跨
者
不
行
跨ぐ者は行かず。
大股で歩く者は、決して遠くまで歩き続けることは出来ない。
何故なら、無理をしているからである。
<管 見>
この語句の前には、「跂者不立」[跂(つまだ)つ者は立たず]と、述べている。
つまり、背伸びをしてつま先だてば、重心が上がり接地面積が狭くなるから、当然不安定な状態となる。
その結果、しっかり立つ事も,また同じ状態を維持することも出来ない、という訳になる。
そして、歩幅を広くしてで歩けば、疲れてしまって歩き続ける事が出来ないのも,また然りである。
上記に記した「無理をする」のは、能力が無いのに他者より優位に立とうとする短慮が為せるのだろう。
ところで、「跂者」(きしゃ)も「跨者」(こしゃ)も、陸(ろく)・水平ではなく、傾斜・偏見・歪の類である。
* 自らや佞人の言動を全く正しいなどと吹聴するものは、明智の持ち主とは言えまい。
* 自らや佞人を限りなく是とする者は、独善的・自己陶酔型の偏った「心満意足」しか得られまい。
* 自惚れが強いものは、阿諛追従の輩以外(声なき声)からは褒め称えられる事はあるまい。
* 慢心の強いものは、それ以上成長する事はあり得まい。
老子の無為自然の勧めは、「自然に生きよ」という勧めに他ならない。
自分を大きく見せかけようとして、背伸びをしたり、人よりも少しでも早く目的地へ到達しようとして大股で歩いたりすれば、それは長続きせず、必ずいつかは、息切れがして、躓いたり、倒れたりしてしまうだろう。
序でに記せば、それらを断れない、これは無理だ、出来ないと言えないのは、何故なのか。
そこにあるのは、
*人との競争に負けたくない、
*立身出世の道から外れたくない、
*駄目な奴だと思われたくない、
等々、(見える形だけに心を砕くといった)自身を偏愛した欲望と見栄以外の何ものでもない。
これらは総て自分で自分の首をしめる行為に他ならない。
*無理をしない、
*背伸びをしない、
ということは、自分に相応しい努力をしながら、分を弁える(知足)という事に他ならない。
そうすれば、本当に楽に暮らせるよ。