(舜曰…)
口出好興戎。
口は好を出だし戎を興す。
言葉はその使い方によって、あるいは親善の役をし、
あるいは戦争をも起こす、というのだ。
<管 見>
三寸の舌の先の誤りから、最後に我が身を滅ぼして
しまう例は、今も昔も少なくない。
『尚書』に「口から出る言葉は、人々の友好を
生み出しもすれば、戦争を起しもする」とある。
そのような意味では、最も慎まなければならないのは、
言葉である。
言葉には口頭言語(話し言葉)と書記言語(書き言葉)が
あるが、これらは表現方法である。
この場合の言葉の意は、勿論、口頭言語(話し言葉)で
あるけども、
*言葉の選択
*抑揚
*表情
*態度
など、口のきき方・言葉使い・言いよう・言いざま
を指す。
つまり、単なる意志の伝達では無く、その人の人間性が
大きく関わってくるものだ。
たとえ、
*朴訥な言い方であっても、好ましく受け取ることが
できる。
即ち、言葉以前の問題としての人間性の大切さで
あろう。
*言葉は至極丁寧であるし、身なりや礼儀も適って
いるけれども、形に終始していることをそこは
かとなく体感してしまい、どうしても素直に
受け取れない。
即ち、言外に相手(話し手)の心のあり方について、
頭でなく心(精神)が拒絶反応してしまうのだ。
このようにして、「言葉」を前面にしてそれのみに
言及してきたけれど、
然し、その「言葉」の発する基に思いに遡り至れば、
そこには「精神・心」であり、さらに「人間性」という
源流に辿り着くのである。
「要は心」なのだ。
改めて「進乎技矣」(荘子)〜(知識・技術より
以前に大切なものがある)の至言が思い浮かぶ。
〈用語注〉:
大禹:禹は夏王朝の始祖で、同じく聖王の舜
から禅譲された。
夏王朝:近年、発掘によって『史記』の記述が
証明された。
謨;物事の結論を探り求めることで、計る(計画する)。