我
持 三 有
保 而 寶
之
我に三宝あり。
持して之を保つ。
わたしには三つの宝があり、それをしっかりと抱き保っている。
その三宝とは、
➀「慈」、すなわち「情け」である。
➁「倹」、すなわち「慎ましやか・飾らぬこと・謙虚・控えめ 」な言動である。
B「敢えて天下の先と為らず」、すなわち「人の一番後方(しりえ)にいること」である。
<管 見>
上記(老子)の三宝を玩味し、改めて己に照らし合わせてみた時、
➀は、常に(何時でも・何処でも不変)ではなく、時に応じての情動次第(手前勝手)なのだ。
➁もまた然りである。
Bは、積極的な言動ではなく、己の不徳から招いた結果としての位置なのだ。
だから、愚生の(老子のいうところの)三宝に該当するものは、皆無ではないけれども乏しいものといえる。
愚生自身「日暮れて途遠し」の感を拭えないことは、十分承知している。
けれど、生来の頑固さは今も健在故、これを基にして生ある限り惜しむことなく努め、挑み続けたい。