索えんば何をか獲ん。
求めなければ、何物をも獲ることは出来ない。
聞くところによれば、『新約聖書』・マタイ伝にも、
「すべて求むる者は得、たずぬる者は見出し、
門をたたく者は開かるるなり」、とあるらしい。
後漢書にも、「人生在勤、不索何獲」とある。
人生勤むるに在り、索め不ば何をか獲んや。
<管 見>
改めて記せば、「人生在勤、不索何獲」となる。
人生にあっては、与えられた環境の中で全力を以て
己の可能性に挑み続けて、その結果の良し悪し・
好むと好まざるとに拘らず、天与として素直に受容することだ。
一生懸命に勤勉さに努めなくして、何が己が人生か、だと思う。
それには、先ず求めること。それがなければ何が得られるというのか。
人は死ぬまで心身を鍛える為に、勉強をし続けるものである。
然し、目標がなければ何を得るかも定まらない。
何も得るつもりか(目的)がなければ努力しても身につく筈はないのだ。
目標があってその目的のための手段の一つとして、例えば勉学の意味があるのである。
生涯現役で仕事を続けるのも、その仕事に対する向上心と常に励みとなるものに気付き、そこから得るものがあるから継続するのだ。
また継続は、己次第なのであって他力ではないのだ。
不動の目標と努力の継続が相俟って、果が得られる。
物事には、原因があって結果がある。
だが、その因と果を関係づけるものに縁がある。
短見だが、
➀ 因⇒目標
A 縁⇒励み⇒意欲⇒継続した努力
@ 果⇒達成
この@からBを繰り返すことにより、徐々に人間力の厚さが増していくのだろう。
本性(本来の素質など)だけでは、人生は成り立たない。
➀(自分が何をすべきか?)を常に追い求めることが、人生の緒に就くことである。
そして得た、B(仮に・例えば)平凡な幸福≠維持するためには、やはり、それなり
のA(継続した努力)を為し、時と場合によって責任をも果たさなければならないのだ。
〈用語注〉:
春秋左氏伝:春秋三伝の一つで,経書に数えられている。左丘明が孔子の『春秋』の正しい意味が失われることを恐れて,『左伝』をつくり,また『国語』を著わしたと伝えられているが実際は漢代(前漢末)の学者が『国語』その他の伝承史料により,『春秋』の編年に合せて編集したものと考えられる。
孔子:BC552〜BC551or―BC479)。古代の思想家。儒教の祖。
左丘明:孔子と同時代の人。孔子の弟子と伝えられる。
春秋時代:周が東西に分裂したBC771年から、現在の山西省一帯を占めていた大国「晋」が三国に分裂したBC5世紀までの、およそ320年に渡る期間を指す。
後漢書:後漢時代を記した紀伝体の歴史書。正史の一つ。120巻。
後漢(25〜220)の歴史を叙述しようという試みは、後漢当時から行われていた。
そのうち本紀10巻、列伝80巻は范曄)(398〜445)の撰であり、志30巻は晋の司馬彪(≒240〜≒306)の『続漢書』の志であったものをとっている。
これ以前にも7〜8種類の《後漢書》があったといわれるが,それらはいずれも失われ,最後の范曄のものだけが残って正史とされる。
范曄:398年 - 445年)は、南朝宋の政治家・文学者・
歴史家にして『後漢書』の作者。
紀伝体:本紀・世家・列伝などから成る歴史書の書体。
(史記を始めとする)
本紀:紀伝体の歴史で、帝王1代の事跡を記したもの。
世家:諸侯に関する記述。
列伝:個々の人物、特に国に仕えた官僚の
一生を記したもの。
志:天文・地理・礼楽・制度など、分野別の歴史。
表:各種の年表や月表。