2022年12月19日

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春秋左氏伝 11

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春秋左氏伝・學殖也。

学は殖なり。

学問とは、草木を移植し繁殖させるようなものである。

学問は次第にその人を豊かにし、多才にするものだ、

という。


<管 見>

「殖」は、@しげる・そだつ・そだてる…

Aふえる・ふやす・たくわえる…

Bうえるなどだが、この場合は、Aの意が

相応しいであろう。

つまり、「学殖」とは「学んで集める・積み重ねる

・蓄える」であり、その為には先ずは自ら努力

して実行を繰り返すことによる土台・基礎となるものが

必須なのだ。

その結果として「蓄えられた知識」によって人間性の

豊かさにも通じるようになる、のだという。


だから春秋左氏伝では「学は殖なり」と言明し、続けて

「不学将落」()と断言している。


努力=苦しみ()と成果=楽しみ()とは因果関係に

ある、と思う。

ある目的のために努力を尽くし励めば、相応の結果や

成果を得ることは確かである。

若し、成果が得られないとすれば、それはまだ努力が

足らないのだ。

但し、成果とか評価などは期待せず、一歩いや半歩でも

前進していることが自覚出来れば、良しと

してそれを糧・励みに継続すれば、やがてそのことが

楽しさになる。

「苦中作楽」という言葉がある。愚生の体験⇒経験から

すれば(本来の意とはことなるが)、与えられた仕事を夢中

で熟している内に、(性分だと解釈しているのだけれど)基本的な

ことが身に付くとあれこれ自身で工夫をしたくなるのを抑えきれ

なくなってしまうのである。


また、「守破離(しゅはり)()という言葉がある。

これもまた性分だろうが、我の強さからか?何時までも

基本通りでは納まらなくなり、我流の芽が生じて独自の道

を歩み始めることになる。

始めの試行錯誤の段階では、失敗の連続で苦しいばかり

だが、やがて徐々に形を成してくるに従い楽しさが増してくる。


確りと努力()をすれば、必ず成果()が顕れる。

それは不思議でもなんでもなく、道理()なのだ。


〈用語注〉:

不学将落:学ばざれば将に落ちたり(学ばなければ

木の葉や花が枯れ落ちるように、人間性が衰える一方で、

非才に陥る)

苦中作楽:苦しい中で楽しみを作り出すこと。

上記の類語として、

苦中有楽:どんな苦にも楽がある。苦の中にこそ楽を

     観つめよ。

苦中有楽苦即楽:苦しみの中に楽しみがあり、

        極めれば苦しみは、即楽しみとなる。

守破離:第1段階の「守」では、師の教えを型どおりに身につけます。

    型を完全にマスターできたら

   「破」に移り、師の教えに自分独自のものを加えていきます。

    最後の「離」で師を離れて独立すること。


道理:物事のそうあるべきこと・当然のすじみち

   ・正しい論理。


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