2022年03月31日
2022年03月30日
2022年03月28日
孟子 13
善を好めば天下に優なり。
為政者が真に善を好めば、その力は全世界を治めてもまだ余裕がある。
だから、そのような真の為政者にとっては、一国を治めるなど造作も無いことだ。
<管 見>
魯の国が、孟子の弟子の楽正子を政治に登用しようとしていた。
そこで、孟子は次のように言った、
「余はこの知らせを聞いてから、嬉しくて夜も寝られないよ。」
それを聞いて、別の弟子の公孫丑が言った、
「楽正子は、剛毅なのでしょうか?」
それに対して孟子は、
「全くそんな事は無いよ」
では、
「思慮深い智慧者なのでしょうか?」
孟子、
「いいや」
公孫丑、
「博識多聞だとか?」
孟子、
「些かも無い」
公孫丑、
「それならば、どうして先生は嬉しくて夜も寝られないのですか?
それだったら、むしろ不安にならないのですか?」
孟子、
「楽正子の人となりは、善を好むからだ」
公孫丑、
「善を好むだけで、政治を執れるのでしょうか?」
孟子、
「善を好めば、天下を治めるのにも十分なのだ。
それにも増して、魯国を治めるには余りある。
そもそも、いやしくも善を好めば、天下の者はこぞって千里の道をも平気で駆けつけて、彼に善を告げようとするのだ。
しかし善を好まなければ、甘言を好み諫言を退けるような、誤った判断のもとに独りよがりの言動をしてしまうのだ。
心ある人(有為の人たち)を遠ざけてしまうのである。
賢臣(諫言者)が千里の遠くに離れてしまえば、代りに阿諛追従の輩(甘言者)が集まってくる。
阿諛追従の輩と共にいては、国を治めようとしても治められないのだ。」
楽正子は、孟子の愛弟子であったが、然し、孟子が言うに彼は剛毅でもないし、思慮深い知恵者でもないし、博識多聞でもない。
単に善を好むだけが取り得だと言う。
孟子は、楽正子が善を好む人となりであることだけで、国を治めるのには十分であると言う。
為政者のなすべきことは、とにもかくにも人材を得ることにある。
堯は舜を、舜は禹を、湯王は伊尹を、文王は太公望らを得たことが天下の王となった理由であった。
そして為政者自身は特に実務を行なう必要はなく、信に値する人材(人財)を選択する正しい眼力を有していればよいのだ。
孔子は、(舜ついて)自ら政治に関与せず、天下を保ち続けたとして称えた、という。
それこそが、聖人(三皇五帝の五帝の一人)の道であったと言うのだ。
例えば、劉邦と項羽を比較する時、(結果論ではあるが)、
劉邦:自らは無能であったが、有能な人材を信任して自由に活躍させた。
項羽:卓越した能力と若さ、そして筋目正しい家柄などを持ちながら、独立不羈(他から制御されないで自己の所信を貫く)を貫いた。(他者の意見には、耳を貸さなかった)
結果は周知の通り、史の示す通りは歴然としている。
歴史に見えないことは勿論、剰え巷間の風聞にさえ現れない誠の人たちの存在を、想うべきだろう。
でも、想ってみても詮無いことかもしれない。
何故ならこの世は、名を馳せた巨星であろうが、梲の上がらぬ名無しの権兵衛であろうとも、何れ時の経過と共に色褪せていくのを免れようとしても全ては天任せで、人にはその術はないのだから。
「臣の好む所の者は道なり。技よりも進めり。」(荘子)・(既述)
( 私が好きなのは道である。技術の先にあるものだ。)
包丁(既述)は「道」、つまり自然を好んだ。
彼は料理人だったが、
「自然体とは何かを追及しながら、技術を極めた」と、いう。
最近よく見聞きする語にSustainable(持続可能)というのがあるけど、愚生がこの言葉に初めて出会ったのは、今から20年ほど前のことだったと想起する。
それは、従来からの各界での概念であった、経済最優先のスクラップ&ビルド(建てては壊し、壊しては建てる)方式の見直し論に関する書だった、と記憶している。
つまり、建築という狭い世界においても、「自然の存在と、それを素直に受け入れることの出来る己の心のあり方を追及しながら、技術を極める」のでなければならない、といえるであろう。
他の世界にあっても、然りだと思う。
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孟子 12
帰りて之を求めば、余師あらん。
退いて静かに求めれば、学ぶべき師はたくさんあるであろう。
人生、いたるところに師がいるものだ。
<管 見>
〈注〉
曹:(BC1046年 -BC487年)は、中国大陸に西周から春秋時代にわたって存在した小国である。国姓は姫。国都は陶丘(現在の山東省菏沢市定陶区の南西)。
創始者は周の武王の弟の曹叔振鐸。
周代の尺:≒18cm〜23cm⇒≒20cm
∴文王は≒2m・湯王は≒1.8m
曹の君主の弟であった曹交が、孟子に尋ねた。
「人は誰でも堯や舜のような人物になれるというが、それは本当でしょうか。」
孟子は言った。
「その通りです。」
「聞く所によると、周の文王は身長が十尺あり、殷の湯王の身長は九尺あったそうです。
それなのに、私は九尺四寸(1.88m)もあるけど、自分でもあきれるほどだらしない人生です。
何故、堯や舜のような素晴らしい人物になれないのでしょうか。」
「身長などは関係ありません。
ただ仁義の道を行うだけです。〈注〉仁義:思いやりの心と正しい行い。
例えば、
*今一匹の鴨の雛さえ持ち上げることが出来ない人がいれば、世間は力のない人だと言うでしょう。
*百鈞(60s)を持ち上げると言う人がいれば、世間は力持ちだと言うでしょう。
それならば、力持ちで有名な烏獲(戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約8000s)と同じように持ち上げる人がいれば、その人も烏獲と同じだと言うほかはありません。
だから、人は力が足りないことを悩む必要はないのです。
要は、努力しないことに問題があるのです。
年長者と同行する時、ゆっくり歩いて後ろから従っていくのが徳で、速足で年長者の前を歩くのを不弟(年少者・礼としての道を守らないこと)と言うのです。
ゆっくり歩くことは、どうして人のできないことでありましょうか。
出来ないのではなく、そうしないだけの事です。
堯・舜の道は、ただ孝弟の徳を行うだけの事です。
あなたが堯と同じ礼に適った服を着、堯と同じ仁義に適った正しい言葉を述べ、堯の孝悌(兄や年長者に従うこと)の正しい行いを実行すれば、あなたは堯になれるでしょう。
これに反して、あなたが桀と同じ非礼の服を着、仁義に悖る言葉を述べ、暴虐な行いをしたならば、あなたは桀と同じ人間にほかありません。」
「私は鄒君にお目見えしたら、屋敷を借りることが出来ます。できればしばらく滞在して、先生よりお教えを受けたいと存じます。」
「いや、人の道は大路(大道)のようなものです。どうしてそれを知るのに難しいことが有りましょうか。
求めないことが問題なのです。
〈愚生注〉この場合の大路とは、多くの才能ある人たちが行き交う場所に己が居ても、求めようとする自覚や人を見抜く力が無ければ、単なる喧噪な大通りにしか見えない、の意だろう。
求める気さえあれば、帰られても(現在の居るべき場所)、師とすべき人物が必ずおられるでしょう。
無理にここに留まる必要はありません。」
(愚生の短見だが)この意味は、立派な人物になるのは、難しいことはない、ただそれを為そうと努力しないだけである、というのが趣意なのだろう。
趙岐(後漢末の政治家)の章指(心裏を文章にしたものか?)にも、天下の大道、人並び之に由る、為さざるを病、能わざるを患えず、と述べている。
愚生なりきに解釈して記せば、
才能が無くて出来ないのではなく、省みる事もせず・実行しようとしない、所謂、自らの努力を惜しみただ漫然として、為さねばならぬことを怠っているのだ ということだと受け止めるが、如何だろうか。