志不可滿
志は満たしむべからず。
全てのことについて、完全に満足のいくまで求めるという考えは捨てなければならない、というのである
欲望に限りは無く、そして一旦のめり込めば自ら退くことが出来ず、前に前にと進む一方で際限がないものだから、限度を弁えることが出来ない者は、最初からなまじ手を出さないことだ、という。
その典型的なものが、男の「飲み、打つ、買う」の道楽だろう。
<管 見>
「ヤマアラシのジレンマ」で知られるドイツの哲学者ショーペン・ハウエルの至言に、
「富は海の水に似ている。それを飲めば飲むほど、喉が渇いてくる」、というのがある。
当に、その形容は言い得て妙である。
『四書』の一つに「中庸」がある。
第一章に、「天の命之を性と謂い、性に率う之を道と謂い、道を修むる之を教えと謂う」という言葉がある。
その意は、天が授けたものを人の性というのだ。
短見ながら、「天」とは、天・地・人(万物の)の最高に位置する絶対的な存在、と解釈する。
➀「人の性」とは、天から生まれる時に授かった自然な性質(天性・人性)であろう。
A 「人の道」とは、上記➀の自然(人情)に従うことである。
B 上記Aを修めることを「教え」(教育)という。
また、別な言い方をすれば、「天」には考えがあるのだ、という。
その考えとは、
㋑ある「目的」を持っている。
㋺そして、上記➀から発する「命令」なのだ、という。
㋩その「命令」とは、斯く在れと人間に与えられたものである。
それからは、上記➀〜Bと重複することになるが、
㊁その与えられたものとは、「人の性」。
㋭次に上記㊁、つまり「性に率う」〜人情に従うことが「人の道」なのだ、という。
「天」は、万物に対して公平であり、決して偏ったり偏愛はなく、常に「陸」なのだ。
従って、「中庸」の説くところは、中和の徳で人間が持つ特有のものだから、「至誠」(誠実・真心)、と言っても差し支えないだろう。
だから、
*人は常に欲望を恣にせず、
*傲慢を慎み、
*一方に偏らず、
*知者は之に過ぎ(出過ぎ者・やらなくともよいことをやり過ぎる)、
*愚者は及ばず(全てやり足りない)、
等々に鑑みて、和して同ぜず(和すれども付和雷同にならず)に生を送ることが、肝要なのだろう。
人は、「天・地・人」にあっては、所詮「天・地」の中で生かされている存在なのだから、高い境地には到達できなくても、せめてそれらを目標として怠りなく努め・励むという日々の生き方をすることが大切なのだろう。
また、離欲・知足の精神に沿った生き方を忘れてはなるまい。
〈用語注〉: