帰りて之を求めば、余師あらん。
退いて静かに求めれば、学ぶべき師はたくさんあるであろう。
人生、いたるところに師がいるものだ。
<管 見>
〈注〉
曹:(BC1046年 -BC487年)は、中国大陸に西周から春秋時代にわたって存在した小国である。国姓は姫。国都は陶丘(現在の山東省菏沢市定陶区の南西)。
創始者は周の武王の弟の曹叔振鐸。
周代の尺:≒18cm〜23cm⇒≒20cm
∴文王は≒2m・湯王は≒1.8m
曹の君主の弟であった曹交が、孟子に尋ねた。
「人は誰でも堯や舜のような人物になれるというが、それは本当でしょうか。」
孟子は言った。
「その通りです。」
「聞く所によると、周の文王は身長が十尺あり、殷の湯王の身長は九尺あったそうです。
それなのに、私は九尺四寸(1.88m)もあるけど、自分でもあきれるほどだらしない人生です。
何故、堯や舜のような素晴らしい人物になれないのでしょうか。」
「身長などは関係ありません。
ただ仁義の道を行うだけです。〈注〉仁義:思いやりの心と正しい行い。
例えば、
*今一匹の鴨の雛さえ持ち上げることが出来ない人がいれば、世間は力のない人だと言うでしょう。
*百鈞(60s)を持ち上げると言う人がいれば、世間は力持ちだと言うでしょう。
それならば、力持ちで有名な烏獲(戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約8000s)と同じように持ち上げる人がいれば、その人も烏獲と同じだと言うほかはありません。
だから、人は力が足りないことを悩む必要はないのです。
要は、努力しないことに問題があるのです。
年長者と同行する時、ゆっくり歩いて後ろから従っていくのが徳で、速足で年長者の前を歩くのを不弟(年少者・礼としての道を守らないこと)と言うのです。
ゆっくり歩くことは、どうして人のできないことでありましょうか。
出来ないのではなく、そうしないだけの事です。
堯・舜の道は、ただ孝弟の徳を行うだけの事です。
あなたが堯と同じ礼に適った服を着、堯と同じ仁義に適った正しい言葉を述べ、堯の孝悌(兄や年長者に従うこと)の正しい行いを実行すれば、あなたは堯になれるでしょう。
これに反して、あなたが桀と同じ非礼の服を着、仁義に悖る言葉を述べ、暴虐な行いをしたならば、あなたは桀と同じ人間にほかありません。」
「私は鄒君にお目見えしたら、屋敷を借りることが出来ます。できればしばらく滞在して、先生よりお教えを受けたいと存じます。」
「いや、人の道は大路(大道)のようなものです。どうしてそれを知るのに難しいことが有りましょうか。
求めないことが問題なのです。
〈愚生注〉この場合の大路とは、多くの才能ある人たちが行き交う場所に己が居ても、求めようとする自覚や人を見抜く力が無ければ、単なる喧噪な大通りにしか見えない、の意だろう。
求める気さえあれば、帰られても(現在の居るべき場所)、師とすべき人物が必ずおられるでしょう。
無理にここに留まる必要はありません。」
(愚生の短見だが)この意味は、立派な人物になるのは、難しいことはない、ただそれを為そうと努力しないだけである、というのが趣意なのだろう。
趙岐(後漢末の政治家)の章指(心裏を文章にしたものか?)にも、天下の大道、人並び之に由る、為さざるを病、能わざるを患えず、と述べている。
愚生なりきに解釈して記せば、
才能が無くて出来ないのではなく、省みる事もせず・実行しようとしない、所謂、自らの努力を惜しみただ漫然として、為さねばならぬことを怠っているのだ ということだと受け止めるが、如何だろうか。