2022年09月12日
書経 8
(伊尹曰、)
弗爲胡成。
為さ弗んば胡ぞ成らん。
為さなければ、何事も出来るものでは無い。
(伊尹の言葉)
<管 見>
前回に続いての至言である。
➁今回の至言〜<実行の大切さ>についてで、
つまり、為せば成る…であるが、今回の至言を
基としたと思われる金言が日本にもみられる。
それは、
*武田信玄の為せば成る、為さねば成らぬ成る業を、
成らぬと捨つる人の儚さ≠ニいう人間の性
(実行を伴った意志の強弱)を如実に詠った歌であり、
そして、さらにこの言葉を模範として、
*上杉中興の祖と言われる鷹山が為せば成る、
為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなり
けり♂ニ臣に教訓として示し、自らも質素・
倹約を率先垂範して財政危機に陥っていた藩を経営
改革により立て直した、
ということである。
序でに記せば、
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
これは、嘗ての日米開戦時の旧海軍連合艦隊司令長官山本五十六の言葉だとされているが、それは同郷の越後とも関わり合いのある、上杉鷹山の家訓を範としているともいわれている。
[※上杉謙信の没後、上杉景勝の時代に天下分け目の合戦が関ヶ原で行われ、景勝は徳川家康に降伏すると、出羽国米沢30万石に減移封された。
時代は流れ、江戸の中期。出羽国米沢藩の第9代藩主、上杉治憲は領地返上寸前の米沢藩を立て直さねばならなかった。
この人こそ、江戸時代屈指の名君として名高く、現代においても日本だけに留まらず、米国のケネディ元大統領・他など最も尊敬する政治家としていた、とされる上杉鷹山である。]
つまり、今回の至言の言わんとしていることは、
前回の至言「弗慮胡獲」慮ら弗んば胡ぞ獲ん。
(思慮を十分に練らなければ、決して収穫はある者ではない)ばかりではだめなのだ。
行動に移さなければそこから先へは一歩も進まず、現状維持は疎か(言うまでも無く)事態は悪化の一途を辿るのみなのである。
前記の優れた人たちをみれば納得するように、熟慮はすれども決心したら、断行あるのみなのだ。
それに、何れの人たちも率先垂範≠旨に心は微動だにせず山の如く不動なのだ。
〈用語注〉: