至敬無文
至敬に文無し。
敬いの極点に達したとき、そこにはもはや文や飾りは無い、という。
<管 見>
尊敬の念が最高に至ったときには、その心以外何も不要である。
また、仮に飾り立てても、
@道理に合わない
Aそうする理由がない
B意味がない、つまらない
など、かえって「敬いの心」を汚したり、薄めたりの作用が働くばかりである、というのだろう。
つまり、
*蛇足
*功を弄して拙を為す
*過ぎたるは猶及ばざるが如し
*無用の長物
であって、「敬は礼の本なり」なのだ。
〈用語注〉:
文(綾):語源は、縦糸と横糸を組み合わせで、織物や模様の意。
そこから派生して、
*心の綾(心の動きの機微)
*言葉の綾(微妙で上手い言い回し)
*目にも綾な(織りなされた美しい情景)
等という。