2022年05月02日

孟子 18

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      非     惡
         而
      者     似


似て非なる者を(にく)む。


外貌だけが善いものに似て、内実がそれとは裏腹、

所謂似非者(えせもの)は大嫌いだ!≠ニ、いうのだ。


<管 見>

この至言は、孟子の巻第十四盡心章句下二百五十九節

「…郷原徳賊也(郷原は徳の賊なり)…」

(後略)の中にある語である。

概略を掴むために、前後を以下に少し記してみる。

(※孟子と弟子の(ばん)(しょう)の問答形式)

弟子の(ばん)(しょう)

「孔子が陳の国で困窮したとき、

故郷の魯に思いをはせて、

『さあ、帰ろう。我が故郷(魯の国)の人たちは、

*志は大きいが、物事に対しては疎略である。

*大道を行うことを望みながら、道を得ることが出来ずにいる。

そんな昔の仲間を忘れることが出来ない。』

と、言われたそうですが、孔子は陳の国にいながら、

どうして魯の疎略な連中に思いを寄せたので

しょうか。」

孟子は、それに答えて曰く。

「孔子は、『中庸(儒教の中心的概念)の道を

得た人と共にすることが出来ないなら、

*せめて我武者羅に突き進む狂者(きょうしゃ)(志が大きくて、

細事を顧みない人)か、

 〜狂者は積極的であるから…。

*保守的である獧者(けんしゃ)(心が狭いが、

 信念がが固い人)

 〜獧者は保守的であるが、不善を為さない者であるから…。

狂者か獧者を選ぼう。』と考えたのだ。

孔子が、何故中庸(儒教の根本)を得た者を、

求めないことがあろうか。

ただ、それが必ず見つかるとは限らないから、

(次善として)その次の(きょうけん)の人たちのことを思ったのだ。」

「では、どのような人物を狂者と言うのでしょうか。」

「琴張・曾皙・牧皮のような(七十子(しちじっし)にさえ存在しない)

人物は、孔子が狂者とする所の者だ。」

「どうして彼らを狂者と言うのですか。」

「志は大きいが、言うことも大きく、

常に古の聖人を引き合いに出すが、

その言葉通り実行が無い者を狂者きょうしゃと言う。

だが、こんな狂者でもなかなか見つけることはできない。

だから不潔な行いを潔しとしない人を探し出して、

行動を共にしたいと願うわけで、これが獧者けんしゃであり、

狂者の次に来る者だ。」

「孔子は、『私の門前を通り過ぎながら、

私の部屋に入った来なくとも、いっこうに残念だと思わない人は、

郷原()だけであろう。

郷原は徳をそこなう〈傷つける・壊す〉ものである。』

と言われましたが、どういうのを郷原と言ってよいのですか。」

郷原(きょうげん)は、狂者を非難して、『どうしてあのように、

志も言葉も大きいだけで、言葉に実行が伴わず、

実行に言葉が伴わなず、ただ古の人、古の人と言うだけなのか。』

と評し、又獧者に対しては、『どうして人と親しまず、

何事も一人で行動するのだ。人としてこの世に生まれたら、

人としてこの世に生き、世間から善く思われれば、

それでよいのではないか。』と評す。

本心を隠して世に媚びる者、それが郷原なのだ。」

萬章が言った。

「村中の人が、あの人は慎み深いと言えば、

どこへ行っても慎み深い人だと言われるでしょう。

それなのに孔子が徳の賊だとされたのは、どうしてでしょうか。」

「これを非難しようとしても非難する所が無く、

これをそしろうとしても謗る所がない。

堕落した世俗の流れにのり、汚れた世に合わせ、

身の処し方は忠信に似ており、

その行動は清廉潔白に見え、

人々は皆その人に好感を寄せる。

そして自分でもそれが正しいと思い込んでいるが、

とてもではないが、この様な人間と、

堯舜の伝える真の道に入ることは出来ない。

だからこれを徳の賊と呼んだのだ。

孔子は、『表面上は似ているが、

根本は全く異なっているものを憎む。

例えば、

 ゆう(猫じゃらし)を憎むのは、表面上は似ているのに、

   その実は苗に害を及ぼすからであり、

*口先だけの偽善者を憎むのは、

 それが義との区別を紛らわしくさせるからであり、

*口先だけが達者な人間を憎むのは、

 真実を紛らわせるからであり、

*淫靡な鄭の音楽を憎むのは、

 正しい古典音楽に紛らわしいからであり、

*紫色を憎むのは、

純粋な朱色との区別を紛らわしくさせるから、

である。

それらと同様に郷原を憎むのは、

真に徳のある者との区別を紛らわしくさせるからである。』と

言われた。

君子(理想的人格)たる者は、

万世変わることのない常道

(常に人が守るべき道徳)に立ち返るだけである。

常道(真理・守るべき道徳)さえ正しければ、

庶民はいっせいに立ち上がる。

庶民が立ち上がりさえすれば、

郷原のようなまやかしの邪悪は無くなってしまうのだ。」


〈用語注〉:

孔門の十哲:孔子の門人中、学徳のすぐれた十人の高弟。

徳行に優れた者〜顔淵・閔子騫(びんしけん)(ぜん)(はく)(ぎゅう)・仲弓。

言語に優れた者〜宰我・子貢。

政事に優れた者〜(ぜん)(ゆう)・子路。

文学に優れた者〜子游・子夏。

七十子(しちじっし):孔子の門人のうち才能の突出した70余人の学生をさす。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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