2022年07月31日
2022年07月30日
2022年07月29日
2022年07月28日
2022年07月27日
2022年07月26日
2022年07月25日
書経 1
寛にして栗。
寛大であるけれども、どこかピリッとしたところのある人
をつくるようにせよ、というのだ。
(舜が示した教育徳目)
<管 見>
これは、舜が臣下に(リーダーとしての)心得を求めた
こと(書経)の一節である。
直而温―直にして温(筋を通しながら思いやりがあるこ
と)
寛而栗―寛にして栗(寛容でありながらその中に厳しさが
あること)
剛而無虐―剛にして虐うことなく(強い意志力を持ちなが
ら強引に下のものに押しつけないこと)
簡而無傲―簡にして傲るなかれ(威厳があり、大らかであ
りながら下のものを見下さないこと)
など…。
重複するが、この他にも人の行うべき徳として、九徳(書
経)がある。
1.寛而栗(かんにしてりつ)〜寛大だがけじめがある。
2.柔而立(じゅうにしてりつ)〜柔和だが事が処理でき
る。
3.愿而恭(げんにしてきょう)〜まじめだが丁寧で親切で
ある。
4.乱而敬(らんにしてけい)〜事を治める能力があるが慎
み深い。
5.擾而毅(じょうにしてき)〜おとなしいが芯が強い。
6.直而温(ちょくにしておん)〜正直、率直だが温和であ
る。
7.簡而廉(かんにしてれん)〜大まかだがしっかりしてい
る。
8.剛而塞(ごうにしてそく)〜剛健だが内面も充実してい
る。
9.彊而義(きょうにしてぎ)〜剛勇だが正義をもってい
る。
これらの徳目に己を改めて重ねてみると、あまりにもかけ
離れていることに気付かされる。
八十路の今、今さらながら我が人生を振り返ってみれば、
ある意味において納得するのである。
というのは、常に後塵を拝する(人の下風に立つ)のみの
人生であったことで、証明されるからだ。
つまり、リーダーたる資質・能力は皆無だったのだ。
赤心を以てよくよく振り返ってみれば、周囲の山々を
見上げるばかりの小道を辿るばかりの人生だ
ったが、そのお蔭でどうにか今日まで生きながらえること
が出来たのだろう。
だから、身の丈に合った生活を送ってこられたのは、
*厄災を、最小限で過ごせた。
*離欲・低い位置こそ安定と知り得た。
*良き巡り合わせの上司・同僚・友人・知人。
などの恩恵に浴したのは、幸運の一語に尽きるだろう。
それが最も己に適した捉え方だと、心から感ずることがで
きる。
〈用語注〉:
栗:厳しさ・威厳。
2022年07月24日
2022年07月23日
2022年07月22日
2022年07月21日
2022年07月20日
2022年07月19日
2022年07月18日
詩経 1
老馬反爲駒、不顧其後。
老馬反って駒と為る、其の後を顧みず。
過去において働いた老馬を、恰も仔馬のように粗末に扱っ
ている。
自分もやがて老馬になって同じ運命を辿ることになるの
に、考えもしない。
<管 見>
今回の至言における「老馬」を愚生は自他の立場から考え
てみたい。
つまり、「老馬」自身の立場からみた場合、
と、
「老馬」を他者の立場からみた場合、
との二面からの考察である。
*「老馬」自身の立場からみた場合では、老馬は反つて
(歳とは逆に)若い駒気取りで、後々になって重荷を背負う
こと(楽あらば苦あり)を慮らずに、その時になれば背負つて苦しむ
のを毛筋ほども顧みずその場限りのときを過ごす、のである。
例えば、(イソップ寓話のアリとキリギリス)のように、目先のみに
目を奪われて、将来のことを考えない人を指すのであろう。
若さに任せて遊興に明け暮れる日々を考えてみれば、
何時までも朝日のままでいると思うが如くで、やがては夕日と
なる時の訪れを疑いもしない、のだ。
*「老馬」を他者の立場からみた場合では、現役の頃は
家族を含めた周囲のために身を粉にして努めたのに、
これまでの役から辞した途端に厄介者扱いをする輩が、
結構存在するのである。
それは恰も、まだ役の立たない仔馬に対する言動よりも
酷い振舞いを平気でして憚らないのだ。
(喉元過ぐれば熱さを忘る・情けが仇・後足で砂…・軒を貸して
母屋を…・宋襄の仁と化す)
何れにしても、2022-07-04に掲載した「仁者人也」を
改めて首肯されることだろう。