2022年03月14日

孟子 11

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      我     爾
      爲     爲
      我     爾


(なんじ)は爾()り、我は我為り。

春秋時代、魯の国の大夫の柳下恵の言葉だといわれる。

この言葉は、確固した信念の持ち主の言葉だろう。

だが、ひょっとするとそうではなく、願望からでた言葉なのかも知れない?という説もある。

〈注〉

柳下恵:本名は展禽、字は季と言う。

 柳下という地に居り、死後に恵と(おくりな)されたことから後世、柳下恵と呼ばれるようになった、という。


<管 見>

柳下恵は、流俗に動かされること無く、自ら信じるところを行った賢大夫として知られている。

だからきっと、彼の言わんとすることは、

「世の流言などに惑わされることなく、己の信ずるままに生きよ」という箴言だろう、と思う。


世の中に繁茂する諸犯罪や個々心の鬱・種々の悩みだとかいう原因は、さも本人以外の周囲の人たちや環境によるものとする傾向が一般的である。

例えば、虐めによって自殺した児童が出た時、親族・マスコミをはじめ世間の大勢は、その因を本人以外に目を向けて糾弾することが慣わしの如くの傾向があり、それに反する言動をする者を白眼視する風潮が強い。


然し、それ一辺倒でいいのだろうか?

世間一般や個々の人間には戴けない悪癖が多く、何時の世にあっても蔓延るのを阻止できない。

何故だろうか?

それらは、個人の品位・人間力にかかっているのだが、多勢と無勢をいち早く掴み多勢に加担するという、無定見・日和見・付和雷同・風見鶏など、中には二股膏薬・無節操な輩が多いせいだろう。


孟子はこのようにも言っている。

「皆国のため、国家のためというが、国の元は家庭にあり、家庭の元はわが身にある。

国を思うならば、わが身を修めることが先決だ。」

言い換えれば、

「大きなことを言ったり、他人の所為にしたり、また世間の実の無い物事に興を湧かせる暇があったら、先ず己の頭の蠅を追え!」ということだ。


〈追記〉:今少し「柳下恵」のことを記せば、

周の時代の職名

卿 :最上級の大臣

大夫:次官・長官で、柳下恵は、士師(しし)と呼ばれる裁判官に相当するような職。

士師:中国、周代の官名の一つ。刑罰の任にあたった役人。士吏。司法官。

彼は、幾度か官位を下げられた、という逸話が残されている。

度々降格されたということは、上役からみれば扱い難い人柄だった、と類推される。

多分、今回の至言からして想うには、下には篤く上には厳しい態度で対したのではなかろうか。

それでも罷免されること無かった、という事実から思い合わせてみると、

  有能だけど、上司に対しては甘言が無く、諫言が多い。

  かといって、いないと職務に支障を来す。

  だから、昇格はさせぬが、辞めさせることも出来ない。

  そこで、官位を下げても本人は飄然として職務に専念している。

つまり、名利より己の信念に沿った生き方を貫く、といった存在だったのだろう。


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2022年03月13日

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2022年03月12日

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2022年03月11日

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2022年03月10日

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2022年03月09日

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2022年03月08日

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2022年03月07日

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孟子 10

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(文王)
       如    視
       
       傷    民

(周の文王)は、

一般の民を労りの心を寄せ、恰も傷つける人を見るように、心配りをした。


<管 見>

はなに記した言葉の後に、望道而未之見、が続くのである。

そこで改めて全文を記せば、文王は民を()ること、()める(ものを傷む)が如く、道を望むこと未だ之を見ざるが如し、となる。

周の文王は民に対しては、病人を哀れむように民をいたわり、正しい道を仰ぎ望むことと、

同時に、まだ見ぬものをあこがれ慕うように熱心であった、ということになる。


また、伝説時代の三皇五帝を除き、それ以降の聖王と後世から尊敬され慕われるような人たちを、孟子は次のように述べている。(夏王朝・殷王朝・周王朝の三代について)

孟子は、(※記述のものは、重複するが……)

「禹(夏王朝の始祖)は、美味い酒などを遠ざけて、善言を聞くことを好んだ。

湯王(殷王朝の創始者)は、中庸の徳を持って賢者を登用し、依怙贔屓(えこひいき)しなかった。

文王(周王朝の創始者)は、人民を怪我人をいたわるかのように視察し、どうすれば正道を行くことができるのかと未踏の道を望むがごとくに(こころ)()がれた。

武王(周王朝の初代の王)は、側近を侮ることなく、疎遠な者どもですら心に忘れなかった。

周公(名は旦、周王朝・文王の子で、武王の弟。武王を援けてその死後、甥の成王の補佐役に徹して周王朝の存続に貢献した)は、これら夏・殷・周の三代にわたる四人の聖王たちの業績を全て兼ねようと思い立った。

このように、聖王たちの政治が現代の実情に合わないことがあったならば、正しい解答はどこにあるのかと、天を仰いで昼も夜もずっと考え続けた。

そして幸いにもよい解答が思いついたならば、すぐにでも政治に適用しなければと焦る気持ちで、早く朝が来ないかと座って待ち続けたものだ。」

以後、現在までこのような聖人・賢人に相当せずとも、それに少しでも近いといわれる人たちどれほ存在しただろうか?


世界的諸問題を多く抱えている現在、選挙の時ばかり美酒・甘言を並び立て国民のクダラナイ輩どもを相手に票稼ぎに精を出し、当選すればそっくり返る有様である。

それが、国単位から地方単位まで押しなべて然りなのだ。


ある時、医院の待合室で何気なく横目で、横の席のスマホを覗き見したら

「選ばれる方も・選ぶ方も、どっちもどっちなんだよ!」

と、呟くようなメールを受信したその人は、目でその文を追いながら笑っていた。





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2022年03月06日

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2022年03月05日

赤城町_石仏K

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0030 啓蟄

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2022年03月04日

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2022年03月03日

0028 ひな祭り

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2022年03月02日

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2022年03月01日

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