2022年05月16日

大学 1

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       事   物
       有   有
       終   本
       始   末


物には本末有り、事には終始有り。


何事にも始めと終わりがあり、如何なる物にも本と末と

がある。

人生においても根本とすべきものと、そうでないものとが

あり、何事をするにも何から始めるか、

最後は何にするかという、始めと終わりとがある。

その本末・前後を誤らぬことが、結局、

成就への近道になる、という。


<管 見>

要点とその手順とを確り掴んでおけば、

まず誤りを起こさないことなのだ。

物事に対処する場合、

*全体を俯瞰して把握すること。

*手順を計画し、練りに練ってその道筋を決めておく。

*必要性を玩味する⇒必要(欲求)が確認し、

 確信されれば自ずとアイデアが生ずる。

*見直し⇒枝葉末節に惑わされずに、

 肝心なところを見落としていないか?要、確認。


例えば、国土の究極の災厄は、田畑の荒れ果てる

ことである。

田畑は五穀を生産してくれ、全てはこれによって不足なく

 整い生活できる。

(これは、人間社会のみに限らない)

*農は国の本である。(田畑が荒廃すれば、五穀は不足する)

*従って、人々・戸数も減る一方で、やがて国が衰えることに

 なる。

その時に当って衰えたものを挙げ、再復しようとすれば、

人は皆その荒地を開こうとする。

然し、田畑の荒廃は田畑から起るのではない。

原因は、人の心の退廃である。

何故なら、最盛期の時に質素・倹約を怠り、

誰もかれも華美・美酒…贅沢三昧、いざという時の蓄えを

せずに費す、

といった暮らしに明け暮れればモノには限りがあるから、

やがては極まる。

そのような時に、また無能な策をとることが多いのである。

*不足すれば税を取り立てれば…という付け焼き刃的な

 処置である。

*すると、民は困窮し、勤労も税も不足を補うにたらない。

*民の戸数は非常に減少し、統治者もまた困窮し、

 国の衰えに帰結することになる。


原因が物的なものに無く、精神(心構え)的な面にあるのだから、

そこから着手するのが最善手なのだが、立場の関係や欲望

などから、往々にしてその道を誤るのである。

このような場合に想起するのが、

(中国)北宋時代(6代神宗皇帝)の王安石が行った革新的な

諸政策であり、

その主なものを記せば、

*均輸法:年間の政府必要物資の種類と量とを揚州の

 発運司 に通知し, 多量に産する地方で調達させ,

 人民には産しない物を 要求せず, 多く産する物を代納させ,

 これが不要のときは 必要とする地方に運んで売却するもので,

 商人の中間搾取を排し,政府の消費経済を合理化しようとしたもの。

*青苗法:植付け前に種籾などの欠乏する農民に低利で融資し,

 収穫時に元利を返済させる法で,地主の圧迫から農民を救済

 しよう としたもの。

*市易法:商人に対する低利融資法。

*方田均税法:田の東西南北各 1000 (方田) を基準として検地を

 行い, 租税額を公平にする法。

*募役法 (役法):職役の負担方法の改革。

*保甲法:10家を1保,5保を大保,10大保を都保とし,保長,

 大保長, 都保正をおき,警察のことを司らせ,

 毎年農閑期に武事を教習させる法。

*保馬法:保甲の希望者に馬を養わせる法で,

 代償として賦役を免じた。

この他、倉法・手実法・三舎法などがある。

この「至言」シリーズの第一回に登場した、愚生の敬仰する

人を覚えておられるだろうか。

人生樂在相知心≠フ王安石である。

この前に漢恩自浅胡恩自深≠フ句があり、

優れた政治家であったと同時に詩人としても才能を示したが、

その根幹には深い「仁」に富んだ、王安石の人間性があることに

思いが至るのである。  

この詩のヒロインが王昭君である。

王昭君は前漢代の宮女で、きょうねい1(BC 33) 年元帝の命により、

前漢の匈奴に対する、融和政策により、

呼韓邪単于こかんやぜんう に嫁がされた。

(王昭君は、匈奴に対する懐柔策の犠牲者といえる)

古来、中国文学の題材として扱われるが,

この悲劇は宮廷画家もう延寿えんじゅ に賄賂を贈らなかった爲、

故意に醜女に描かれたことに起因するとされる。

当に、漢の国に生まれながらも、

人をモノ扱いする漢王朝の恩(恵み・情け・慈しみ)は浅く。

然し、胡の国と蔑まれる匈奴に嫁してみると、

思いのほか人情に篤いことが日にちに理解されてくるに従い、

(匈奴)の国の良さが身に沁みてくるのだった。

つまり、えびす(匈奴)の国の恩(恵み・情け・慈しみ)が深い、

ことが身を以て感じられるのだった。

この出来事を、≒1070年後(北宋時代960年―1127)に、

王安石が彼流に詩で表現したのである。

今回「至言」物には本末有り、事には終始有り≠捩れば、

人生にも本末有り、言行にも終始有りともいえる。



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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