2022年09月05日
書経 7
(伊尹曰、)
弗慮胡獲。
(太甲に教えた伊尹の言葉)
慮ら弗んば胡ぞ獲ん。
思慮を十分に練らなければ、決して収穫はある者
ではない。
(これも、太甲に伊尹が訓えた言葉である。)
<管 見>
思慮深くなければ、どうして成果をあげることが
できるだろうか、いや、何ごとも成果をあげるこ
とはできない。
これは、
➀今回の至言〜<思慮の大切さ>
と
➁次回の至言〜<実行の大切さ>
(為さずんば胡ぞ成らん※「為せば成る…」
で知られる武田信玄・上杉鷹山らが因とした)
と一対となるものである。
さて、➁は次回に譲るとして、➀について少し述べて
みたい。
回顧すれば、今から五十年を超える前のことだった。
大阪支社から当地(群馬支社)の建築課に赴任してきた。
主な職務は工場建築の設計監理だったが、
それ以外の一般建築も勿論範囲の内だった。
その中で、当地ではじめて手掛けた住宅の設計監理で、
或る施工会社で学んだことがあった。
それは、打ち合わせのために何度か訪ねる内に、
何の変哲もない作業風景の中にモノ作りの基本的
且つ大切な要素を見逃していたことに気付かされたので
ある。
無意識で働く大工さんたちの、日日繰り返されている
作業場での無言の教えをであった。
そこで見得(見る⇒理解⇒認識⇒会得)したことを、
前記➀(今回)と➁(次回)の二回にわたって述べること
とする。
学んだ一つ目は、朝一番の熟練の大工さんの作業風景に
ついてである。
先ず手にするのは、刃物(鑿・鉋など)と砥石であり、
そして徐に研ぐ姿であった。
そのさまは、無我の境というか真剣そのもので、
声をかけるのさえ躊躇わせる雰囲気があった。
その作業には、
* 穴を穿つ・削る・切断するなどの道具と自らの
呼吸を整えること。(身体的作業)
* これからの作業の手順などを熟慮すると共に、
心を整えること。(精神滝作業)
という、少なくとも二つの意味があったのだ。
年齢や経験に関係なく、腕の未熟な職人ほど、
直ぐ材木の刻みにとりかかるのである。
当然、失敗の確率は高いから、棟梁も心得ていて
重要な作業には就けない。
当人は気が付かないから、不満を持つが反省がないから
進歩しない。
つまり、熟練の大工さんは至極当たり前の如く、
所作習慣は第二の天性(記述)・習慣は自然の如し
(習い性となる)は、地で行く(職人根性本来の姿)だった、のだ。
目的を達成させるためには、己自身の能力と対象とする
相手を把握(明白に知る)することである。
つまり、彼を知り己を知れば百戦殆うからず(孫子)で
ある。
そこで序でに、慣用句を幾つか挙げて記せば、
段取り八分(割)仕事は二分(割)=E転ばぬ先の杖
・備えあれば憂いなし
ただ、今ではこのような下仕事風景は殆ど見られなく
なってしまった。
神社建築などを扱う宮大工等一部を除いて、
プレカット工法(※)一辺倒に近く、展示場などでの見学を
通して客の購買心を煽り、現場では施工の手間を省き短期間で仕上
げることで、各社が競っての儲け仕事・高利や打算の
功利主義なのだ。
手間を惜しんでは、決して良質のものが出来る訳があり
得ない、ことを断言しておきたい。
〈用語注〉:
弗(ず):この場合は、打ち消しの助字「ず」で、
…しない・…でない。
慮(おもんばーる):思いめぐらす・遠謀深慮・考え
・計画
胡(なんぞ):この場合は助字で、「なんぞ」疑問・反語
・原因・理由〜どうしてか。
獲る:手に入れる。
プレカット工法:事前に工場で機械的に加工しておき、
建築現場ではそれらを組み上げて建てていく方法で、
一種のプレハブやユニットハウスと同程度で効率主義の
産物である。