2022年07月18日

詩経 1

82中庸 D.jpg

老馬反爲駒、不顧其後。

老馬(かえ)って駒と為る、其の後を顧みず。

過去において働いた老馬を、恰も仔馬のように粗末に扱っ

ている。

自分もやがて老馬になって同じ運命を辿ることになるの

に、考えもしない。


<管 見>

今回の至言における「老馬」を愚生は自他の立場から考え

てみたい。

つまり、「老馬」自身の立場からみた場合、

と、

「老馬」を他者の立場からみた場合、

との二面からの考察である。

*「老馬」自身の立場からみた場合では、老馬は反つて

(歳とは逆に)若い駒気取りで、後々になって重荷を背負う

(楽あらば苦あり)を慮らずに、その時になれば背負つて苦しむ

のを毛筋ほども顧みずその場限りのときを過ごす、のである。

例えば、(イソップ寓話のアリとキリギリス)のように、目先のみに

目を奪われて、将来のことを考えない人を指すのであろう。

若さに任せて遊興に明け暮れる日々を考えてみれば、

何時までも朝日のままでいると思うが如くで、やがては夕日と

なる時の訪れを疑いもしない、のだ。

*「老馬」を他者の立場からみた場合では、現役の頃は

家族を含めた周囲のために身を()にして努めたのに、

これまでの役から辞した途端に厄介者扱いをする輩が、

結構存在するのである。

それは恰も、まだ役の立たない仔馬に対する言動よりも

酷い振舞いを平気でして憚らないのだ。

(喉元過ぐれば熱さを忘る・情けが仇・後足で砂…・軒を貸して

母屋を…・宋襄の仁と化す)


何れにしても、2022-07-04に掲載した「仁者人也」を

改めて首肯されることだろう。

 


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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