2022年04月11日
孟子 15
引いて発せず。
弓を引いても、時期の来るまでは発射しない。
同様に、人を教えるにも、いたずらに全てを教え授けることをしないで、
学ぶ者の自得するように導き、その時期を待つことである、というのだ。
<管 見>
※(今回に限ったことではなく、従って今さら断る程のことではないけれども、以下に述べることは愚生の独断と偏見に満ちた愚昧の記述であることを改めて記しておく)。
職人の世界では、たとえ真の親子であっても「技は、見て盗んで覚えろ!」という。
それは、どんなに世が進んでも、不変の教訓なのだ。
何故なら、人間は生身の人であって、機械では無いからだ。
その具体的理由を挙げれば、
*失敗体験⇒経験による、成功への成長過程が肝要だから。
*考える機会を与える⇒独学による実学の習得(血肉と化すため)。
*学ぶとは、教わるではなくて六根(五感+意真)を以て、掴み取ることが基本なのだ。
*嫌な仕事・苦手な仕事を敢えて選択することは、身に付ける最良の手段である。
*ITなど最先端技術の機器類…は、あくまでも単なる道具でしかないのであり、それを使いこなして結果を生じせしめるのは人間なのである。
つまり人というものは、仕えるのは神仏・人・機器などにではなく、自らの意思で身を以て仕事一途に打ち込み
終始し、それを全うすることで世のために尽くす≠フである。
それもまた、どの世界・職種…であってもある意味では、職人の世界なのだ。
何れにしても、主は人であり、機器は従≠ナあることの論理的或いは感覚的又はあらゆる角度・視点からにおいて
も説明が可能なくらい明白なのである。
現代っ子は、上記の「技は、見て盗んで覚えろ!」という言葉に違和感を覚えるだろう。
いや、現代っ子でなくとも現在の世の中では、中年(40〜50代)、いやいや高齢者の中にも、時代錯誤だと主張する者が多いことだろうことは、想像に難くない。
恐らく、その理由は、
*効率が悪い:経済優先主義を標榜したもので、以下を改革の基調としたものなのだろう。
・IT(情報技術):コンピュータなどの機器をベースとした情報システム(機器優先主義)
・ICT(情報通信科学):情報技術だけではなく、その情報や技術を共有するための「コミュニケーション」(機器優先主義)
・デジタル:データは全て「0」と「1」を組み合わせた数字で構成されている。
つまり有無のどちらかであり、大切なその中間及び過程はない、若しくは省略。
・時代の変革:手仕事(人間を主とした)は、現代の時代にそぐわない。
……など、幾らでも彼らの言い分に事欠かないだろう。
そこで、愚生なりの解釈を記してみる。
仮に具体例として、大工の親方と新弟子の場合を想定する。
*習うより慣れろ!⇒実践第一〜読書十遍なるは、書写一遍に如かず(十読は一写に如かず)
◦親方の一挙一動(一挙手一投足)を心身に刻み込む!
◦修行一日目から終生、親方のことを鑑(鏡)とする。
◦常に、それに己を照らし合せ、その異なる(劣る)部分の発見に尽くす。
◦一歩でも親方に近づくように修正に努める。
◦頭だけでは無くて即座に反応できるように、体に沁み込ませる。
◦親方と一心同体になるとを望みながら、ひたすら地道な反復作業に努める。
◦一心同体とは、仕事の技だけでなく、暮らしを含めて生きる術を身に着ける。
*失敗の受け止め方!
◦仕事には失敗が付き物であり、必ず失敗する。
◦その際、反省しそこから学ぶことが肝要なのだ。
◦なぜ失敗したのか? その原因を追究し、探り当てる。
◦把握⇒分析⇒改善⇒試行錯誤の反復。
◦親方と一緒に仕事をしていく中で、己自身が考えることである。
・大工として独立した時のため。
・常にハングリー精神を厳守。
・見て覚えて、自分でやってみることで、身に付くのだ。
・修行時代の仕事内容や段取りの仕方などは、大工としての心身の道具である。
*覚悟の大切さ!
・何事も、本気で臨むこと。
・兎に角、闇雲に緩まず・弛まず、一生修行のつもりで継続して励むこと。
・その間、掃除・道具の手入れなどに終始した作業でも、それが大切なのだ。
*時間・手間の大切さ!
・修行中に限らず、無駄な時間・手間は無い。
・仕事(広義で)に省略や近道は無いのだ。
……。
《結論》
「人間回帰」(人間としての原点に立つこと)⇒それぞれが、自分らしく生きることに努めることなのだ。