2022年06月27日

中庸 2

79中庸 ➁.jpg

 (子曰、…君子)
                     
           以人治人

(孔子の言葉)

人を以て、人を治む。

人間の道を以て人間を治める。

これが最上の政治だ、というのだ。

かれも人の子と、我が身に引き比べる忠恕()が、政治の

要諦となるのだ、と孔子は言う。


<管 見>

これに関連するものに、「詩経」豳風伐柯(ひんふうばつか)の詩の中にあ

る「()を伐り柯を伐る、其の(のり)遠からず」

という句がある。

その意は、「柯」、即ち斧の柄を伐ろうと考えて、山に入

った人が、その長さや太さをどのようなものにしようか?

と考え迷う、というのである。

然し、その柄を伐るための斧は、今、我が手にあるのだか

ら、それを標準に考えればよいわけだ、と気が付く。


人を治めようと考える人は、自分も人であることに気が付

けば、そこに自ずから治法()は定まるだろう、というこ

とである。



諸事に於ける当然なすべき方法として、基準・法則は、

何も遠くに求める必要はない。

それは、木を伐って()をこしらえる場合は、伐るのは他な

らぬ斧を握って、それを振るってを伐り取るのであるか

ら、目前の手元を見れば、それで済む話しなのだ。

然しそれでも、

*自分が伐ろうとする木の枝。

(それは、やがて作りだされるべき())と、

*今まさに彼の手の中に握られている((のり)としての)柯。

とは、なお別々のものであるとして思い、考え違いしてし

まうのだ。

それ故、伐る者からすれば依然として両者の間には 隔た

りを感じて、手本となるものを他に求めてしまうのであろ

う。


手に握られた()を人道として捉えてみるならば、

それは人間そのものの中に内在している則=道を、

さらなる高み・深みなどが他にあるものと考え違いをし

て、在らざる幻影を自ら思い描き、追い求める、といっ

た愚考・愚行を指すのであろう。


用語注〉:

忠恕:思いやり。

柯:斧の柄。


治法:くにを治める方法。




79中庸 ➁.jpg

 (子曰、…君子)
                     
           以人治人

(孔子の言葉)

人を以て、人を治む。

人間の道を以て人間を治める。

これが最上の政治だ、というのだ。

かれも人の子と、我が身に引き比べる忠恕()が、政治の

要諦となるのだ、と孔子は言う。


<管 見>

これに関連するものに、「詩経」豳風伐柯(ひんふうばつか)の詩の中にあ

る「()を伐り柯を伐る、其の(のり)遠からず」

という句がある。

その意は、「柯」、即ち斧の柄を伐ろうと考えて、山に入

った人が、その長さや太さをどのようなものにしようか?

と考え迷う、というのである。

然し、その柄を伐るための斧は、今、我が手にあるのだか

ら、それを標準に考えればよいわけだ、と気が付く。


人を治めようと考える人は、自分も人であることに気が付

けば、そこに自ずから治法()は定まるだろう、というこ

とである。



諸事に於ける当然なすべき方法として、基準・法則は、

何も遠くに求める必要はない。

それは、木を伐って()をこしらえる場合は、伐るのは他な

らぬ斧を握って、それを振るってを伐り取るのであるか

ら、目前の手元を見れば、それで済む話しなのだ。

然しそれでも、

*自分が伐ろうとする木の枝。

(それは、やがて作りだされるべき())と、

*今まさに彼の手の中に握られている((のり)としての)柯。

とは、なお別々のものであるとして思い、考え違いしてし

まうのだ。

それ故、伐る者からすれば依然として両者の間には 隔た

りを感じて、手本となるものを他に求めてしまうのであろ

う。


手に握られた()を人道として捉えてみるならば、

それは人間そのものの中に内在している則=道を、

さらなる高み・深みなどが他にあるものと考え違いをし

て、在らざる幻影を自ら思い描き、追い求める、といっ

た愚考・愚行を指すのであろう。


用語注〉:

忠恕:思いやり。

柯:斧の柄。


治法:くにを治める方法。




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2022年06月20日

中庸 1

78中庸 @_20220122 (22).jpg
(仲尼曰)                              
           
          
            中

(仲尼〜孔子の言葉)(とき)(ちゅう)す。

<管 見>

中庸・章句の冒頭(一章)は、

➀天の(めい)()れを(せい)()い、

 (天が人に授けたものを性といい)

➁性に(したが)う之を(みち)と謂い、

 (その生まれつきもっている性質が,

  自然に従うことを、これを人の道

  といい)

B道を(おさ)むる之を(おし)と謂う。

 (その人の道を修めること、これを教えという)

これは、「中庸」の全体を貫く思想であり、言い換えれば、

天には、一つの考えがあり、「目的」がある、という。

➀その目的から命令を出して、()()()

と人間に与えられたもの、それが人間の「(さが)」であり、

➁その性(人情)に従うことが人としての「道」であり、

Bその道を修めることが真の人になるための、

 「教育」なのだ。

としている。


さらに、

➀「天命」とは「天理」()である。

その「天理」が人に伝われば、人の「性」という。

同様に、植物に伝われば、植物の「性」といい、

動物に伝われば動物の「性」という。

「天理」と「人性」とは同一のものであって、

「人性」()と「万物の性」は根源を同じくする、

と言い切っている。

以下➁・Bは略し、今回の至言に戻して記す。


真の「中庸」とは、時期と場合に応じて

柔軟に対応することであり、機宜(きぎ)()に中庸を

とることなのである。

つまり、常に一定とかどんな場合にでも,

不動であるということは無い、ということだ。

ある意味においては、高低の中とか強弱の中

なども「中庸」といえるが、だからといって

善悪の中間をとるのは見当違いも甚だしく、

()に良し悪しや程度の差は無い。

また、悪()も然りである。

従って、善悪の中間である(白黒の混濁した灰色)は無く、

「中庸」とは全く関連しない。

ただ、本来は上記の如く、「性」と「善悪」とは

無関係だったが、何時か(後年になって)諦観(ていかん)に通

じる否定的文脈(悪い意として)に用いられる場合も、

例外として用いられることもある。 

そういえば、若い頃のサラリーマンになり立ての頃の

職種別の呼称に、ホワイトカラー()と、ブーカラー()

そして技能職をその中間色であるグレーカラー(※)と呼んでいた。

但し、これなどは単なる着衣の色などで,

職種を示す便宜上の呼称にすぎない。


このように、何でもかんでも中間に存在するから

といって、「中庸」とは言わないのだ。

真の「中庸」(偏らない・調和・整合…)

「時に中する」もので、時と場合によっては動くものだ、

ともいう。 

ところで、知者も愚者も「中庸」ではあり得ない、

と説いている。

世間でいう「知者」とは、

*出過ぎ者のことで、せずとも良いことをやり、

*考えなくともよいことを、考えてしまう、

所謂、やり過ぎてしまう者のことである。

⇒「過ぎたるは及ばざるが如し」・「功を弄して拙と成る

()」。

また、「愚者」とは、

*全て、やり足りない、

*もう少し考えてもよい時に、考えない、

所謂、及ばない者のことである。

⇒「竜頭蛇尾」・「仏作って魂入れず」である。

つまり、過不足何れも「中庸」では無い、のだ。


そこで浅見ではあるけれども、「中庸」をまとめてみると、

*「人の(さが)」とは、天が与えたもの。

*「人の道」とは、「性」に従って歩むこと。

*「教育」とは、「人の道」を修めること。

その上で、人は胸中に「核」()を確り持った上で、

偏った前提などを持たずに無心()な状態で対処すべきだ、

とすることなのであろう。


さらに、同じ一章に「中和(ちゅうわ)(いた)して天地(くらい)し、

万物(ばんぶつ)(いく)す」の言葉がある。

これは、中和の道を実現すれば、天地貴賤の位も正しくなり、

万物はみな正常に発育を遂げるものである、している。

この項での、

*「中」とは、ほど良いこと、喜怒哀楽の情の「中庸」

  を得たもの。⇒「体」(原理)

*「和」とは、事を行っていく場合、和やかにやっていくこと。

  ⇒「用」(働き)

即ち、正しい事物()・事象()を拠り所とする

根本の法則に基づいて、物事に備わっている機能()や、

その及ぼす作用そのものの本来に沿って発揮させる

ことができれば、みな正常に発育するのだ、ということである。


〈用語注〉:

()()れ:この様に在りなさい。

天理:人為でない天の正しい道理。万物を支配している道理。

人性:人が生まれつき持っている自然な性質。

機宜(きぎ):それをする(行う)のによい機会。

諦観(ていかん):他の意もあるが、この場合はあきらめること。

ホワイトカラー:技術者・事務員・販売員・営業職。

ブルーカラー:生産現場で働く労働者。

グレーカラー:技術職(技能)に従事する労働者。

功を弄して拙と成る:上手くやろうとして逆に失敗してしまうこと。

核:物事の中心・急所・本質。

無心:公平・中立。

事物:事柄や物。

事象:現実の出来事。

機能:そのものが本来備えている働き。 


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2022年06月13日

大学 5

77大学 D_20220122 (20).jpg

            
       之
            矩

       

(けつく)の道。

自分の心を尺度として、

その心を携えて人の心を慮っていく。

つまり、思いやりの道である。


<管 見>

この至言は、「忠恕(ちゅうじょ)之道」()に通じる、

という。

そして、同じ章に「上に(にく)む所、

以て(しも)を使うこと(なか)れ」の至言がある。

この意は、

上の人の自分に対するやり方が

不当だと思われるならば、それを教訓として

、自分が下の人に対する場合にはその同じやり方を

してはならない。

つまり、

「己の欲せざる所は人に施す莫れ」である。

他人からしてもらいたくないことは、

自分も他人にしない。

自分が嫌なことは、同じように他人も嫌

なのだから、当然しないことだ。


これは、前後左右・上下・遠近などを問わず

あらゆる人間関係にいえる事だろう。

若し、円滑な人間関係を望むならば、

自分以外の人から人として道理に合わない扱いや

理不尽なことを強いられた場合には中継するのでなくて、

己のところで絶つことが肝要なのだ。

つまり、自分が不当な扱いをされたからといって、

その腹いせを他の者にそっくり同じことをする

のではなく、己のところで止めることが肝要なのだ。

己が味わった痛みを、

教訓として捉えて他に及ぼさないようにするのが、

人間の取るべき道であり、

それが即ち、「思いやり」の道なのだ。


性善説(孟子)〜本性は善だが、

物欲などの後天的行為によって悪となる。

性悪説(荀子)〜〜本性は悪だが、

学問などの後天的行為によって善となる。

との説があるが、

何れにしても善悪の多少にかかわらず、

内臓していることは、間違いなく我々人間

の実態であろう。


人間の性ともいうべき規範()は、

私たちが何をすべきか何をすべきでないかを

示すものである。

これは、法律などで法的根拠に基づき

法制化するようなことの以前の問題という、

人間として基本的な嗜み(節度)というものであって、

不文律()の範囲内のものである。


〈用語注〉:

(けっく)(ものさしを当てて計ること)

⇒自分の心をもとにして他人の心を

思いやるというやり方。

即ち、思いやり。

忠恕(ちゅうじょ)之道:真心と思いやりの生き方。

(ねた)み:自分には無く他人が所有することが羨ましく、

   相手に対して憎しみや怒りなどの感情を持つこと。

(そね)み:自他を比較し、他人の優れた部分を羨ましく、

   悔しく思うこと。

規範:行動や判断の基準となる手本。

不文律:暗黙のうちでのきまりやルール。


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2022年06月06日

大学 4

76大学 C_20220122 (18).jpg

      叉   日   荀
      日   日   日
      新   新   新


荀に日に新たに、日日に新たに、

又た日に新たなり。


今日の行いは、昨日よりも新しく良くなり、

明日の行いは、今日よりも新しく良くなるように、

修養に心掛けなければならない。

殷の湯王)は、これを(ばん)()の器に彫り付けて、

毎日の自誡(じかい)(自戒)の句とした。


<管 見>

(いん)()の時代の明君であった(とう)(おう)は、

洗面器に今回の至言一文を刻み込み

「修身」の決意を日々新たにしたといわれる。  


また、日本でも昭和の世にあって、

・誰もが認める昭和を代表する財界人。

・経営者として数々の企業の再建に貢献。

・当時の政府から懇願されて、

 行財政改革会長として活躍。

などで知られた土光敏夫さんの生活は、

公私共に質素を基本とした人であったが、

その座右の銘としたのはこの至言だった。


サントリーの健康情報によれば、

我々の体を構成する細胞は、

60兆個あるという、それは成人以降も

神経細胞や骨格筋細胞などの一部を除いて、

ほんの僅かずつであるが日々生まれ変わってい

るらしい。

所謂、細胞の新陳代謝だといわれる。

何故、体にはそのような仕組みが備わって

いるのか?

例えば、機器を考えるとき、

機器全体は夫々の機能を持つ部品からできている。

どんな機器でも性能を維持するためには、

一定の期間を経たら点検・修理は欠かせない。

(身近な車の点検・車検・法定検査を考えれば理解し易い)

そのためには、

*メンテナンス(維持管理)

*オーバーホール(分解して点検・修理・部品交換)

などは安全・安心した生活(公私)のためには

必須なのだ。


このような機器同様、人の体も然りなのだ。

体の細胞にも有効期限があり、

古くなった細胞を新しい細胞に交換が

必要になってくるのだ。

こうした新陳代謝が体内の各部分で

少しずつ進行していることで、

我々の健康と生命が維持されて

いるのだ、という。

これはまた、肉体的だけではなく、

精神的にもいえることである。

何故なら、人の健康寿命は肉体面と

精神面とは、車の両輪の如くだからだ。


いや、精神の肉体に及ぼす影響力は大だと思う。

それは、心(精神)⇒言葉行動(自他共)

つまり、先ず心(精神)があり、

そこから発した言葉によって、

(義での運動である)肉体を思いのままに

(牽引するが如く)誘い動かすのであろう。

例えば、感動(心の琴線に触れて)すると、

表情や体の動きとして表れる、そして……。


だからこそ、

(とう)(おう)は、洗面器に至言の一文を刻み込み、

土光敏夫さんは、座右の銘として、心(精神)

刻み込んだのであろう。

上記のような方々でさえ、日日怠ることなく

努めたのだから、僅かな目的しかない愚生などは

(それでも一歩でも近づくには)

その何倍も何十倍もの努力をしても、到底無理かもしれない。

然し、その能力や進歩は微々たるものでも、

諦めずに継続することに意義があること信じて、

倦まず弛まずこれからも努めたいと思う。


〈用語注〉:

殷の湯王:夏の桀王(酒池肉林…などの)

     暴政を敷き、その治世はひどく乱れた。

殷の湯王(契から数えて13代目、

天乙ともいう)は天命を受けて

悪政を正すとして、伊尹いいん(名宰相

・湯王の補佐役)の助けを借りて蜂起

、夏軍を撃破し、夏を滅亡させた。

(ばん)   :洗面器





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2022年05月30日

大学 3

75大学 B_20220122 (16).jpg

       格     致
          在
       物     知


知を致すは、物に(いた)るに在り。


<管 見>

「致知在格物」とは、物の道理をきわめて学問

・知識を習得すること。

理想的な政治をするための「大学」の

八条目(八つの箇条書)には、

➀格物

➁致知

B誠意

C正心

D修身

➅斉家

F治国

G平天下

からなり、

その@と➁の段階を指す、のである。

「格物致知」とは、物の道理を窮め、

知的判断力を高める意で、

理想的な政治を行うための基本的条件である、

という。

「格物」とは、

*朱子学(朱子)によれば、「物にいたる」と訓じ、

 個々の事物についての道理を徹底的に究明する

 こと。

*陽明学(王陽明)によれば、「物をただす」と訓じ、

 対象に向かう心の動きを正しくすること。

「致知」とは、

*朱子学(朱子)によれば、自分の知識を極限にまで

 推し広めること。

*陽明学(王陽明)によれば、自然な心情、本来的な

 心のはたらきを徹底的に発現させること。


政治の最終目的は、FとGの「治国平天下」

 にあるがこれを実現するためには、

*Dの修身(心身を正しく修めて、善を行うように努める)

 ⇒B誠意とC正心によって得られる。

*B誠意とC正心は、「格物致知」(➀と➁)によって得られる。


言い換えれば、

民の生活を優先して守る為のまつりごととは、

それを司る人間自体(政治家自身)の、

*心の働きが正しいこと。

*モノの道理(実相)を、いい加減にせず徹底して

 明らかにすること。

*心が偏らないように、常に身の清廉潔白に努めること。

*名利などに迷い節を曲げたり、優柔不断な言行を

 して民をはじめ周囲を混乱させぬように、

 自身の知的判断力を高めることに努めること。

など、(公私共に)己に厳しい責を課し、

その上(公私の)義務を果たす覚悟が必要だ、ということだ。


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2022年05月23日

大学 2

74大学 A_20220122 (14).jpg

       后    知
       有    止
       定    而


止まることを知りて(しか)(のち)に定まること有り。


人間の最終においては、止まるべき目標が決まって

くると、その次には自らの方針も一定(定まって、

落ち着いてくる)してくる、という。


<管 見>

人間誕生から終焉までを、まともな人生を

前提に考えてみると、

➀人はこの世に生を受ける。

➁初めは、周囲の小さな(限られた)(環境)なりの

 影響を受ける。

Bやがて、その輪(環境)は次第に大きくなるにつれて、

 影響も比例するが如く大きく受ける。

C成長〜上り坂。(自己の輪が増大)

D最盛に至る〜絶頂。(自己の輪が最大)

➅満ちれば欠ける〜下り坂。(自己の輪が減少)

F余生。(心身能力備蓄を放出することで

 維持〜然し、減少の一途を辿る)

G終焉。

ここで、Dの状態に達したならば、

自分に適った立場・心境を弁えて無理に

背伸びせずに、そこに止まることに気付いて、

その範囲・限度を越えないでいると、

精神が安定して心身が落ち着いていれられる、

ということなのだろう。

老子の知足=ヒ足ることを知る者は富む。

即ち、物的には貧しくとも、精神的には豊かで、

それが真の幸せということなのだ。


人生の途上で、その都度何を為すべきかという

確りした目的を持つならば、外部からの圧力などに

よって動揺することも無く、心の乱れ髪は自ずと整われる。

そして、精神が安定すれば、そこに外部のことなどに影響されず、

そこに止まっていられる。

そうすると、不毛の考えなどは浮かぶことなく、

己の真の為すべきことに思いが至り、言行一致に

乱れなく思い通りの生涯を過ごすことになろう、

というものだ。


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2022年05月16日

大学 1

73大学 @_20220122 (12).jpg

       事   物
       有   有
       終   本
       始   末


物には本末有り、事には終始有り。


何事にも始めと終わりがあり、如何なる物にも本と末と

がある。

人生においても根本とすべきものと、そうでないものとが

あり、何事をするにも何から始めるか、

最後は何にするかという、始めと終わりとがある。

その本末・前後を誤らぬことが、結局、

成就への近道になる、という。


<管 見>

要点とその手順とを確り掴んでおけば、

まず誤りを起こさないことなのだ。

物事に対処する場合、

*全体を俯瞰して把握すること。

*手順を計画し、練りに練ってその道筋を決めておく。

*必要性を玩味する⇒必要(欲求)が確認し、

 確信されれば自ずとアイデアが生ずる。

*見直し⇒枝葉末節に惑わされずに、

 肝心なところを見落としていないか?要、確認。


例えば、国土の究極の災厄は、田畑の荒れ果てる

ことである。

田畑は五穀を生産してくれ、全てはこれによって不足なく

 整い生活できる。

(これは、人間社会のみに限らない)

*農は国の本である。(田畑が荒廃すれば、五穀は不足する)

*従って、人々・戸数も減る一方で、やがて国が衰えることに

 なる。

その時に当って衰えたものを挙げ、再復しようとすれば、

人は皆その荒地を開こうとする。

然し、田畑の荒廃は田畑から起るのではない。

原因は、人の心の退廃である。

何故なら、最盛期の時に質素・倹約を怠り、

誰もかれも華美・美酒…贅沢三昧、いざという時の蓄えを

せずに費す、

といった暮らしに明け暮れればモノには限りがあるから、

やがては極まる。

そのような時に、また無能な策をとることが多いのである。

*不足すれば税を取り立てれば…という付け焼き刃的な

 処置である。

*すると、民は困窮し、勤労も税も不足を補うにたらない。

*民の戸数は非常に減少し、統治者もまた困窮し、

 国の衰えに帰結することになる。


原因が物的なものに無く、精神(心構え)的な面にあるのだから、

そこから着手するのが最善手なのだが、立場の関係や欲望

などから、往々にしてその道を誤るのである。

このような場合に想起するのが、

(中国)北宋時代(6代神宗皇帝)の王安石が行った革新的な

諸政策であり、

その主なものを記せば、

*均輸法:年間の政府必要物資の種類と量とを揚州の

 発運司 に通知し, 多量に産する地方で調達させ,

 人民には産しない物を 要求せず, 多く産する物を代納させ,

 これが不要のときは 必要とする地方に運んで売却するもので,

 商人の中間搾取を排し,政府の消費経済を合理化しようとしたもの。

*青苗法:植付け前に種籾などの欠乏する農民に低利で融資し,

 収穫時に元利を返済させる法で,地主の圧迫から農民を救済

 しよう としたもの。

*市易法:商人に対する低利融資法。

*方田均税法:田の東西南北各 1000 (方田) を基準として検地を

 行い, 租税額を公平にする法。

*募役法 (役法):職役の負担方法の改革。

*保甲法:10家を1保,5保を大保,10大保を都保とし,保長,

 大保長, 都保正をおき,警察のことを司らせ,

 毎年農閑期に武事を教習させる法。

*保馬法:保甲の希望者に馬を養わせる法で,

 代償として賦役を免じた。

この他、倉法・手実法・三舎法などがある。

この「至言」シリーズの第一回に登場した、愚生の敬仰する

人を覚えておられるだろうか。

人生樂在相知心≠フ王安石である。

この前に漢恩自浅胡恩自深≠フ句があり、

優れた政治家であったと同時に詩人としても才能を示したが、

その根幹には深い「仁」に富んだ、王安石の人間性があることに

思いが至るのである。  

この詩のヒロインが王昭君である。

王昭君は前漢代の宮女で、きょうねい1(BC 33) 年元帝の命により、

前漢の匈奴に対する、融和政策により、

呼韓邪単于こかんやぜんう に嫁がされた。

(王昭君は、匈奴に対する懐柔策の犠牲者といえる)

古来、中国文学の題材として扱われるが,

この悲劇は宮廷画家もう延寿えんじゅ に賄賂を贈らなかった爲、

故意に醜女に描かれたことに起因するとされる。

当に、漢の国に生まれながらも、

人をモノ扱いする漢王朝の恩(恵み・情け・慈しみ)は浅く。

然し、胡の国と蔑まれる匈奴に嫁してみると、

思いのほか人情に篤いことが日にちに理解されてくるに従い、

(匈奴)の国の良さが身に沁みてくるのだった。

つまり、えびす(匈奴)の国の恩(恵み・情け・慈しみ)が深い、

ことが身を以て感じられるのだった。

この出来事を、≒1070年後(北宋時代960年―1127)に、

王安石が彼流に詩で表現したのである。

今回「至言」物には本末有り、事には終始有り≠捩れば、

人生にも本末有り、言行にも終始有りともいえる。



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2022年05月09日

孟子 19

72孟子 R_20220122 (10).jpg

       已     反
          而
       矣     經


経に(かえ)らんのみ。

〈注〉經()〜常(=不変の理・道理・筋道)

   のみ〜「已」の助辞。

〈参考〉

擦れた邪道だけれど、

似た漢字の記憶術(すっかり枯れた頭だが…)

()は上に、己(おのれ・つちのと)下に付き、

 已(すでに・やむ・のみ)中ほどに付く

(ぼう)(つちのえ)に、(じゅつ) (いぬ)犬一匹で、

 人(じゅ)(まもーる)まもる、(えつ)(おの・まさかり)

〚土のうえ()に、犬()一匹で人まもる()

()振り上げりゃ、ボウ()ジュツ()ジュ()エツ()

ー閑話休題ー

結局は、君子の行いは、

常道(不変の真理・常に人が守るべき道徳)に還るということだ。

即ち、常道は平凡であるけれども、その平凡こそ

万世不易(永久に変わらないこと)道だ、というの

である。


<管 見>

君子の言動は、とどのつまりは物事の筋道に

則った常道(真理・守るべき道徳)に拠る他はない

というのである。

それこそは、常套陳腐()で誰の目から見ても、

何の策もない特に目立った

能力も無く、ただ惰性な手法に映るけど

それこそが進むべき普遍的な道であって、

そこが定まれば人々も立ち上がる≠ニ説いているのだ。


何の変事もない平常な日々には外見は兎も角、

人の実体(実像)は解らないけれども、一朝トラブル

が生じた際にその才能の多寡や人間性が明らかになるのだ。

例えば、日頃昼行燈≠ニ評されていた、

かの大石内蔵助を追想してみれば釈然とするであろう。


そこで、前回(「孟子・盡心下」18)の「郷原」

などにも触れたり絡みながら、記してみたい。

經は常なり。⇒常道は平凡である。

だけど、

萬世不易の常道なり。

⇒平凡こそ万世不易(永久に変わらないこと)の道だ。

興は、善に興起するなり。⇒関心ある事に対し興味を持ち、

より詳しく知ろうとする気持ちは、

正しい道理(筋道・倫理)に従って、

道徳によく適合するものであって、心を奮い立たせることだ。

邪慝(じゃとく)()は、郷原()(ぞく)()の如き、是れなり。

⇒不正で(よこしま)なこととは、郷原の仲間のようなものである。

世衰え道微にして、大經正しからず。

⇒世の中が衰えて、

人としての大いなる正しい理(道理=倫理=筋道)

欠けることであって、決して真の道ではない。

故に人々異(いつわ)りて以て其の私を()すことを得て、

邪慝(なら)び起き、正に勝つ可からず。

⇒だから、

*多くの人たちは変な(怪しげな)説を述べて、

*事実でないこととか当てにならないことを示して

 自分勝手な言い分で済ませ、

*不正で悪いことを合わせ並べたてれば、

 確かに勝れた正しい条件が整わないことになってしまうのだ。

つまり、無理が通れば道理引っ込む≠ニいうことだ。

以下、略す


〈用語注〉:

常套(じょうとう)陳腐(ちんぷ):ありきたりで詰まらないこと。

邪慝(じゃとく):不正で悪いこと。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)

(ぞく)⇒屬:仲間・同類。





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2022年05月02日

孟子 18

71孟子 Q_20220122 (8).jpg

      非     惡
         而
      者     似


似て非なる者を(にく)む。


外貌だけが善いものに似て、内実がそれとは裏腹、

所謂似非者(えせもの)は大嫌いだ!≠ニ、いうのだ。


<管 見>

この至言は、孟子の巻第十四盡心章句下二百五十九節

「…郷原徳賊也(郷原は徳の賊なり)…」

(後略)の中にある語である。

概略を掴むために、前後を以下に少し記してみる。

(※孟子と弟子の(ばん)(しょう)の問答形式)

弟子の(ばん)(しょう)

「孔子が陳の国で困窮したとき、

故郷の魯に思いをはせて、

『さあ、帰ろう。我が故郷(魯の国)の人たちは、

*志は大きいが、物事に対しては疎略である。

*大道を行うことを望みながら、道を得ることが出来ずにいる。

そんな昔の仲間を忘れることが出来ない。』

と、言われたそうですが、孔子は陳の国にいながら、

どうして魯の疎略な連中に思いを寄せたので

しょうか。」

孟子は、それに答えて曰く。

「孔子は、『中庸(儒教の中心的概念)の道を

得た人と共にすることが出来ないなら、

*せめて我武者羅に突き進む狂者(きょうしゃ)(志が大きくて、

細事を顧みない人)か、

 〜狂者は積極的であるから…。

*保守的である獧者(けんしゃ)(心が狭いが、

 信念がが固い人)

 〜獧者は保守的であるが、不善を為さない者であるから…。

狂者か獧者を選ぼう。』と考えたのだ。

孔子が、何故中庸(儒教の根本)を得た者を、

求めないことがあろうか。

ただ、それが必ず見つかるとは限らないから、

(次善として)その次の(きょうけん)の人たちのことを思ったのだ。」

「では、どのような人物を狂者と言うのでしょうか。」

「琴張・曾皙・牧皮のような(七十子(しちじっし)にさえ存在しない)

人物は、孔子が狂者とする所の者だ。」

「どうして彼らを狂者と言うのですか。」

「志は大きいが、言うことも大きく、

常に古の聖人を引き合いに出すが、

その言葉通り実行が無い者を狂者きょうしゃと言う。

だが、こんな狂者でもなかなか見つけることはできない。

だから不潔な行いを潔しとしない人を探し出して、

行動を共にしたいと願うわけで、これが獧者けんしゃであり、

狂者の次に来る者だ。」

「孔子は、『私の門前を通り過ぎながら、

私の部屋に入った来なくとも、いっこうに残念だと思わない人は、

郷原()だけであろう。

郷原は徳をそこなう〈傷つける・壊す〉ものである。』

と言われましたが、どういうのを郷原と言ってよいのですか。」

郷原(きょうげん)は、狂者を非難して、『どうしてあのように、

志も言葉も大きいだけで、言葉に実行が伴わず、

実行に言葉が伴わなず、ただ古の人、古の人と言うだけなのか。』

と評し、又獧者に対しては、『どうして人と親しまず、

何事も一人で行動するのだ。人としてこの世に生まれたら、

人としてこの世に生き、世間から善く思われれば、

それでよいのではないか。』と評す。

本心を隠して世に媚びる者、それが郷原なのだ。」

萬章が言った。

「村中の人が、あの人は慎み深いと言えば、

どこへ行っても慎み深い人だと言われるでしょう。

それなのに孔子が徳の賊だとされたのは、どうしてでしょうか。」

「これを非難しようとしても非難する所が無く、

これをそしろうとしても謗る所がない。

堕落した世俗の流れにのり、汚れた世に合わせ、

身の処し方は忠信に似ており、

その行動は清廉潔白に見え、

人々は皆その人に好感を寄せる。

そして自分でもそれが正しいと思い込んでいるが、

とてもではないが、この様な人間と、

堯舜の伝える真の道に入ることは出来ない。

だからこれを徳の賊と呼んだのだ。

孔子は、『表面上は似ているが、

根本は全く異なっているものを憎む。

例えば、

 ゆう(猫じゃらし)を憎むのは、表面上は似ているのに、

   その実は苗に害を及ぼすからであり、

*口先だけの偽善者を憎むのは、

 それが義との区別を紛らわしくさせるからであり、

*口先だけが達者な人間を憎むのは、

 真実を紛らわせるからであり、

*淫靡な鄭の音楽を憎むのは、

 正しい古典音楽に紛らわしいからであり、

*紫色を憎むのは、

純粋な朱色との区別を紛らわしくさせるから、

である。

それらと同様に郷原を憎むのは、

真に徳のある者との区別を紛らわしくさせるからである。』と

言われた。

君子(理想的人格)たる者は、

万世変わることのない常道

(常に人が守るべき道徳)に立ち返るだけである。

常道(真理・守るべき道徳)さえ正しければ、

庶民はいっせいに立ち上がる。

庶民が立ち上がりさえすれば、

郷原のようなまやかしの邪悪は無くなってしまうのだ。」


〈用語注〉:

孔門の十哲:孔子の門人中、学徳のすぐれた十人の高弟。

徳行に優れた者〜顔淵・閔子騫(びんしけん)(ぜん)(はく)(ぎゅう)・仲弓。

言語に優れた者〜宰我・子貢。

政事に優れた者〜(ぜん)(ゆう)・子路。

文学に優れた者〜子游・子夏。

七十子(しちじっし):孔子の門人のうち才能の突出した70余人の学生をさす。

郷原(きょうげん):善良を装って、郷里の好評を得ようとする小人。偽の君子(道徳家)


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2022年04月25日

孟子 17

70孟子 P_20220122 (6).jpg

       不    是
       知    之
       務    謂        
          
          

是を之れ、務めを知らずと謂う。

先にすべきものを後にし、重い務めを軽く取り扱う。

そういう者を、務めを知らない者だ、というのである。


<管 見>

前文を含めて記せば、孟子は次のように言った、という。

知者とは、本来如何なることでも熟知しているけれども、

早急にせねばならない物事に取り掛ることを、

最優先するのだ。

仁者は、本来如何なるものでも愛さないものはないけれども、

先ずは賢者と親しむのを最優先とするのが務めなのだ。

堯や舜(聖天子と言われる三皇五帝)の知は、

本来対象となるヒト・モノ・コトに偏りが無い。

然し、先に為すべき課題を急ぐのだ。

堯舜の仁は、本来他人を偏って愛することなどない。

然し、賢者と親しむのを急ぐのだ。

最も大切な三年の喪を行いもせずに、

(喪服)や功のような軽い喪の事を具に論議したり、

大飯を食らい、汁物を流し込むように飲んだりするような、

大きな非礼を行いながら、重箱の隅を突っつくような

僅かな言動を、針小棒大に取り上げてさも大きな問題とする。

これこそ、先ず為さねばならない本務を知らない、

ということであって、当に本末転倒というべき品性に

欠けた言動であろう。

次に遠い親族に対して行なう五ヶ月の喪について、

とやかく言ったり、

大食や啜り飲むなどの無礼な態度を、

平然としておきながら、他人には『けっするな』

などと説教する。

こういう輩を、真に為すべきこと・道理を知らない者だ」、と。


このように聖人君子といえども人間だから、

能力の受容力には限度があるから、

配慮に欠ける場合もあろう。

それを目下或いは周囲の者が推量して配慮して、

綻びを補っていくのが儒教のいわば

「ただの集団でない正しい組織」なのだ。

それは、各界の彼方此方で見られる、

横暴な権力の乱用による弱者への

パワーハラスメントとなって現象化しているのだ。

然し、当人の認識は己が神の如く存在であって、

何の反省もなく当然のように振舞っている。


組織とは、上司は仁者として人間として対等である、

とうことを十分認識したうえで部下に対応し、

下の者はそれに呼応して尊敬の念を持ちながらも、

媚びることなく

One for All, All for One(一人はみんなのために、

みんなは一つの目的のために)をモットーに、

共通の目的を達成すべき互いに努力し合うものだろう。

さらに補足すれば、決して公式ではなくとも、

各自夫々の立場に応じた役割を果たすために、

それに応じた義務・責任を伴い合って、

互いに思いやるのある規律ある集合体ではなかろうか。


〈用語注〉:

()」〜緦麻のこと、細い麻糸で織った喪服で、

    五段階の喪服の中では最も軽く、喪の期間は三月。

小功(しょうこう)」〜細やかに織った麻の喪服、下から二番目、

      喪の期間は五ヶ月。

放飯流(ほうはんりゅうせつ)「放飯」は、放に大食すること。

(せつ)」は、啜り飲む意、「流歠」で、

     汁物を流し込むように飲むことー暴飲暴食。

     従って、礼の無い、無礼な態度。

(けっ)()」〜決齒は、乾し肉を噛み切る、不敬の小なる者を指す。

本来は、食べる大きさに手で小さく裂くのが正しい礼だ、

    という。

仁者(じんしゃ)」〜情け深い人。儒教の説く仁徳を備えた人。

仁徳(じんとく)」〜他人に対する思いやりの心。

賢者(けんじゃ)」〜聖人に次ぐすぐれた人。賢明で堅実な人。

     道理に通じたかしこい人。

(じん)」〜愛情を他に及ぼすこと。いつくしみ。

    なさけ。思いやり。

(こう)」〜働きによって成功をおさめたその手柄。


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2022年04月18日

孟子 16

69孟子 O_20220122 (4).jpg

        其   進
        退   鋭
        速   者


進むこと鋭き者は、其の退くこと速やかなり。

出足が速すぎる者は、その後退もまた速い。

一時に力を出し過ぎると、その勢力もまた速く衰える、というのだ。


<管 見>

※今回の至言は、前回とも重複することが多いことを承知の上で記す。

自ら選んだ仕事について、次記のような三通りで、考えてみると、

*途中で投げ出してしまう者は、どんな仕事に携わっても完遂させることは、できない。

*手間をかけるべきこと・ところを、効率だけを優先して簡単に省略してしまう者は、何事にも端折ってしま

うことの方向だけの頭しか働かない。

*結果を急いで邁進し、過程を大事にしない者は、何故?の考えすら浮かばず、諦めるのが速い。


諄いけれど、敢えて言葉を変えて記すと、

*「挫折への戒め」(辛抱・忍耐の大切さを解せぬ者は、仮に名利を得たとしてもそれは偶発的なもであって、

あくまで形而下であって、形而上(理念的なもの)では人生の落伍者だといえる)

*「手抜きへの戒め」 (過程の大切しないのは進歩が望めず、人間的には成長しない)

*「頭を働かせず単なる惰性ですることへの戒め」(手間とは、ただ手足を動かすことでは無くて、

頭脳を十分駆使することで、価値を生み出し・自分を高めることにもなるのだ)


「慌てる乞食は貰いが少ない」

◦他者よりも多く貰おうと急いで貰いに行く乞食は、施す人からその欲深さを嫌われて、結局は貰い分が減っ

てしまう。

◦自分の都合のみを押し付ける我が侭な要求をする人間は、相手の反感を買い、結局は損をする。

「急がずば ぬれざらましを 旅人の あとより晴るる野路の村雨」(太田道灌)

 ◦もしも急がなければ、濡れなかったであろうに。

  旅人が通った後から晴れていく野の道に降った驟雨(村雨・にわか雨)の光景である。

 ◦皮肉にも晴れていく村雨の景は、あらゆる物事の道理あり、()いては事を仕損じることの一種の警句であろ

 う。

「急ぐなよまた留まるなわが心定まる風の吹かぬ限りは」(島津忠良)

 ◦生き急がず、死に急がず、未練がましくなくその時を静かに迎えよう。

 ◦何事も自然体で、の人生訓か?


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2022年04月11日

孟子 15

68孟子 N_20220122 (2).jpg

       引
       而
       不
       発
       發

引いて発せず。

弓を引いても、時期の来るまでは発射しない。

同様に、人を教えるにも、いたずらに全てを教え授けることをしないで、

学ぶ者の自得するように導き、その時期を待つことである、というのだ。

       

<管 見>

(今回に限ったことではなく、従って今さら断る程のことではないけれども、以下に述べることは愚生の独断と偏見に満ちた愚昧の記述であることを改めて記しておく)


職人の世界では、たとえ真の親子であっても「技は、見て盗んで覚えろ!」という。

それは、どんなに世が進んでも、不変の教訓なのだ。

何故なら、人間は生身の人であって、機械では無いからだ。

その具体的理由を挙げれば、

*失敗体験⇒経験による、成功への成長過程が肝要だから。

*考える機会を与える⇒独学による実学の習得(血肉と化すため)

*学ぶとは、教わるではなくて六根(五感+意真)を以て、掴み取ることが基本なのだ。

*嫌な仕事・苦手な仕事を敢えて選択することは、身に付ける最良の手段である。

ITなど最先端技術の機器類…は、あくまでも単なる道具でしかないのであり、それを使いこなして結果を生じせしめるのは人間なのである。


つまり人というものは、仕えるのは神仏・人・機器などにではなく、自らの意思で身を以て仕事一途に打ち込み

終始し、それを全うすることで世のために尽くす≠フである。

それもまた、どの世界・職種…であってもある意味では、職人の世界なのだ。


何れにしても、主は人であり、機器は従≠ナあることの論理的或いは感覚的又はあらゆる角度・視点からにおいて

も説明が可能なくらい明白なのである。


現代っ子は、上記の「技は、見て盗んで覚えろ!」という言葉に違和感を覚えるだろう。

いや、現代っ子でなくとも現在の世の中では、中年(40〜50代)、いやいや高齢者の中にも、時代錯誤だと主張する者が多いことだろうことは、想像に難くない。

恐らく、その理由は、

*効率が悪い:経済優先主義を標榜したもので、以下を改革の基調としたものなのだろう。

・IT(情報技術):コンピュータなどの機器をベースとした情報システム(機器優先主義)

・ICT(情報通信科学):情報技術だけではなく、その情報や技術を共有するための「コミュニケーション」(機器優先主義)

・デジタル:データは全て「0」と「1」を組み合わせた数字で構成されている。

つまり有無のどちらかであり、大切なその中間及び過程はない、若しくは省略。

・時代の変革:手仕事(人間を主とした)は、現代の時代にそぐわない。

……など、幾らでも彼らの言い分に事欠かないだろう。


そこで、愚生なりの解釈を記してみる。

仮に具体例として、大工の親方と新弟子の場合を想定する。

習うより慣れろ!⇒実践第一〜読書十遍なるは、書写一遍に如かず(十読は一写に如かず)

親方の一挙一動(一挙手一投足)を心身に刻み込む!

修行一日目から終生、親方のことを鑑()とする。

常に、それに己を照らし合せ、その異なる(劣る)部分の発見に尽くす。

一歩でも親方に近づくように修正に努める。

頭だけでは無くて即座に反応できるように、体に沁み込ませる。

親方と一心同体になるとを望みながら、ひたすら地道な反復作業に努める。

一心同体とは、仕事の技だけでなく、暮らしを含めて生きる術を身に着ける。


失敗の受け止め方!


◦仕事には失敗が付き物であり、必ず失敗する。

その際、反省しそこから学ぶことが肝要なのだ。

なぜ失敗したのか? その原因を追究し、探り当てる。

把握⇒分析⇒改善⇒試行錯誤の反復。

親方と一緒に仕事をしていく中で、己自身が考えることである。

・大工として独立した時のため。

・常にハングリー精神を厳守。

  ・見て覚えて、自分でやってみることで、身に付くのだ。

  ・修行時代の仕事内容や段取りの仕方などは、大工としての心身の道具である。


覚悟の大切さ!


・何事も、本気で臨むこと。

・兎に角、闇雲に緩まず・弛まず、一生修行のつもりで継続して励むこと。

・その間、掃除・道具の手入れなどに終始した作業でも、それが大切なのだ。


時間・手間の大切さ!

・修行中に限らず、無駄な時間・手間は無い。

・仕事(広義で)に省略や近道は無いのだ。

……。

《結論》

「人間回帰」(人間としての原点に立つこと)⇒それぞれが、自分らしく生きることに努めることなのだ。




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2022年04月04日

孟子 14

67孟子 M_20210812M.jpg

        無
        恥
    無   之
    恥   恥
    矣

恥ずることなきを之れ恥ずれば、恥無し

無恥を恥じる心があれば、この人は恥ずべきことの無い人である。

<管 見>

恥を知るとは、自らの誤った行いを恥ずかしがる心があることである。

孔子(BC552BC479)は、

「己を行うに恥あり」と、自分の行動について、恥とは?ということを弁えている「士」(学問・道徳を具えている人)の精神を大いに讃えている。

また、「恥を知るは勇に近し」とも言っている。

人が自らを恥ずかしがることは勇気が必要であり、恥を知ってこそ金銭の欲を抑えられ、困難に負けず、謙虚でいることができ、他人に対して思いやりを持って接することができるのだ。

孟子(BC372BC28)は、

「悪を恥じる心がないのは、人間でない」とも言っている。

孟子の「性善説」は、人は生まれつき、哀れむ心、恥じる心、謙虚の心、是非の心を持っており、これらは仁、義、礼、智の芽生えであるとし、

これら人類にしかない善の性は、禽獣や虫魚には備わっていない。

人は悪を恥じる心があるから、名利を前にして立派な節操が働くのだ。

 また、

「人は恥知らずではならず、恥知らずの恥こそ、恥知らずなり」との言もある。

即ち、人は恥をなくしてはならない、恥知らずという恥は本当の恥知らずである。


 自身の能力不足を素直に、そして躊躇わずに認めるという言動は容易なことではない。

人が自分の不足を恥と感じ、改正する勇気があれば、まだ救いがある。

* 恥そものの、意識が無い(恥を恥と思わない)

* 人の反応を勝手(自分に良いように)な解釈して、自慢にする。

 * 人の反応を勝手(故意な悪評と捉えて)な解釈して、反省せずに開き直る。

朱熹(11301200)は、

「人に恥じありて、為すべきでないことを為さない」と言っている。

人に恥じる心があったら、してはいけないことをしない。

恥を知れば、自ずと意志固く、貧富、得失、利益において取捨選択ができ、欲望に走らない。

そうでなければ、恥じる心がないとなんでもやりかねない。

呂坤(りょこん)15361618・明代の学者)は、

「五刑は一恥にかなわず」と言った。

即ち、如何なる厳罰でも、百姓(ひゃくせい)(人民)に恥を知ってもらうことに敵わない。

人に廉恥(れんち)(恥を知る心)を知ることは刑罰より大切で、道徳が高まることで恥を知れば、自ずと言動を弁えるのだという。

これは法を犯してから刑罰するより効率的である、というのだ。


ドストエフスキーの「罪と罰」では、(主人公の学生の理論と実践について)

➀理論(理想):罪悪(殺人など)は善行(社会貢献)によって償われる、とする勝手な立論。

➁実線(現実):目的とする殺人以外にも、殺人を犯してしまう、という実態。

B結果:@と➁のギャップに増長する一方、苦悩する主人公。

そういう中にあった時、家族の為に献身的な自己犠牲に生きる女性を知り、彼は自首する。

という人間回復の物語だが、これも真の善というものを知らない成長過程にある若者とはいえ、人としての勝手極まる恥ずべき行為だろう。

序でに記せば、 漢和字典(昭和40年初版)に、

()」は、会意形声文字で、心が柔らかくイジケルこと、また、恥じて耳が赤らめること。

(しゅう)」は、恥じて心が縮まること。

()」は、恥ずかしくて心にシコリがあること。

(じょく)」は、柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。

(さく)」は、ドキッとして、顔色が変わること。

 とある。

勝手に解釈すれば、

*自ら生ずる情動や他からの情報を、先ず素直な感覚(視聴覚等)で感じ取ること。

*それを、自然(柔らかい)にして有心(思慮・分別・深い心の働き)を琴線に伝達すること。

*次に、届けられた事柄を確りと柔軟に適応できる赤心を以て感知し、認識すること。

つまり、

*素朴な感覚の持続。

*円満な「知情意」の発達に努めること。

であり、自然で素直な感覚と心は一対なのである、といえるだろう。

人生にあって、これらを努めることで「恥を知る心を」を持続できるのだ。

それはまた、「人」としての価値を失わない為の我々が出来得る、最低の手段だといえるであろう。

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2022年03月28日

孟子 13

66孟子 L_20210812L.jpg

       於    好
       天    善
       下    優


善を好めば天下に優なり。


為政者が真に善を好めば、その力は全世界を治めてもまだ余裕がある。

だから、そのような真の為政者にとっては、一国を治めるなど造作も無いことだ。


<管 見>

魯の国が、孟子の弟子の(がく)正子(せいし)を政治に登用しようとしていた。

そこで、孟子は次のように言った、

「余はこの知らせを聞いてから、嬉しくて夜も寝られないよ。」

それを聞いて、別の弟子の公孫(こうそん)(ちゅう)が言った、

「楽正子は、剛毅なのでしょうか?」

それに対して孟子は、

「全くそんな事は無いよ」

では、

「思慮深い智慧者なのでしょうか?」

孟子、

「いいや」

公孫丑、

「博識多聞だとか?」

孟子、

「些かも無い」

公孫丑、

「それならば、どうして先生は嬉しくて夜も寝られないのですか?

それだったら、むしろ不安にならないのですか?」

孟子、

「楽正子の人となりは、善を好むからだ」

公孫丑、

「善を好むだけで、政治を執れるのでしょうか?」

孟子、

「善を好めば、天下を治めるのにも十分なのだ。

それにも増して、魯国を治めるには余りある。

そもそも、いやしくも善を好めば、天下の者はこぞって千里の道をも平気で駆けつけて、彼に善を告げようとするのだ。

しかし善を好まなければ、甘言を好み諫言を退けるような、誤った判断のもとに独りよがりの言動をしてしまうのだ。

心ある人(有為の人たち)を遠ざけてしまうのである。

賢臣(諫言者)が千里の遠くに離れてしまえば、代りに阿諛追従の輩(甘言者)が集まってくる。

阿諛追従の輩と共にいては、国を治めようとしても治められないのだ。」


楽正子は、孟子の愛弟子であったが、然し、孟子が言うに彼は剛毅でもないし、思慮深い知恵者でもないし、博識多聞でもない。

単に善を好むだけが取り得だと言う。


孟子は、楽正子が善を好む人となりであることだけで、国を治めるのには十分であると言う。

為政者のなすべきことは、とにもかくにも人材を得ることにある。

堯は舜を、舜は禹を、湯王は伊尹を、文王は太公望らを得たことが天下の王となった理由であった。

そして為政者自身は特に実務を行なう必要はなく、信に値する人材(人財)を選択する正しい眼力を有していればよいのだ。

孔子は、(舜ついて)自ら政治に関与せず、天下を保ち続けたとして称えた、という。

それこそが、聖人(三皇五帝の五帝の一人)の道であったと言うのだ。

例えば、劉邦と項羽を比較する時、(結果論ではあるが)

劉邦:自らは無能であったが、有能な人材を信任して自由に活躍させた。

項羽:卓越した能力と若さ、そして筋目正しい家柄などを持ちながら、独立不羈(他から制御されないで自己の所信を貫く)を貫いた。(他者の意見には、耳を貸さなかった)

結果は周知の通り、史の示す通りは歴然としている。


歴史に見えないことは勿論、剰え巷間の風聞にさえ現れない誠の人たちの存在を、想うべきだろう。

でも、想ってみても詮無いことかもしれない。

何故ならこの世は、名を馳せた巨星であろうが、(うだつ)の上がらぬ名無しの権兵衛であろうとも、何れ時の経過と共に色褪せていくのを免れようとしても全ては天任せで、人にはその術はないのだから。


「臣の好む所の者は道なり。技よりも進めり。」(荘子)(既述)

( 私が好きなのは道である。技術の先にあるものだ。)

包丁(既述)は「道」、つまり自然を好んだ。

彼は料理人だったが、

「自然体とは何かを追及しながら、技術を極めた」と、いう。


最近よく見聞きする語にSustainable(持続可能)というのがあるけど、愚生がこの言葉に初めて出会ったのは、今から20年ほど前のことだったと想起する。

それは、従来からの各界での概念であった、経済最優先のスクラップ&ビルド(建てては壊し、壊しては建てる)方式の見直し論に関する書だった、と記憶している。

つまり、建築という狭い世界においても、「自然の存在と、それを素直に受け入れることの出来る己の心のあり方を追及しながら、技術を極める」のでなければならない、といえるであろう。


他の世界にあっても、然りだと思う。


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2022年03月21日

孟子 12

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         歸
     有   而
     餘   求
     師   之


帰りて之を求めば、余師あらん。

退いて静かに求めれば、学ぶべき師はたくさんあるであろう。

人生、いたるところに師がいるものだ。


<管 見>

 〈注〉

(そう):(BC1046 -BC487年)は、中国大陸に西周から春秋時代にわたって存在した小国である。国姓は姫。国都は陶丘(現在の山東省菏沢市定陶区の南西)。

    創始者は周の武王の弟の曹叔振鐸。

  周代の尺:≒18cm〜23cm⇒≒20cm

  ∴文王は≒2m・湯王は≒1.8

曹の君主の弟であった曹交が、孟子に尋ねた。

「人は誰でも堯や舜のような人物になれるというが、それは本当でしょうか。」

孟子は言った。

「その通りです。」

「聞く所によると、周の文王は身長が十尺あり、殷の湯王の身長は九尺あったそうです。

それなのに、私は九尺四寸(1.88)もあるけど、自分でもあきれるほどだらしない人生です。

何故、堯や舜のような素晴らしい人物になれないのでしょうか。」

「身長などは関係ありません。

ただ仁義の道を行うだけです。〈注〉仁義:思いやりの心と正しい行い。

例えば、

*今一匹の鴨の雛さえ持ち上げることが出来ない人がいれば、世間は力のない人だと言うでしょう。

*百鈞(60s)を持ち上げると言う人がいれば、世間は力持ちだと言うでしょう。

それならば、力持ちで有名な烏獲(戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約8000s)と同じように持ち上げる人がいれば、その人も烏獲と同じだと言うほかはありません。

だから、人は力が足りないことを悩む必要はないのです。

要は、努力しないことに問題があるのです。

年長者と同行する時、ゆっくり歩いて後ろから従っていくのが徳で、速足で年長者の前を歩くのを不弟(年少者・礼としての道を守らないこと)と言うのです。

ゆっくり歩くことは、どうして人のできないことでありましょうか。

出来ないのではなく、そうしないだけの事です。

堯・舜の道は、ただ孝弟の徳を行うだけの事です。

あなたが堯と同じ礼に適った服を着、堯と同じ仁義に適った正しい言葉を述べ、堯の孝悌(兄や年長者に従うこと)の正しい行いを実行すれば、あなたは堯になれるでしょう。

これに反して、あなたが桀と同じ非礼の服を着、仁義に悖る言葉を述べ、暴虐な行いをしたならば、あなたは桀と同じ人間にほかありません。」

「私は鄒君にお目見えしたら、屋敷を借りることが出来ます。できればしばらく滞在して、先生よりお教えを受けたいと存じます。」

「いや、人の道は大路(大道)のようなものです。どうしてそれを知るのに難しいことが有りましょうか。

求めないことが問題なのです。

〈愚生注〉この場合の大路とは、多くの才能ある人たちが行き交う場所に己が居ても、求めようとする自覚や人を見抜く力が無ければ、単なる喧噪な大通りにしか見えない、の意だろう。

求める気さえあれば、帰られても(現在の居るべき場所)、師とすべき人物が必ずおられるでしょう。

無理にここに留まる必要はありません。」


(愚生の短見だが)この意味は、立派な人物になるのは、難しいことはない、ただそれを為そうと努力しないだけである、というのが趣意なのだろう。

趙岐(後漢末の政治家)の章指(心裏を文章にしたものか?)にも、天下の大道、人並び之に由る、さざるをやまいあたわざるをわずらえず、と述べている。

愚生なりきに解釈して記せば、

才能が無くて出来ないのではなく、省みる事もせず・実行しようとしない、所謂、自らの努力を惜しみただ漫然として、為さねばならぬことを怠っているのだ ということだと受け止めるが、如何だろうか。

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2022年03月14日

孟子 11

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      我     爾
      爲     爲
      我     爾


(なんじ)は爾()り、我は我為り。

春秋時代、魯の国の大夫の柳下恵の言葉だといわれる。

この言葉は、確固した信念の持ち主の言葉だろう。

だが、ひょっとするとそうではなく、願望からでた言葉なのかも知れない?という説もある。

〈注〉

柳下恵:本名は展禽、字は季と言う。

 柳下という地に居り、死後に恵と(おくりな)されたことから後世、柳下恵と呼ばれるようになった、という。


<管 見>

柳下恵は、流俗に動かされること無く、自ら信じるところを行った賢大夫として知られている。

だからきっと、彼の言わんとすることは、

「世の流言などに惑わされることなく、己の信ずるままに生きよ」という箴言だろう、と思う。


世の中に繁茂する諸犯罪や個々心の鬱・種々の悩みだとかいう原因は、さも本人以外の周囲の人たちや環境によるものとする傾向が一般的である。

例えば、虐めによって自殺した児童が出た時、親族・マスコミをはじめ世間の大勢は、その因を本人以外に目を向けて糾弾することが慣わしの如くの傾向があり、それに反する言動をする者を白眼視する風潮が強い。


然し、それ一辺倒でいいのだろうか?

世間一般や個々の人間には戴けない悪癖が多く、何時の世にあっても蔓延るのを阻止できない。

何故だろうか?

それらは、個人の品位・人間力にかかっているのだが、多勢と無勢をいち早く掴み多勢に加担するという、無定見・日和見・付和雷同・風見鶏など、中には二股膏薬・無節操な輩が多いせいだろう。


孟子はこのようにも言っている。

「皆国のため、国家のためというが、国の元は家庭にあり、家庭の元はわが身にある。

国を思うならば、わが身を修めることが先決だ。」

言い換えれば、

「大きなことを言ったり、他人の所為にしたり、また世間の実の無い物事に興を湧かせる暇があったら、先ず己の頭の蠅を追え!」ということだ。


〈追記〉:今少し「柳下恵」のことを記せば、

周の時代の職名

卿 :最上級の大臣

大夫:次官・長官で、柳下恵は、士師(しし)と呼ばれる裁判官に相当するような職。

士師:中国、周代の官名の一つ。刑罰の任にあたった役人。士吏。司法官。

彼は、幾度か官位を下げられた、という逸話が残されている。

度々降格されたということは、上役からみれば扱い難い人柄だった、と類推される。

多分、今回の至言からして想うには、下には篤く上には厳しい態度で対したのではなかろうか。

それでも罷免されること無かった、という事実から思い合わせてみると、

  有能だけど、上司に対しては甘言が無く、諫言が多い。

  かといって、いないと職務に支障を来す。

  だから、昇格はさせぬが、辞めさせることも出来ない。

  そこで、官位を下げても本人は飄然として職務に専念している。

つまり、名利より己の信念に沿った生き方を貫く、といった存在だったのだろう。


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2022年03月07日

孟子 10

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(文王)
       如    視
       
       傷    民

(周の文王)は、

一般の民を労りの心を寄せ、恰も傷つける人を見るように、心配りをした。


<管 見>

はなに記した言葉の後に、望道而未之見、が続くのである。

そこで改めて全文を記せば、文王は民を()ること、()める(ものを傷む)が如く、道を望むこと未だ之を見ざるが如し、となる。

周の文王は民に対しては、病人を哀れむように民をいたわり、正しい道を仰ぎ望むことと、

同時に、まだ見ぬものをあこがれ慕うように熱心であった、ということになる。


また、伝説時代の三皇五帝を除き、それ以降の聖王と後世から尊敬され慕われるような人たちを、孟子は次のように述べている。(夏王朝・殷王朝・周王朝の三代について)

孟子は、(※記述のものは、重複するが……)

「禹(夏王朝の始祖)は、美味い酒などを遠ざけて、善言を聞くことを好んだ。

湯王(殷王朝の創始者)は、中庸の徳を持って賢者を登用し、依怙贔屓(えこひいき)しなかった。

文王(周王朝の創始者)は、人民を怪我人をいたわるかのように視察し、どうすれば正道を行くことができるのかと未踏の道を望むがごとくに(こころ)()がれた。

武王(周王朝の初代の王)は、側近を侮ることなく、疎遠な者どもですら心に忘れなかった。

周公(名は旦、周王朝・文王の子で、武王の弟。武王を援けてその死後、甥の成王の補佐役に徹して周王朝の存続に貢献した)は、これら夏・殷・周の三代にわたる四人の聖王たちの業績を全て兼ねようと思い立った。

このように、聖王たちの政治が現代の実情に合わないことがあったならば、正しい解答はどこにあるのかと、天を仰いで昼も夜もずっと考え続けた。

そして幸いにもよい解答が思いついたならば、すぐにでも政治に適用しなければと焦る気持ちで、早く朝が来ないかと座って待ち続けたものだ。」

以後、現在までこのような聖人・賢人に相当せずとも、それに少しでも近いといわれる人たちどれほ存在しただろうか?


世界的諸問題を多く抱えている現在、選挙の時ばかり美酒・甘言を並び立て国民のクダラナイ輩どもを相手に票稼ぎに精を出し、当選すればそっくり返る有様である。

それが、国単位から地方単位まで押しなべて然りなのだ。


ある時、医院の待合室で何気なく横目で、横の席のスマホを覗き見したら

「選ばれる方も・選ぶ方も、どっちもどっちなんだよ!」

と、呟くようなメールを受信したその人は、目でその文を追いながら笑っていた。





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2022年02月28日

孟子 9

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             好          惡
             善    而    旨 
             言          酒

旨酒を悪んで、善言を好む。

「禹王」は美酒を退けて、好んで人から善言を聴き、そして、それを用いた。

儀狄(ぎてき)酒を作る。()は飲んで之を(うま)しとして曰く、後世必ず酒を以て其の国を亡ぼす者あらん」、

また、しょうげんを拝す」というのは、古書に書かれた「禹王」の態度だった、といわれる。


【愚生注】

儀狄(ぎてき) :禹王の夏時代(BC1900年頃 –BC1600年頃)にいた人の名前。

(しょう)(げん):道理にかなった良い言葉。善言。


<管 見>

儀狄が穀物から出来た酒を献上したところ、あまりの美酒に禹王は、

「後々、このような美酒に溺れ、人道を誤り、剰え国家を滅ぼす者が現れるだろう……」と言って、儀狄を遠ざけ重用しなくなったという。

この逸話を推量すれば、

酒を飲む事によって、(麻薬と同様に)精神喪失・精神耗弱や正常な判断を失い種々の問題を起こし、その人自身は勿論日ならずして、人間関係の悪化に発展し、やがては地域社会・組織さらには国までも滅ぼして仕舞いかねないことを恐れたのであろう。


人間は、如何に文明・文化が発達しようとも本来の性は変わらない・

まして、普段は本性を抑えている人ほど酒に飲まれた時の人の豹変ぶりは、目に余る。


美酒を甘言、良薬を諫言に置き換えても「肯綮(こうけい)(あた)る」(要点をつく)のではなかろうか。

世の乱れは、「禹王」の先見(予想)通りで、現在にまで続いているのは周知の通りである。

交通事故・各種の犯罪・等々……。



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2022年02月21日

孟子 8

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       知     恵
       爲     而
       政     不


恵なれども、(まつりごと)を為すを知らず。

恵む心はあるけれども、大局から見れば真の政治の方法を知らない、と孟子は説く。

鄭の名宰相として名高い子産が、人々が川を徒歩で渡っているのを見て、自分の車(馬車・牛車か)を貸してやった、という。

それを聞いた孟子は、

「小恵であるが、政治ではない。為政者として為すべきことは、もっと大局に意を注ぐべきだ」


と言った、というのである。

<管 見>

世界中が厄災に悩まされている時に、自らお祭り騒ぎを煽り立てて旗を振っている。

それが、〇〇屋と言われる所以なのであろう。

矛盾=E自家(じか)撞着(どうちゃく)=E自家(じか)撲滅(ぼくめつ)=E朝令暮改=c…を臆面もなく振る舞うことができるのも当事者の資質を考えれば、”然もありなん”と何だか妙なところで納得してしまう。

〈そんな輩は、今更話題にするに値しないのだが、中国の春秋・戦国時代など周末から漢代にかけて出現した諸子百家の人々と比較すること共に、理非を判別する意味合いで記したに過ぎない……〉

―閑話休題―

孟子に先立つこと≒180年前の孔子は、子産が亡くなったことを知った時に、「(いにしえ)の遺愛なり」(昔の宰相のように民を本当に愛すること)と、言って惜しんだ、という。

扨て、そこで三者のことを記してみると、

「孔子」(BC551BC479春秋時代)は、広い学識により信望を集め,多くの門弟を教えた。

「子産」(BC585?BC522春秋時代)は、春秋時代の(てい)の名宰相。

法治主義(法律によって国を治める主義)によって国を治め、中国最初の成文法を作った。

外交・内政に優れ、巧みに大国間(晋〜楚)の均衡を保ち平和を実現するなど、国に貢献した。

「孟子」(BC372BC289戦国時代)は、 孔子の孫の子思の門人に学び,(りょう)  (せい)  (そう)などを遊説を遍歴するも目的が叶わず、晩年故郷で門人の教育にあたった。

孔子・子産と孟子の違いは、≒180年程の差があり時代背景が異なることも一因だろう。

では試みに、この三者を上記とは異なる見地を以てすれば、

孔子:(春秋時代)「仁」、つまり、人間(個々)を大切にすることが基本とした、思想家・教育家。

子産:(春秋時代)「法治主義」を以て国を治めた、実務家・政治家。

孟子:(戦国時代)「義」(人としての基準)、特に孟子は、生命より義を選び、社会的行為がある一定の規則にかなっていること、を重要視した。つまり、社会の規範を重視した、思想家・教育家。


従って、今回の至言である孟子の大局的見地の指摘も否定はせぬが、だからと言って多くの人たちによる子産の高い評価は、些かも褪せることは無い、と言える。

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2022年02月14日

孟子 7

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            求           道
            諸    而     在
            遠           爾

道は(ちか)きに在り。而るに()れを遠きに求む。

人の道は手近な日常生活のうちにある。

それを忘れて、何かというとわざわざ高いところや遠いところに在ると思いがちである。

<管 見>

*平地から見る天空

*里や麓から見る高山

*田舎から見る都会

*在所から見る高名な名所旧跡

など、世の聞こえ高い所へ目が向きがちである。

例えば、

*地元の鎮守様

*質素な菩提寺

よりも、

有名な神社仏閣へ行けばご利益がある、と思う人達は少なくない。


孟子は、親を親愛し、年長を尊敬する、その気持ちが人の道なのだ≠ニ説いている。

極論かも知れないけれども、換言すれば人の道は、己の心の中にある≠フではないだろうか。

その自身の心を放っといて、他に頼った生き方をするのは、まさに本末転倒であろう。

そう言えば、

「山高きが故に貴からず、樹有るを以もって貴しと為なす。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しと為す。」という言葉がある。

即ち、山は高いから貴いのではなく、そこに樹が生えているから貴いのである。

人も、見た目が立派(図体が大きい)だから高潔だとは限らない。

つまり、見かけや評判が問題なのではなく、正味である中味()が大切なのである。

序でに記せば、孔子や始皇帝などで馴染みの山東省に在る「泰山」は、高さは1,500m程で、決して高くは無いけれど、五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも景仰(徳を慕い仰ぐ)される春秋時代以来の伝統がある。

然も、封禅の儀(天を地を祭り、天命を受ける儀式)が行われる山として名高かった。

ところで話は転ずるが、嘗て(50年以上前になるか?)女性が結婚相手に選ぶ基準として、高収入、高学歴、高身長の「三高」が男性に求められていた時代があった。

今から思うと、高度成長期の一過性のものに過ぎなかったけれど、それに踊らされた若者も少なくなかったように記憶している。

また、「より速く、より高く、より強く」は、オリンピックのモットーであるが、これは結果よりも「目標を目ざして、努力し続つづける」経過の大切さを意味するのでは?

加えて、単にスポーツだけに止まらず、人間として「より深く・高く・広く」を極めるために継続した努めを怠ることのないように、という精神を求めているのではないのだろうか。

何事も出発時から時を経ると、その目的やその過程の大切さはお座なりにされて色褪せ、単なる勝負だけに拘る風潮が、今時では益々顕著になっていくことは、真に嘆かわしい世相である。



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