2022年05月14日

0010

0010.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月13日

0009

0009.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月12日

0008

0008.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月11日

0007

0007.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月10日

0006

0006.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月09日

0005

0005.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

孟子 19

72孟子 R_20220122 (10).jpg

       已     反
          而
       矣     經


経に(かえ)らんのみ。

〈注〉經()〜常(=不変の理・道理・筋道)

   のみ〜「已」の助辞。

〈参考〉

擦れた邪道だけれど、

似た漢字の記憶術(すっかり枯れた頭だが…)

()は上に、己(おのれ・つちのと)下に付き、

 已(すでに・やむ・のみ)中ほどに付く

(ぼう)(つちのえ)に、(じゅつ) (いぬ)犬一匹で、

 人(じゅ)(まもーる)まもる、(えつ)(おの・まさかり)

〚土のうえ()に、犬()一匹で人まもる()

()振り上げりゃ、ボウ()ジュツ()ジュ()エツ()

ー閑話休題ー

結局は、君子の行いは、

常道(不変の真理・常に人が守るべき道徳)に還るということだ。

即ち、常道は平凡であるけれども、その平凡こそ

万世不易(永久に変わらないこと)道だ、というの

である。


<管 見>

君子の言動は、とどのつまりは物事の筋道に

則った常道(真理・守るべき道徳)に拠る他はない

というのである。

それこそは、常套陳腐()で誰の目から見ても、

何の策もない特に目立った

能力も無く、ただ惰性な手法に映るけど

それこそが進むべき普遍的な道であって、

そこが定まれば人々も立ち上がる≠ニ説いているのだ。


何の変事もない平常な日々には外見は兎も角、

人の実体(実像)は解らないけれども、一朝トラブル

が生じた際にその才能の多寡や人間性が明らかになるのだ。

例えば、日頃昼行燈≠ニ評されていた、

かの大石内蔵助を追想してみれば釈然とするであろう。


そこで、前回(「孟子・盡心下」18)の「郷原」

などにも触れたり絡みながら、記してみたい。

經は常なり。⇒常道は平凡である。

だけど、

萬世不易の常道なり。

⇒平凡こそ万世不易(永久に変わらないこと)の道だ。

興は、善に興起するなり。⇒関心ある事に対し興味を持ち、

より詳しく知ろうとする気持ちは、

正しい道理(筋道・倫理)に従って、

道徳によく適合するものであって、心を奮い立たせることだ。

邪慝(じゃとく)()は、郷原()(ぞく)()の如き、是れなり。

⇒不正で(よこしま)なこととは、郷原の仲間のようなものである。

世衰え道微にして、大經正しからず。

⇒世の中が衰えて、

人としての大いなる正しい理(道理=倫理=筋道)

欠けることであって、決して真の道ではない。

故に人々異(いつわ)りて以て其の私を()すことを得て、

邪慝(なら)び起き、正に勝つ可からず。

⇒だから、

*多くの人たちは変な(怪しげな)説を述べて、

*事実でないこととか当てにならないことを示して

 自分勝手な言い分で済ませ、

*不正で悪いことを合わせ並べたてれば、

 確かに勝れた正しい条件が整わないことになってしまうのだ。

つまり、無理が通れば道理引っ込む≠ニいうことだ。

以下、略す


〈用語注〉:

常套(じょうとう)陳腐(ちんぷ):ありきたりで詰まらないこと。

邪慝(じゃとく):不正で悪いこと。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)

(ぞく)⇒屬:仲間・同類。





posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2022年05月08日

0004 母の日

0004.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月07日

0003

0003.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月06日

0002

0002.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月05日

赤城町_石仏M

001-sekibutu_akagiachi-sekibutuM.jpg

posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | スケッチ

2022年05月04日

0090 みどりの日

0090.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月03日

0089 憲法記念日

0089.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

2022年05月02日

0088 八十八夜

0088.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句

孟子 18

71孟子 Q_20220122 (8).jpg

      非     惡
         而
      者     似


似て非なる者を(にく)む。


外貌だけが善いものに似て、内実がそれとは裏腹、

所謂似非者(えせもの)は大嫌いだ!≠ニ、いうのだ。


<管 見>

この至言は、孟子の巻第十四盡心章句下二百五十九節

「…郷原徳賊也(郷原は徳の賊なり)…」

(後略)の中にある語である。

概略を掴むために、前後を以下に少し記してみる。

(※孟子と弟子の(ばん)(しょう)の問答形式)

弟子の(ばん)(しょう)

「孔子が陳の国で困窮したとき、

故郷の魯に思いをはせて、

『さあ、帰ろう。我が故郷(魯の国)の人たちは、

*志は大きいが、物事に対しては疎略である。

*大道を行うことを望みながら、道を得ることが出来ずにいる。

そんな昔の仲間を忘れることが出来ない。』

と、言われたそうですが、孔子は陳の国にいながら、

どうして魯の疎略な連中に思いを寄せたので

しょうか。」

孟子は、それに答えて曰く。

「孔子は、『中庸(儒教の中心的概念)の道を

得た人と共にすることが出来ないなら、

*せめて我武者羅に突き進む狂者(きょうしゃ)(志が大きくて、

細事を顧みない人)か、

 〜狂者は積極的であるから…。

*保守的である獧者(けんしゃ)(心が狭いが、

 信念がが固い人)

 〜獧者は保守的であるが、不善を為さない者であるから…。

狂者か獧者を選ぼう。』と考えたのだ。

孔子が、何故中庸(儒教の根本)を得た者を、

求めないことがあろうか。

ただ、それが必ず見つかるとは限らないから、

(次善として)その次の(きょうけん)の人たちのことを思ったのだ。」

「では、どのような人物を狂者と言うのでしょうか。」

「琴張・曾皙・牧皮のような(七十子(しちじっし)にさえ存在しない)

人物は、孔子が狂者とする所の者だ。」

「どうして彼らを狂者と言うのですか。」

「志は大きいが、言うことも大きく、

常に古の聖人を引き合いに出すが、

その言葉通り実行が無い者を狂者きょうしゃと言う。

だが、こんな狂者でもなかなか見つけることはできない。

だから不潔な行いを潔しとしない人を探し出して、

行動を共にしたいと願うわけで、これが獧者けんしゃであり、

狂者の次に来る者だ。」

「孔子は、『私の門前を通り過ぎながら、

私の部屋に入った来なくとも、いっこうに残念だと思わない人は、

郷原()だけであろう。

郷原は徳をそこなう〈傷つける・壊す〉ものである。』

と言われましたが、どういうのを郷原と言ってよいのですか。」

郷原(きょうげん)は、狂者を非難して、『どうしてあのように、

志も言葉も大きいだけで、言葉に実行が伴わず、

実行に言葉が伴わなず、ただ古の人、古の人と言うだけなのか。』

と評し、又獧者に対しては、『どうして人と親しまず、

何事も一人で行動するのだ。人としてこの世に生まれたら、

人としてこの世に生き、世間から善く思われれば、

それでよいのではないか。』と評す。

本心を隠して世に媚びる者、それが郷原なのだ。」

萬章が言った。

「村中の人が、あの人は慎み深いと言えば、

どこへ行っても慎み深い人だと言われるでしょう。

それなのに孔子が徳の賊だとされたのは、どうしてでしょうか。」

「これを非難しようとしても非難する所が無く、

これをそしろうとしても謗る所がない。

堕落した世俗の流れにのり、汚れた世に合わせ、

身の処し方は忠信に似ており、

その行動は清廉潔白に見え、

人々は皆その人に好感を寄せる。

そして自分でもそれが正しいと思い込んでいるが、

とてもではないが、この様な人間と、

堯舜の伝える真の道に入ることは出来ない。

だからこれを徳の賊と呼んだのだ。

孔子は、『表面上は似ているが、

根本は全く異なっているものを憎む。

例えば、

 ゆう(猫じゃらし)を憎むのは、表面上は似ているのに、

   その実は苗に害を及ぼすからであり、

*口先だけの偽善者を憎むのは、

 それが義との区別を紛らわしくさせるからであり、

*口先だけが達者な人間を憎むのは、

 真実を紛らわせるからであり、

*淫靡な鄭の音楽を憎むのは、

 正しい古典音楽に紛らわしいからであり、

*紫色を憎むのは、

純粋な朱色との区別を紛らわしくさせるから、

である。

それらと同様に郷原を憎むのは、

真に徳のある者との区別を紛らわしくさせるからである。』と

言われた。

君子(理想的人格)たる者は、

万世変わることのない常道

(常に人が守るべき道徳)に立ち返るだけである。

常道(真理・守るべき道徳)さえ正しければ、

庶民はいっせいに立ち上がる。

庶民が立ち上がりさえすれば、

郷原のようなまやかしの邪悪は無くなってしまうのだ。」


〈用語注〉:

孔門の十哲:孔子の門人中、学徳のすぐれた十人の高弟。

徳行に優れた者〜顔淵・閔子騫(びんしけん)(ぜん)(はく)(ぎゅう)・仲弓。

言語に優れた者〜宰我・子貢。

政事に優れた者〜(ぜん)(ゆう)・子路。

文学に優れた者〜子游・子夏。

七十子(しちじっし):孔子の門人のうち才能の突出した70余人の学生をさす。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記

2022年05月01日

0087 メーデー

0087.jpg



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句