2022年12月13日
2022年12月12日
春秋左氏伝 10
国の将に亡びとするや必ず制多し。
亡びかけた国というものは、常に法令が多くなる。
また、「繁文は亡国の兆し」ともいうらしい。
<管 見>
『老子』には「天下に忌憚多くして、民弥弥貧し。
民、利器多くして国家滋滋昏し」(既記)
という至言同様、これもまた過ぎたるは猶及ば
ざるが如し=E薬も過ぎれば毒となる≠ニいう
ことだろう。
愚生の子育て(…というほどのものでも無いが)に
対する持論としてきたのが、温室栽培(ある期
間は必要だが…)よりも厳しい環境の露地栽培が
肝要≠ニいうことである。
これはまた親の気持ちより子供の気持ちを優先に
ともいうことにも通じもので、親の望みが強すぎて
あれこれと弄り過ぎてしまうこと・期待し過ぎてしまうことを
戒める意味で、愚生はこのことだけは己に言い聞かせて、
実践してきたつもりである。
この考えの本は、
子供を成長させてくれるのは親では無く、
世の中の出逢いによって多くの人たち(幼友達をはじめ、
成長に伴い沢山の人たちによる影響)である、
という確信からである。
敢えて言い換えれば、助長≠慎むということ
でもある。
またまた、筆が走り過ぎる(言葉が過ぎる)と言われる
だろうけど、愚生の衰えた脳を活性させるつもりで
助長≠ノついて記すことにする。
助長≠ニは、古代中国、戦国時代(BC403〜BC221)の
『孟子』の中にある、苗の成長を早めようと引っ張った
宋の人(愚人の代名詞)の話からできた故事成語である。
〜宋の国の人で畑の苗が成長しないのを心配してこれを
上に引っ張る者がいた。
その経緯は、
<疲れて家に帰り、家の人にこう言った、
「いやぁ今日は疲れたなぁ〜、いやぁ実はな、
苗がなかなか伸びないので、この手で引っ張って成
長を助けてやったんだ」
その人の子供が走って苗を見に行くと、苗は枯れて
しまっていた>
つまり、自分では良かれと思って余計な世話を焼くと、
かえって駄目にしてしまう場合多いことだ、
というわけである。
この話しに、我が意を得たりの思いがしたのを覚えて
いる。
その後、親の立場になっても仕事一筋の日々に明け暮れ
していた。
そんな愚生に、自身の自己弁護だの無責任な言い逃れだ…
などと、親戚・知人などから言われたものだ。
そればかりか、(詳細は省くけれど)子供の進学関係での
三者面談でも、持論を主張する愚生と教師とで、ちょとした
やり取りがあった。
最後に、教師の言を払拭するように、愚生は言い切った。
「落ちたら浪人などせず就職すべきであり、向学の志次第
で勉学の道はいくらでもある」と。
帰宅してから、「稼ぎが不安定で、申し訳ない」と、
長男に頭を下げて謝った。
これは、五十年程前のことだが、昨日のことのように
記憶が蘇ってくる。
顧みれば、周囲からの(自己弁護だ)の誹りも、最近では
齢のせいか「むべなるかな」とも感じてはいる。
嘗ては、当時を飾らぬ気持ちで表現すれば、
Simple is Best(単純・素朴がなにより)と嘯き、多少
というよりもかなりな部分高楊枝的なやせ我慢だった
が、現在では素直に認めざるを得ない。
ところで、(私事は別として)、
社会制度は、その時代を反映するものであり、特に国
(権力)など公的機関が発する制度・締め付け…により
個人の自由が束縛された過去の事例をみれば、明らかである。
例えば、戦争に勝つという目的のために(国という名目
のもとに)一部の権力者が優先され、多くの国民に犠牲が
強いられたこともあった。
また、振り返ってみれば、生きていくことが精いっぱい
の敗戦後の惨めな生活(1,945〜1,960年前後)。
そこには、旺盛な向学心が木っ端微塵に砕かれて、
当然の風潮が厳然としてあった。
広く思量すれば世の中の大勢・権力を優先だったし、
また、狭く思考すれば家族の生活が優先で、
子供の自由など顧みることも無かった。
それが世間の当然の世相でもあったから、個々の
親たちの所為では無かったのだろう。
我が人生は常に底辺にあった。
でも、常に自力で凌いできた。
だから、負け惜しみといわれるだろうが、現在幸せ
をしみじみ感じていられるのは、これまでモットーと
してきた、名利を望まない心掛けのお蔭だと思う。
A child grows up without a father
(父親がいなくても子は育つ)は、我が信条である。
これもまた、愚生の独断と偏見かもしれないけど…。
〈用語注〉:
制:法令・制度。
繁文:しつこい文飾。
規則などが多くて面倒なこと。
忌憚:遠慮すること。
忌み憚ること。
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2022年12月05日
春秋左氏伝 9
髪短かけれども心甚だ長し。
年老いて髪は短くなっても、その智計は甚だ深い。
<管 見>
(八十路となったとは言えども、馬齢を重ねただけ
の愚老の場合のように、髪は短いどころかつるっ禿
になっているのにも拘わらず、元々智計の基と
なる智恵・知力・才智などに欠けるうえに、最近頓
に頭の働きが衰え鈍くなっている者もいるが…)
扨て、人が成長するにつれて習得する知識には、
(独断だが)
@ 暗黙知:その人しか通用しない知識や技術。
(頭脳より身体に滲み込んだ、所謂、熟練)
言葉や映像など伝達手段では、他の人たちに
伝達することが困難なもの。
A 形式知:他の人たち(第三者であっても)習得
が比較的容易な知識や技術。
言葉や映像など伝達手段によって、他の人たち
に伝達することが容易なもの。
の二つに分けられる。
これを理解するのに良い例は?
例えば、
*家庭料理(便利な機器を使わないでの手作り料理)
〜前記の@
仮にレシピがあっても、本物の味は一朝一夕では
決して習得することは無理。
*冷凍食品など(スーパーなどでの)やパックされて
いるもの〜前記のA
電子レンジなどを使えば、愚老のような者でも食
することができる。
但し、舌でしみじみ味わう手作り(材料の組み合わせ
+作り手の手加減による=見えない人情が加わった
作り手による微妙な味わい)…、云々は言えない。
ところで、突然だけれど、過ぎ日のある新聞の記事が
浮かんできた。
それというのは、今年(2,022年)の春に亡くなった
元前橋地検検事正で、現役時代は
*リクルート事件
*共和事件
*ゼネコン汚職
…、政界が絡む大型事件で大物政治家を取り調べ、
自供に導き逮捕したことで知られる熊崎勝彦さ
んのことである。
記者の「取り調べの極意は?」の問いに、
「人にはみんな持ち味がある。それを生かして、
全身全霊で相対するそれしかない」と答えた。
ノウハウ(専門的な技術・知識)やマニュアル
(取り扱い説明書・手引き書)を信じない人だった、と
関係者は一様に語っていた。
つまり、これもまた前記@の暗黙知の範疇であろう。
世は益々「効率主義」を掲げ、そして求めている。
それは、学校教育・一般社会(企業など各界)挙って
然りなのである。
*過程における弛まぬ努力の重要性
*結果を急いで求める風潮への戒め
*失敗・無駄の重要性
世は浮かれている。
原点への回帰≠望みたい。
〈用語注〉:
智計:知恵をめぐらしたはかりごと。知謀。