2022年04月12日

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2022年04月11日

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孟子 15

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       引
       而
       不
       発
       發

引いて発せず。

弓を引いても、時期の来るまでは発射しない。

同様に、人を教えるにも、いたずらに全てを教え授けることをしないで、

学ぶ者の自得するように導き、その時期を待つことである、というのだ。

       

<管 見>

(今回に限ったことではなく、従って今さら断る程のことではないけれども、以下に述べることは愚生の独断と偏見に満ちた愚昧の記述であることを改めて記しておく)


職人の世界では、たとえ真の親子であっても「技は、見て盗んで覚えろ!」という。

それは、どんなに世が進んでも、不変の教訓なのだ。

何故なら、人間は生身の人であって、機械では無いからだ。

その具体的理由を挙げれば、

*失敗体験⇒経験による、成功への成長過程が肝要だから。

*考える機会を与える⇒独学による実学の習得(血肉と化すため)

*学ぶとは、教わるではなくて六根(五感+意真)を以て、掴み取ることが基本なのだ。

*嫌な仕事・苦手な仕事を敢えて選択することは、身に付ける最良の手段である。

ITなど最先端技術の機器類…は、あくまでも単なる道具でしかないのであり、それを使いこなして結果を生じせしめるのは人間なのである。


つまり人というものは、仕えるのは神仏・人・機器などにではなく、自らの意思で身を以て仕事一途に打ち込み

終始し、それを全うすることで世のために尽くす≠フである。

それもまた、どの世界・職種…であってもある意味では、職人の世界なのだ。


何れにしても、主は人であり、機器は従≠ナあることの論理的或いは感覚的又はあらゆる角度・視点からにおいて

も説明が可能なくらい明白なのである。


現代っ子は、上記の「技は、見て盗んで覚えろ!」という言葉に違和感を覚えるだろう。

いや、現代っ子でなくとも現在の世の中では、中年(40〜50代)、いやいや高齢者の中にも、時代錯誤だと主張する者が多いことだろうことは、想像に難くない。

恐らく、その理由は、

*効率が悪い:経済優先主義を標榜したもので、以下を改革の基調としたものなのだろう。

・IT(情報技術):コンピュータなどの機器をベースとした情報システム(機器優先主義)

・ICT(情報通信科学):情報技術だけではなく、その情報や技術を共有するための「コミュニケーション」(機器優先主義)

・デジタル:データは全て「0」と「1」を組み合わせた数字で構成されている。

つまり有無のどちらかであり、大切なその中間及び過程はない、若しくは省略。

・時代の変革:手仕事(人間を主とした)は、現代の時代にそぐわない。

……など、幾らでも彼らの言い分に事欠かないだろう。


そこで、愚生なりの解釈を記してみる。

仮に具体例として、大工の親方と新弟子の場合を想定する。

習うより慣れろ!⇒実践第一〜読書十遍なるは、書写一遍に如かず(十読は一写に如かず)

親方の一挙一動(一挙手一投足)を心身に刻み込む!

修行一日目から終生、親方のことを鑑()とする。

常に、それに己を照らし合せ、その異なる(劣る)部分の発見に尽くす。

一歩でも親方に近づくように修正に努める。

頭だけでは無くて即座に反応できるように、体に沁み込ませる。

親方と一心同体になるとを望みながら、ひたすら地道な反復作業に努める。

一心同体とは、仕事の技だけでなく、暮らしを含めて生きる術を身に着ける。


失敗の受け止め方!


◦仕事には失敗が付き物であり、必ず失敗する。

その際、反省しそこから学ぶことが肝要なのだ。

なぜ失敗したのか? その原因を追究し、探り当てる。

把握⇒分析⇒改善⇒試行錯誤の反復。

親方と一緒に仕事をしていく中で、己自身が考えることである。

・大工として独立した時のため。

・常にハングリー精神を厳守。

  ・見て覚えて、自分でやってみることで、身に付くのだ。

  ・修行時代の仕事内容や段取りの仕方などは、大工としての心身の道具である。


覚悟の大切さ!


・何事も、本気で臨むこと。

・兎に角、闇雲に緩まず・弛まず、一生修行のつもりで継続して励むこと。

・その間、掃除・道具の手入れなどに終始した作業でも、それが大切なのだ。


時間・手間の大切さ!

・修行中に限らず、無駄な時間・手間は無い。

・仕事(広義で)に省略や近道は無いのだ。

……。

《結論》

「人間回帰」(人間としての原点に立つこと)⇒それぞれが、自分らしく生きることに努めることなのだ。




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2022年04月10日

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2022年04月09日

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2022年04月08日

0064 花まつり

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2022年04月07日

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2022年04月06日

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2022年04月05日

赤城町_石仏L

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0061 清明

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2022年04月04日

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孟子 14

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        無
        恥
    無   之
    恥   恥
    矣

恥ずることなきを之れ恥ずれば、恥無し

無恥を恥じる心があれば、この人は恥ずべきことの無い人である。

<管 見>

恥を知るとは、自らの誤った行いを恥ずかしがる心があることである。

孔子(BC552BC479)は、

「己を行うに恥あり」と、自分の行動について、恥とは?ということを弁えている「士」(学問・道徳を具えている人)の精神を大いに讃えている。

また、「恥を知るは勇に近し」とも言っている。

人が自らを恥ずかしがることは勇気が必要であり、恥を知ってこそ金銭の欲を抑えられ、困難に負けず、謙虚でいることができ、他人に対して思いやりを持って接することができるのだ。

孟子(BC372BC28)は、

「悪を恥じる心がないのは、人間でない」とも言っている。

孟子の「性善説」は、人は生まれつき、哀れむ心、恥じる心、謙虚の心、是非の心を持っており、これらは仁、義、礼、智の芽生えであるとし、

これら人類にしかない善の性は、禽獣や虫魚には備わっていない。

人は悪を恥じる心があるから、名利を前にして立派な節操が働くのだ。

 また、

「人は恥知らずではならず、恥知らずの恥こそ、恥知らずなり」との言もある。

即ち、人は恥をなくしてはならない、恥知らずという恥は本当の恥知らずである。


 自身の能力不足を素直に、そして躊躇わずに認めるという言動は容易なことではない。

人が自分の不足を恥と感じ、改正する勇気があれば、まだ救いがある。

* 恥そものの、意識が無い(恥を恥と思わない)

* 人の反応を勝手(自分に良いように)な解釈して、自慢にする。

 * 人の反応を勝手(故意な悪評と捉えて)な解釈して、反省せずに開き直る。

朱熹(11301200)は、

「人に恥じありて、為すべきでないことを為さない」と言っている。

人に恥じる心があったら、してはいけないことをしない。

恥を知れば、自ずと意志固く、貧富、得失、利益において取捨選択ができ、欲望に走らない。

そうでなければ、恥じる心がないとなんでもやりかねない。

呂坤(りょこん)15361618・明代の学者)は、

「五刑は一恥にかなわず」と言った。

即ち、如何なる厳罰でも、百姓(ひゃくせい)(人民)に恥を知ってもらうことに敵わない。

人に廉恥(れんち)(恥を知る心)を知ることは刑罰より大切で、道徳が高まることで恥を知れば、自ずと言動を弁えるのだという。

これは法を犯してから刑罰するより効率的である、というのだ。


ドストエフスキーの「罪と罰」では、(主人公の学生の理論と実践について)

➀理論(理想):罪悪(殺人など)は善行(社会貢献)によって償われる、とする勝手な立論。

➁実線(現実):目的とする殺人以外にも、殺人を犯してしまう、という実態。

B結果:@と➁のギャップに増長する一方、苦悩する主人公。

そういう中にあった時、家族の為に献身的な自己犠牲に生きる女性を知り、彼は自首する。

という人間回復の物語だが、これも真の善というものを知らない成長過程にある若者とはいえ、人としての勝手極まる恥ずべき行為だろう。

序でに記せば、 漢和字典(昭和40年初版)に、

()」は、会意形声文字で、心が柔らかくイジケルこと、また、恥じて耳が赤らめること。

(しゅう)」は、恥じて心が縮まること。

()」は、恥ずかしくて心にシコリがあること。

(じょく)」は、柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。

(さく)」は、ドキッとして、顔色が変わること。

 とある。

勝手に解釈すれば、

*自ら生ずる情動や他からの情報を、先ず素直な感覚(視聴覚等)で感じ取ること。

*それを、自然(柔らかい)にして有心(思慮・分別・深い心の働き)を琴線に伝達すること。

*次に、届けられた事柄を確りと柔軟に適応できる赤心を以て感知し、認識すること。

つまり、

*素朴な感覚の持続。

*円満な「知情意」の発達に努めること。

であり、自然で素直な感覚と心は一対なのである、といえるだろう。

人生にあって、これらを努めることで「恥を知る心を」を持続できるのだ。

それはまた、「人」としての価値を失わない為の我々が出来得る、最低の手段だといえるであろう。

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2022年04月03日

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2022年04月02日

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2022年04月01日