而るに諸れを遠きに求む。
人の道は手近な日常生活のうちにある。
それを忘れて、何かというとわざわざ高いところや遠いところに在ると思いがちである。
*平地から見る天空
*里や麓から見る高山
*田舎から見る都会
*在所から見る高名な名所旧跡
など、世の聞こえ高い所へ目が向きがちである。
*地元の鎮守様
*質素な菩提寺
よりも、
有名な神社仏閣へ行けばご利益がある、と思う人達は少なくない。
孟子は、親を親愛し、年長を尊敬する、その気持ちが人の道なのだ≠ニ説いている。
極論かも知れないけれども、換言すれば人の道は、己の心の中にある≠フではないだろうか。
その自身の心を放っといて、他に頼った生き方をするのは、まさに本末転倒であろう。
そう言えば、
「山高きが故に貴からず、樹有るを以もって貴しと為なす。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しと為す。」という言葉がある。
即ち、山は高いから貴いのではなく、そこに樹が生えているから貴いのである。
人も、見た目が立派(図体が大きい)だから高潔だとは限らない。
つまり、見かけや評判が問題なのではなく、正味である中味(身)が大切なのである。
序でに記せば、孔子や始皇帝などで馴染みの山東省に在る「泰山」は、高さは1,500m程で、決して高くは無いけれど、五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも景仰(徳を慕い仰ぐ)される春秋時代以来の伝統がある。
然も、封禅の儀(天を地を祭り、天命を受ける儀式)が行われる山として名高かった。
ところで話は転ずるが、嘗て(50年以上前になるか?)女性が結婚相手に選ぶ基準として、高収入、高学歴、高身長の「三高」が男性に求められていた時代があった。
今から思うと、高度成長期の一過性のものに過ぎなかったけれど、それに踊らされた若者も少なくなかったように記憶している。
また、「より速く、より高く、より強く」は、オリンピックのモットーであるが、これは結果よりも「目標を目ざして、努力し続つづける」経過の大切さを意味するのでは?
加えて、単にスポーツだけに止まらず、人間として「より深く・高く・広く」を極めるために継続した努めを怠ることのないように、という精神を求めているのではないのだろうか。
何事も出発時から時を経ると、その目的やその過程の大切さはお座なりにされて色褪せ、単なる勝負だけに拘る風潮が、今時では益々顕著になっていくことは、真に嘆かわしい世相である。