2022年05月09日

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孟子 19

72孟子 R_20220122 (10).jpg

       已     反
          而
       矣     經


経に(かえ)らんのみ。

〈注〉經()〜常(=不変の理・道理・筋道)

   のみ〜「已」の助辞。

〈参考〉

擦れた邪道だけれど、

似た漢字の記憶術(すっかり枯れた頭だが…)

()は上に、己(おのれ・つちのと)下に付き、

 已(すでに・やむ・のみ)中ほどに付く

(ぼう)(つちのえ)に、(じゅつ) (いぬ)犬一匹で、

 人(じゅ)(まもーる)まもる、(えつ)(おの・まさかり)

〚土のうえ()に、犬()一匹で人まもる()

()振り上げりゃ、ボウ()ジュツ()ジュ()エツ()

ー閑話休題ー

結局は、君子の行いは、

常道(不変の真理・常に人が守るべき道徳)に還るということだ。

即ち、常道は平凡であるけれども、その平凡こそ

万世不易(永久に変わらないこと)道だ、というの

である。


<管 見>

君子の言動は、とどのつまりは物事の筋道に

則った常道(真理・守るべき道徳)に拠る他はない

というのである。

それこそは、常套陳腐()で誰の目から見ても、

何の策もない特に目立った

能力も無く、ただ惰性な手法に映るけど

それこそが進むべき普遍的な道であって、

そこが定まれば人々も立ち上がる≠ニ説いているのだ。


何の変事もない平常な日々には外見は兎も角、

人の実体(実像)は解らないけれども、一朝トラブル

が生じた際にその才能の多寡や人間性が明らかになるのだ。

例えば、日頃昼行燈≠ニ評されていた、

かの大石内蔵助を追想してみれば釈然とするであろう。


そこで、前回(「孟子・盡心下」18)の「郷原」

などにも触れたり絡みながら、記してみたい。

經は常なり。⇒常道は平凡である。

だけど、

萬世不易の常道なり。

⇒平凡こそ万世不易(永久に変わらないこと)の道だ。

興は、善に興起するなり。⇒関心ある事に対し興味を持ち、

より詳しく知ろうとする気持ちは、

正しい道理(筋道・倫理)に従って、

道徳によく適合するものであって、心を奮い立たせることだ。

邪慝(じゃとく)()は、郷原()(ぞく)()の如き、是れなり。

⇒不正で(よこしま)なこととは、郷原の仲間のようなものである。

世衰え道微にして、大經正しからず。

⇒世の中が衰えて、

人としての大いなる正しい理(道理=倫理=筋道)

欠けることであって、決して真の道ではない。

故に人々異(いつわ)りて以て其の私を()すことを得て、

邪慝(なら)び起き、正に勝つ可からず。

⇒だから、

*多くの人たちは変な(怪しげな)説を述べて、

*事実でないこととか当てにならないことを示して

 自分勝手な言い分で済ませ、

*不正で悪いことを合わせ並べたてれば、

 確かに勝れた正しい条件が整わないことになってしまうのだ。

つまり、無理が通れば道理引っ込む≠ニいうことだ。

以下、略す


〈用語注〉:

常套(じょうとう)陳腐(ちんぷ):ありきたりで詰まらないこと。

邪慝(じゃとく):不正で悪いこと。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)

(ぞく)⇒屬:仲間・同類。





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