2022年05月31日
2022年05月30日
大学 3
知を致すは、物に格るに在り。
<管 見>
「致知在格物」とは、物の道理をきわめて学問
・知識を習得すること。
理想的な政治をするための「大学」の
八条目(八つの箇条書)には、
➀格物
➁致知
B誠意
C正心
D修身
➅斉家
F治国
G平天下
からなり、
その@と➁の段階を指す、のである。
「格物致知」とは、物の道理を窮め、
知的判断力を高める意で、
理想的な政治を行うための基本的条件である、
という。
「格物」とは、
*朱子学(朱子)によれば、「物にいたる」と訓じ、
個々の事物についての道理を徹底的に究明する
こと。
*陽明学(王陽明)によれば、「物をただす」と訓じ、
対象に向かう心の動きを正しくすること。
「致知」とは、
*朱子学(朱子)によれば、自分の知識を極限にまで
推し広めること。
*陽明学(王陽明)によれば、自然な心情、本来的な
心のはたらきを徹底的に発現させること。
政治の最終目的は、FとGの「治国平天下」
にあるがこれを実現するためには、
*Dの修身(心身を正しく修めて、善を行うように努める)。
⇒B誠意とC正心によって得られる。
*B誠意とC正心は、「格物致知」(➀と➁)によって得られる。
言い換えれば、
民の生活を優先して守る為のまつりごととは、
それを司る人間自体(政治家自身)の、
*心の働きが正しいこと。
*モノの道理(実相)を、いい加減にせず徹底して
明らかにすること。
*心が偏らないように、常に身の清廉潔白に努めること。
*名利などに迷い節を曲げたり、優柔不断な言行を
して民をはじめ周囲を混乱させぬように、
自身の知的判断力を高めることに努めること。
など、(公私共に)己に厳しい責を課し、
その上(公私の)義務を果たす覚悟が必要だ、ということだ。
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2022年05月23日
大学 2
止まることを知りて而る后に定まること有り。
人間の最終においては、止まるべき目標が決まって
くると、その次には自らの方針も一定(定まって、
落ち着いてくる)してくる、という。
<管 見>
人間誕生から終焉までを、まともな人生を
前提に考えてみると、
➀人はこの世に生を受ける。
➁初めは、周囲の小さな(限られた)輪(環境)なりの
影響を受ける。
Bやがて、その輪(環境)は次第に大きくなるにつれて、
影響も比例するが如く大きく受ける。
C成長〜上り坂。(自己の輪が増大)
D最盛に至る〜絶頂。(自己の輪が最大)
➅満ちれば欠ける〜下り坂。(自己の輪が減少)
F余生。(心身能力備蓄を放出することで
維持〜然し、減少の一途を辿る)
G終焉。
ここで、Dの状態に達したならば、
自分に適った立場・心境を弁えて無理に
背伸びせずに、そこに止まることに気付いて、
その範囲・限度を越えないでいると、
精神が安定して心身が落ち着いていれられる、
ということなのだろう。
老子の知足=ヒ足ることを知る者は富む。
即ち、物的には貧しくとも、精神的には豊かで、
それが真の幸せということなのだ。
人生の途上で、その都度何を為すべきかという
確りした目的を持つならば、外部からの圧力などに
よって動揺することも無く、心の乱れ髪は自ずと整われる。
そして、精神が安定すれば、そこに外部のことなどに影響されず、
そこに止まっていられる。
そうすると、不毛の考えなどは浮かぶことなく、
己の真の為すべきことに思いが至り、言行一致に
乱れなく思い通りの生涯を過ごすことになろう、
というものだ。
2022年05月22日
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2022年05月16日
大学 1
物には本末有り、事には終始有り。
何事にも始めと終わりがあり、如何なる物にも本と末と
がある。
人生においても根本とすべきものと、そうでないものとが
あり、何事をするにも何から始めるか、
最後は何にするかという、始めと終わりとがある。
その本末・前後を誤らぬことが、結局、
成就への近道になる、という。
<管 見>
要点とその手順とを確り掴んでおけば、
まず誤りを起こさないことなのだ。
物事に対処する場合、
*全体を俯瞰して把握すること。
*手順を計画し、練りに練ってその道筋を決めておく。
*必要性を玩味する⇒必要(欲求)が確認し、
確信されれば自ずとアイデアが生ずる。
*見直し⇒枝葉末節に惑わされずに、
肝心なところを見落としていないか?要、確認。
例えば、国土の究極の災厄は、田畑の荒れ果てる
ことである。
*田畑は五穀を生産してくれ、全てはこれによって不足なく
整い生活できる。
(これは、人間社会のみに限らない)
*農は国の本である。(田畑が荒廃すれば、五穀は不足する)
*従って、人々・戸数も減る一方で、やがて国が衰えることに
なる。
その時に当って衰えたものを挙げ、再復しようとすれば、
人は皆その荒地を開こうとする。
然し、田畑の荒廃は田畑から起るのではない。
原因は、人の心の退廃である。
何故なら、最盛期の時に質素・倹約を怠り、
誰もかれも華美・美酒…贅沢三昧、いざという時の蓄えを
せずに費す、
といった暮らしに明け暮れればモノには限りがあるから、
やがては極まる。
そのような時に、また無能な策をとることが多いのである。
*不足すれば税を取り立てれば…という付け焼き刃的な
処置である。
*すると、民は困窮し、勤労も税も不足を補うにたらない。
*民の戸数は非常に減少し、統治者もまた困窮し、
国の衰えに帰結することになる。
原因が物的なものに無く、精神(心構え)的な面にあるのだから、
そこから着手するのが最善手なのだが、立場の関係や欲望
などから、往々にしてその道を誤るのである。
このような場合に想起するのが、
(中国)北宋時代(第6代神宗皇帝)の王安石が行った革新的な
諸政策であり、
その主なものを記せば、
*均輸法:年間の政府必要物資の種類と量とを揚州の
発運司 に通知し, 多量に産する地方で調達させ,
人民には産しない物を 要求せず, 多く産する物を代納させ,
これが不要のときは 必要とする地方に運んで売却するもので,
商人の中間搾取を排し,政府の消費経済を合理化しようとしたもの。
*青苗法:植付け前に種籾などの欠乏する農民に低利で融資し,
収穫時に元利を返済させる法で,地主の圧迫から農民を救済
しよう としたもの。
*市易法:商人に対する低利融資法。
*方田均税法:田の東西南北各 1000歩 (方田) を基準として検地を
行い, 租税額を公平にする法。
*募役法 (役法):職役の負担方法の改革。
*保甲法:10家を1保,5保を大保,10大保を都保とし,保長,
大保長, 都保正をおき,警察のことを司らせ,
毎年農閑期に武事を教習させる法。
*保馬法:保甲の希望者に馬を養わせる法で,
代償として賦役を免じた。
この他、倉法・手実法・三舎法などがある。
この「至言」シリーズの第一回に登場した、愚生の敬仰する
人を覚えておられるだろうか。
人生樂在相知心≠フ王安石である。
この前に漢恩自浅胡恩自深≠フ句があり、
優れた政治家であったと同時に詩人としても才能を示したが、
その根幹には深い「仁」に富んだ、王安石の人間性があることに
思いが至るのである。
この詩のヒロインが王昭君である。
王昭君は前漢代の宮女で、竟寧1年(BC 33) 年元帝の命により、
前漢の匈奴に対する、融和政策により、
呼韓邪単于 に嫁がされた。
(王昭君は、匈奴に対する懐柔策の犠牲者といえる)
古来、中国文学の題材として扱われるが,
この悲劇は宮廷画家毛延寿 に賄賂を贈らなかった爲、
故意に醜女に描かれたことに起因するとされる。
当に、漢の国に生まれながらも、
人をモノ扱いする漢王朝の恩(恵み・情け・慈しみ)は浅く。
然し、胡の国と蔑まれる匈奴に嫁してみると、
思いのほか人情に篤いことが日にちに理解されてくるに従い、
胡(匈奴)の国の良さが身に沁みてくるのだった。
つまり、胡(匈奴)の国の恩(恵み・情け・慈しみ)が深い、
ことが身を以て感じられるのだった。
この出来事を、≒1070年後(北宋時代960年―1127年)に、
王安石が彼流に詩で表現したのである。
今回「至言」物には本末有り、事には終始有り≠捩れば、
人生にも本末有り、言行にも終始有りともいえる。