2023年03月06日

礼記 9

115礼記 H.jpg

報本反始

(もと)に報い始めに()える。

㋑万物の存在は、天に基づく。

㋺人は、祖先に基づく。

その根本の恩に感謝し、その功を讃えるべきだ、ということである。

<管 見>

漢和大字典によれば、

「天」は、

➀会意文字で、一と大の合字。「大」は人の貌。人の頭上に一の符号を加えてテンの義とする。

人と二の合字。「二」上の古文という。中国古代の民は、「天」を至高のものとし、之を造化の神、上帝と考え、之より真理・正義・運命等の義とする。

梵語の「提婆(どうば)」は、「天」のこと。

「神」(~)は、

形声文字で、ネ()+申(音符)

申は、いなびかりの象形で、天の神の意味。

示を付し、一般に、「かみ」のいみを表す。

「仏」()は、

 形声文字で、人+(ふつ)(音符)

 漢和大字典では、よく見えないの意を含む、(ぶつ)(はっきりしない)(こつ)(ぼんやりする)・没(て見えない)と同系の言葉。

 梵語のBuddha(ブッダ)に当てたのは、音訳であって原義とは関係が無い。


このように、文字から勝手な解釈をすれば、

「天」・「神」は、天地を創造し、その間の万物を創造するばかりでなく、化育をも為される存在であり、

そこには「人」の入り込むなんてことは、全く論外なのである。

ところが、

「仏」()は、人偏があり人の性質や状態などを示すもので、それらの意味と字形の分類のための部首であるからして、人が関係するものだと断定としても構わないであろう、と思われる。


これらを、冒頭の「本に報い始めに反()える」に当て嵌めれば

 ㋑は、「天」・「神」(~)は、万物を超えた存在で、「授」(与え教える・伝える)

 ㋺は、祖先⇒人は、㋑から「受」(受け取る〜受領・受け入れる〜甘受・蒙る)

となり、何れにしても「その根本の恩に感謝し、その功を讃えるべきだ」となる。



〈用語注〉:

造化:天地を創造し、その間に存在する万物を創造・化育(生み育てる)すること。

また、それをなす者。


posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記
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