2021年12月06日

孔子(論語・雍也〜子游曰) F

50孔子 F_20210710 (17).jpg

       行
       不
       由
       徑

行くに径に由らず。


<注>雍也(ようや):人の上に立って指揮ができる人物

大道を真っ直ぐに進むのが良いのだ。

それは、一見すると回り道に見えても、平らで正しいのだ。

これに反して、見るからに変化に富んだ魅力ある近道だと思えても、そのような小道はやがて行き詰まる、という。



<管 見>

子游(孔子の弟子)が武城(魯国)の長官になった。

そこで、孔子は子游を訪ねた。

孔子は言った、

「お前は有能な人材を見つけたか。」

子游が答えた。

「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。

彼は(澹台滅明)、道を行くときは近道をしません。

それに、公用がないときは、私の家の部屋に来たことはありません。」


この時代には、

「役人という者は、常に天下の公道を歩むべきであって、間道をこそこそ歩むな」

と、定められていた。

つまり、万民に仕えるつもりで常に公明正大を旨として、私利私欲を満たすために抜け道を探し求め、歩むことにつとめるようなことがあってはならない、というのだろう。


また、用もないのにやたら上役の部屋に行くのも好ましくない、とされていた。

これを言い換えれば、公用以外にわざわざ上司を訪ねるというのは、媚び諂いなどの邪な思惑があるからに違いない、のだ。

自分の仕事に専念していれば、そのような必要はない。

また、そんな暇はない。


序でに記せば、

澹台滅明は醜男であった。

そこで孔子は、外見から判断して才能を低く見ていた、という。

だが、彼は、後に三百人からの弟子を持つほどの人物になったのだ。


後にそれを知った孔子は、己の判断の過ちを悔いた、といわれる。

従って、孔子よりも子游の方が人物鑑定が上だったことになる。


上に立つ者ほど、日々の研鑽が必要であり、大切なのだ。



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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