報本反始
本に報い始めに反える。
㋑万物の存在は、天に基づく。
㋺人は、祖先に基づく。
その根本の恩に感謝し、その功を讃えるべきだ、ということである。
<管 見>
漢和大字典によれば、
「天」は、
➀会意文字で、一と大の合字。「大」は人の貌。人の頭上に一の符号を加えてテンの義とする。
人と二の合字。「二」上の古文という。中国古代の民は、「天」を至高のものとし、之を造化の神、上帝と考え、之より真理・正義・運命等の義とする。
梵語の「提婆」は、「天」のこと。
「神」(~)は、
形声文字で、ネ(示)+申(音符)。
申は、いなびかりの象形で、天の神の意味。
示を付し、一般に、「かみ」のいみを表す。
「仏」(佛)は、
形声文字で、人+弗(音符)。
漢和大字典では、よく見えないの意を含む、勿(はっきりしない)・忽(ぼんやりする)・没(隠れて見えない)と同系の言葉。
梵語のBuddha(ブッダ)に当てたのは、音訳であって原義とは関係が無い。
このように、文字から勝手な解釈をすれば、
「天」・「神」は、天地を創造し、その間の万物を創造するばかりでなく、化育をも為される存在であり、
そこには「人」の入り込むなんてことは、全く論外なのである。
ところが、
「仏」(佛)は、人偏があり人の性質や状態などを示すもので、それらの意味と字形の分類のための部首であるからして、人が関係するものだと断定としても構わないであろう、と思われる。
これらを、冒頭の「本に報い始めに反(か)える」に当て嵌めれば
㋑は、「天」・「神」(~)は、万物を超えた存在で、「授」(与え教える・伝える)
㋺は、祖先⇒人は、㋑から「受」(受け取る〜受領・受け入れる〜甘受・蒙る)
となり、何れにしても「その根本の恩に感謝し、その功を讃えるべきだ」となる。
〈用語注〉:
造化:天地を創造し、その間に存在する万物を創造・化育(生み育てる)すること。
また、それをなす者。