2022年08月22日

書経 5

87書経 D.jpg

(ちゅうき曰、…))

改過不吝。


過ちを改めることに()、躊躇ってはならない、というの

だ。(ちゅうきの言葉…))


<管 見>

前回に関連して、同じ「書経」の「虺之誥ちゅうきのこう」である。

湯王の臣下で、仲虺が湯王に告げ、また広く民衆に告げた

言葉だという。

この中で、「有夏こんとくとして、民塗炭とたんつ」とある。

※(有の字は国名や部族名につける接頭辞)

夏の国の桀王の不徳・背徳や悪虐行為によって、民の受け

た異常な苦難を、ここでは一言で「民塗炭につ」と言った

のである。

言い換えれば、その王は不徳となり、民は泥にまみれ火の

中にいるような苦難を味わった、ということになる。

この言葉の中の「王」は、紛れもなく夏の桀王を指してお

り、湯王はこの進言に従って桀王を追放したのだ、といわれ

る。

今日、四字熟語で知られる【塗炭之苦】(塗炭の苦しみ)の語源とされ

ているものだ、と言われる。

敢えて重ねて記せば、塗炭≠フ「塗」とは泥水のこと

で、「炭」は炭火のこと、あたかも泥水や炭火の中におと

しいれられたような水火の苦しみという、意味になる。


それにしても、湯王のような臣下仰がれるような王(指導

)は、傾聴の精神に富んでいることに今さらながら

然もありなん≠ニ大いに得心せざるを得ないのである。

古今東西、実力がなくても、

*或る種の僥倖によって

*仕える者たちの頭には権力者の存在などなく、

・己の現在・老後の生計のため

・天職としての職に愛着を懐き、執着心があるため

・難解な問題を解決することで、達成感・喜びのため

等により一生懸命に励んだ結果、授かった天恵としか

えられない。

なのに、権力者や取り巻き連中は、己だけの能力で得た

かのような勘違いして憚らない輩が後を絶たないのは嘆かわし

限りである。


何時の世も、目的が達成した暁は己や甘言してくれる側近

(茶坊主たち)で分かち合い、未達の場合は日頃何かと諫言す

る者の所為・責任として(責任転嫁)追及し、何らかのペナルテーを

科すのだ。


湯王は紀元前18世紀だといわれるから、BC1,700

〜1,799年ということになる。

仮に、BC1,750年頃だとすれば、今から≒3,80

年前ということになる。

それほど前の至言が、現在に至るまで極一部の人にしか実

されていないのである。

何千年もの時代を経ても、これまで如何に目先の便利さの

を追い、人間の根本・基本的な人格の育成・履行は等閑に

されてきたかを物語るものであろう。


〈用語注〉:

りん:やぶさか(ケチなさま・物惜しみ・躊躇するさま・未

    練があるさま)


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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