給の道。
自分の心を尺度として、
その心を携えて人の心を慮っていく。
つまり、思いやりの道である。
<管 見>
この至言は、「忠恕之道」(※)に通じる、
という。
そして、同じ章に「上に悪む所、
以て下を使うこと毋れ」の至言がある。
この意は、
上の人の自分に対するやり方が
不当だと思われるならば、それを教訓として
、自分が下の人に対する場合にはその同じやり方を
してはならない。
つまり、
「己の欲せざる所は人に施す莫れ」である。
他人からしてもらいたくないことは、
自分も他人にしない。
自分が嫌なことは、同じように他人も嫌
なのだから、当然しないことだ。
これは、前後左右・上下・遠近などを問わず
あらゆる人間関係にいえる事だろう。
若し、円滑な人間関係を望むならば、
自分以外の人から人として道理に合わない扱いや
理不尽なことを強いられた場合には中継するのでなくて、
己のところで絶つことが肝要なのだ。
つまり、自分が不当な扱いをされたからといって、
その腹いせを他の者にそっくり同じことをする
のではなく、己のところで止めることが肝要なのだ。
己が味わった痛みを、
教訓として捉えて他に及ぼさないようにするのが、
人間の取るべき道であり、
それが即ち、「思いやり」の道なのだ。
性善説(孟子)〜本性は善だが、
物欲などの後天的行為によって悪となる。
と
性悪説(荀子)〜〜本性は悪だが、
学問などの後天的行為によって善となる。
との説があるが、
何れにしても善悪の多少にかかわらず、
内臓していることは、間違いなく我々人間
の実態であろう。
人間の性ともいうべき規範(※)は、
私たちが何をすべきか何をすべきでないかを
示すものである。
これは、法律などで法的根拠に基づき
法制化するようなことの以前の問題という、
人間として基本的な嗜み(節度)というものであって、
不文律(※)の範囲内のものである。
〈用語注〉:
給:(ものさしを当てて計ること)
⇒自分の心をもとにして他人の心を
思いやるというやり方。
即ち、思いやり。
忠恕之道:真心と思いやりの生き方。
妬み:自分には無く他人が所有することが羨ましく、
相手に対して憎しみや怒りなどの感情を持つこと。
嫉み:自他を比較し、他人の優れた部分を羨ましく、
悔しく思うこと。
規範:行動や判断の基準となる手本。
不文律:暗黙のうちでのきまりやルール。