2022年04月25日

孟子 17

70孟子 P_20220122 (6).jpg

       不    是
       知    之
       務    謂        
          
          

是を之れ、務めを知らずと謂う。

先にすべきものを後にし、重い務めを軽く取り扱う。

そういう者を、務めを知らない者だ、というのである。


<管 見>

前文を含めて記せば、孟子は次のように言った、という。

知者とは、本来如何なることでも熟知しているけれども、

早急にせねばならない物事に取り掛ることを、

最優先するのだ。

仁者は、本来如何なるものでも愛さないものはないけれども、

先ずは賢者と親しむのを最優先とするのが務めなのだ。

堯や舜(聖天子と言われる三皇五帝)の知は、

本来対象となるヒト・モノ・コトに偏りが無い。

然し、先に為すべき課題を急ぐのだ。

堯舜の仁は、本来他人を偏って愛することなどない。

然し、賢者と親しむのを急ぐのだ。

最も大切な三年の喪を行いもせずに、

(喪服)や功のような軽い喪の事を具に論議したり、

大飯を食らい、汁物を流し込むように飲んだりするような、

大きな非礼を行いながら、重箱の隅を突っつくような

僅かな言動を、針小棒大に取り上げてさも大きな問題とする。

これこそ、先ず為さねばならない本務を知らない、

ということであって、当に本末転倒というべき品性に

欠けた言動であろう。

次に遠い親族に対して行なう五ヶ月の喪について、

とやかく言ったり、

大食や啜り飲むなどの無礼な態度を、

平然としておきながら、他人には『けっするな』

などと説教する。

こういう輩を、真に為すべきこと・道理を知らない者だ」、と。


このように聖人君子といえども人間だから、

能力の受容力には限度があるから、

配慮に欠ける場合もあろう。

それを目下或いは周囲の者が推量して配慮して、

綻びを補っていくのが儒教のいわば

「ただの集団でない正しい組織」なのだ。

それは、各界の彼方此方で見られる、

横暴な権力の乱用による弱者への

パワーハラスメントとなって現象化しているのだ。

然し、当人の認識は己が神の如く存在であって、

何の反省もなく当然のように振舞っている。


組織とは、上司は仁者として人間として対等である、

とうことを十分認識したうえで部下に対応し、

下の者はそれに呼応して尊敬の念を持ちながらも、

媚びることなく

One for All, All for One(一人はみんなのために、

みんなは一つの目的のために)をモットーに、

共通の目的を達成すべき互いに努力し合うものだろう。

さらに補足すれば、決して公式ではなくとも、

各自夫々の立場に応じた役割を果たすために、

それに応じた義務・責任を伴い合って、

互いに思いやるのある規律ある集合体ではなかろうか。


〈用語注〉:

()」〜緦麻のこと、細い麻糸で織った喪服で、

    五段階の喪服の中では最も軽く、喪の期間は三月。

小功(しょうこう)」〜細やかに織った麻の喪服、下から二番目、

      喪の期間は五ヶ月。

放飯流(ほうはんりゅうせつ)「放飯」は、放に大食すること。

(せつ)」は、啜り飲む意、「流歠」で、

     汁物を流し込むように飲むことー暴飲暴食。

     従って、礼の無い、無礼な態度。

(けっ)()」〜決齒は、乾し肉を噛み切る、不敬の小なる者を指す。

本来は、食べる大きさに手で小さく裂くのが正しい礼だ、

    という。

仁者(じんしゃ)」〜情け深い人。儒教の説く仁徳を備えた人。

仁徳(じんとく)」〜他人に対する思いやりの心。

賢者(けんじゃ)」〜聖人に次ぐすぐれた人。賢明で堅実な人。

     道理に通じたかしこい人。

(じん)」〜愛情を他に及ぼすこと。いつくしみ。

    なさけ。思いやり。

(こう)」〜働きによって成功をおさめたその手柄。


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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