2022年06月27日

中庸 2

79中庸 ➁.jpg

 (子曰、…君子)
                     
           以人治人

(孔子の言葉)

人を以て、人を治む。

人間の道を以て人間を治める。

これが最上の政治だ、というのだ。

かれも人の子と、我が身に引き比べる忠恕()が、政治の

要諦となるのだ、と孔子は言う。


<管 見>

これに関連するものに、「詩経」豳風伐柯(ひんふうばつか)の詩の中にあ

る「()を伐り柯を伐る、其の(のり)遠からず」

という句がある。

その意は、「柯」、即ち斧の柄を伐ろうと考えて、山に入

った人が、その長さや太さをどのようなものにしようか?

と考え迷う、というのである。

然し、その柄を伐るための斧は、今、我が手にあるのだか

ら、それを標準に考えればよいわけだ、と気が付く。


人を治めようと考える人は、自分も人であることに気が付

けば、そこに自ずから治法()は定まるだろう、というこ

とである。



諸事に於ける当然なすべき方法として、基準・法則は、

何も遠くに求める必要はない。

それは、木を伐って()をこしらえる場合は、伐るのは他な

らぬ斧を握って、それを振るってを伐り取るのであるか

ら、目前の手元を見れば、それで済む話しなのだ。

然しそれでも、

*自分が伐ろうとする木の枝。

(それは、やがて作りだされるべき())と、

*今まさに彼の手の中に握られている((のり)としての)柯。

とは、なお別々のものであるとして思い、考え違いしてし

まうのだ。

それ故、伐る者からすれば依然として両者の間には 隔た

りを感じて、手本となるものを他に求めてしまうのであろ

う。


手に握られた()を人道として捉えてみるならば、

それは人間そのものの中に内在している則=道を、

さらなる高み・深みなどが他にあるものと考え違いをし

て、在らざる幻影を自ら思い描き、追い求める、といっ

た愚考・愚行を指すのであろう。


用語注〉:

忠恕:思いやり。

柯:斧の柄。


治法:くにを治める方法。




79中庸 ➁.jpg

 (子曰、…君子)
                     
           以人治人

(孔子の言葉)

人を以て、人を治む。

人間の道を以て人間を治める。

これが最上の政治だ、というのだ。

かれも人の子と、我が身に引き比べる忠恕()が、政治の

要諦となるのだ、と孔子は言う。


<管 見>

これに関連するものに、「詩経」豳風伐柯(ひんふうばつか)の詩の中にあ

る「()を伐り柯を伐る、其の(のり)遠からず」

という句がある。

その意は、「柯」、即ち斧の柄を伐ろうと考えて、山に入

った人が、その長さや太さをどのようなものにしようか?

と考え迷う、というのである。

然し、その柄を伐るための斧は、今、我が手にあるのだか

ら、それを標準に考えればよいわけだ、と気が付く。


人を治めようと考える人は、自分も人であることに気が付

けば、そこに自ずから治法()は定まるだろう、というこ

とである。



諸事に於ける当然なすべき方法として、基準・法則は、

何も遠くに求める必要はない。

それは、木を伐って()をこしらえる場合は、伐るのは他な

らぬ斧を握って、それを振るってを伐り取るのであるか

ら、目前の手元を見れば、それで済む話しなのだ。

然しそれでも、

*自分が伐ろうとする木の枝。

(それは、やがて作りだされるべき())と、

*今まさに彼の手の中に握られている((のり)としての)柯。

とは、なお別々のものであるとして思い、考え違いしてし

まうのだ。

それ故、伐る者からすれば依然として両者の間には 隔た

りを感じて、手本となるものを他に求めてしまうのであろ

う。


手に握られた()を人道として捉えてみるならば、

それは人間そのものの中に内在している則=道を、

さらなる高み・深みなどが他にあるものと考え違いをし

て、在らざる幻影を自ら思い描き、追い求める、といっ

た愚考・愚行を指すのであろう。


用語注〉:

忠恕:思いやり。

柯:斧の柄。


治法:くにを治める方法。





posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189374643
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック