2022年02月07日

0004 春七草

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孟子 6

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       強     惡

          而

       酒     酔


酔うことを(にく)んで酒を()う。

酔っ払いを憎みながら、人に酒を無理に飲ませる。

これは理屈に合わないことだと、いうのだ。

何故なら、不仁(自己抑制がなく、他者への思いやりに欠けること)は、我が身を亡ぼすからだ、と説くのである。


<管 見>

「仁」とは、人()と二からなる形声文字で、人と人との間に通う親しみ。

つまり、自分=他者の考え方だから、酔っ払いの様子を認識するということは、他者の酔った醜態を客観的認めることでもあるのだ。(然し、これは第三者の立場での認識であって、仮に酔っ払いたちはその時は正常に理解している者もいるのかもしれないが、醒めると殆ど記憶にない……、と国会での答弁みたいなことを宣う)


愚生は酒を好まないから以下は推想だけれども、

酒好きな仲間たちを想うと、酒に酔った者自身には正常な感覚が麻痺しているから、その時の自他の言動は勿論のこと、一切の事柄については真面な認識は皆無なのであろう。

それは、(他者の)酔人の姿は自分自身の姿でもあるのだ。

つまり酔っ払い同士は、お互いに鏡の中の己の姿を見ているに等しい訳である。


そして、これは酒だけのことではない、といえる。

他者を貶めたり、無理強いなどをすることは、自身に対していることと解するべきなのだろう。




さらに発展して意見を述べることは、愚生の多くの欠点の中の一つでもある、言葉が過ぎる≠アと、所謂要らざる≠アとと、叱声が発せられるのが必定なので、ここで筆を置く。 


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