2022年03月28日

孟子 13

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       於    好
       天    善
       下    優


善を好めば天下に優なり。


為政者が真に善を好めば、その力は全世界を治めてもまだ余裕がある。

だから、そのような真の為政者にとっては、一国を治めるなど造作も無いことだ。


<管 見>

魯の国が、孟子の弟子の(がく)正子(せいし)を政治に登用しようとしていた。

そこで、孟子は次のように言った、

「余はこの知らせを聞いてから、嬉しくて夜も寝られないよ。」

それを聞いて、別の弟子の公孫(こうそん)(ちゅう)が言った、

「楽正子は、剛毅なのでしょうか?」

それに対して孟子は、

「全くそんな事は無いよ」

では、

「思慮深い智慧者なのでしょうか?」

孟子、

「いいや」

公孫丑、

「博識多聞だとか?」

孟子、

「些かも無い」

公孫丑、

「それならば、どうして先生は嬉しくて夜も寝られないのですか?

それだったら、むしろ不安にならないのですか?」

孟子、

「楽正子の人となりは、善を好むからだ」

公孫丑、

「善を好むだけで、政治を執れるのでしょうか?」

孟子、

「善を好めば、天下を治めるのにも十分なのだ。

それにも増して、魯国を治めるには余りある。

そもそも、いやしくも善を好めば、天下の者はこぞって千里の道をも平気で駆けつけて、彼に善を告げようとするのだ。

しかし善を好まなければ、甘言を好み諫言を退けるような、誤った判断のもとに独りよがりの言動をしてしまうのだ。

心ある人(有為の人たち)を遠ざけてしまうのである。

賢臣(諫言者)が千里の遠くに離れてしまえば、代りに阿諛追従の輩(甘言者)が集まってくる。

阿諛追従の輩と共にいては、国を治めようとしても治められないのだ。」


楽正子は、孟子の愛弟子であったが、然し、孟子が言うに彼は剛毅でもないし、思慮深い知恵者でもないし、博識多聞でもない。

単に善を好むだけが取り得だと言う。


孟子は、楽正子が善を好む人となりであることだけで、国を治めるのには十分であると言う。

為政者のなすべきことは、とにもかくにも人材を得ることにある。

堯は舜を、舜は禹を、湯王は伊尹を、文王は太公望らを得たことが天下の王となった理由であった。

そして為政者自身は特に実務を行なう必要はなく、信に値する人材(人財)を選択する正しい眼力を有していればよいのだ。

孔子は、(舜ついて)自ら政治に関与せず、天下を保ち続けたとして称えた、という。

それこそが、聖人(三皇五帝の五帝の一人)の道であったと言うのだ。

例えば、劉邦と項羽を比較する時、(結果論ではあるが)

劉邦:自らは無能であったが、有能な人材を信任して自由に活躍させた。

項羽:卓越した能力と若さ、そして筋目正しい家柄などを持ちながら、独立不羈(他から制御されないで自己の所信を貫く)を貫いた。(他者の意見には、耳を貸さなかった)

結果は周知の通り、史の示す通りは歴然としている。


歴史に見えないことは勿論、剰え巷間の風聞にさえ現れない誠の人たちの存在を、想うべきだろう。

でも、想ってみても詮無いことかもしれない。

何故ならこの世は、名を馳せた巨星であろうが、(うだつ)の上がらぬ名無しの権兵衛であろうとも、何れ時の経過と共に色褪せていくのを免れようとしても全ては天任せで、人にはその術はないのだから。


「臣の好む所の者は道なり。技よりも進めり。」(荘子)(既述)

( 私が好きなのは道である。技術の先にあるものだ。)

包丁(既述)は「道」、つまり自然を好んだ。

彼は料理人だったが、

「自然体とは何かを追及しながら、技術を極めた」と、いう。


最近よく見聞きする語にSustainable(持続可能)というのがあるけど、愚生がこの言葉に初めて出会ったのは、今から20年ほど前のことだったと想起する。

それは、従来からの各界での概念であった、経済最優先のスクラップ&ビルド(建てては壊し、壊しては建てる)方式の見直し論に関する書だった、と記憶している。

つまり、建築という狭い世界においても、「自然の存在と、それを素直に受け入れることの出来る己の心のあり方を追及しながら、技術を極める」のでなければならない、といえるであろう。


他の世界にあっても、然りだと思う。


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2022年03月21日

孟子 12

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         歸
     有   而
     餘   求
     師   之


帰りて之を求めば、余師あらん。

退いて静かに求めれば、学ぶべき師はたくさんあるであろう。

人生、いたるところに師がいるものだ。


<管 見>

 〈注〉

(そう):(BC1046 -BC487年)は、中国大陸に西周から春秋時代にわたって存在した小国である。国姓は姫。国都は陶丘(現在の山東省菏沢市定陶区の南西)。

    創始者は周の武王の弟の曹叔振鐸。

  周代の尺:≒18cm〜23cm⇒≒20cm

  ∴文王は≒2m・湯王は≒1.8

曹の君主の弟であった曹交が、孟子に尋ねた。

「人は誰でも堯や舜のような人物になれるというが、それは本当でしょうか。」

孟子は言った。

「その通りです。」

「聞く所によると、周の文王は身長が十尺あり、殷の湯王の身長は九尺あったそうです。

それなのに、私は九尺四寸(1.88)もあるけど、自分でもあきれるほどだらしない人生です。

何故、堯や舜のような素晴らしい人物になれないのでしょうか。」

「身長などは関係ありません。

ただ仁義の道を行うだけです。〈注〉仁義:思いやりの心と正しい行い。

例えば、

*今一匹の鴨の雛さえ持ち上げることが出来ない人がいれば、世間は力のない人だと言うでしょう。

*百鈞(60s)を持ち上げると言う人がいれば、世間は力持ちだと言うでしょう。

それならば、力持ちで有名な烏獲(戦国時代の秦の武王に仕えていた烏獲は、重さ約8000s)と同じように持ち上げる人がいれば、その人も烏獲と同じだと言うほかはありません。

だから、人は力が足りないことを悩む必要はないのです。

要は、努力しないことに問題があるのです。

年長者と同行する時、ゆっくり歩いて後ろから従っていくのが徳で、速足で年長者の前を歩くのを不弟(年少者・礼としての道を守らないこと)と言うのです。

ゆっくり歩くことは、どうして人のできないことでありましょうか。

出来ないのではなく、そうしないだけの事です。

堯・舜の道は、ただ孝弟の徳を行うだけの事です。

あなたが堯と同じ礼に適った服を着、堯と同じ仁義に適った正しい言葉を述べ、堯の孝悌(兄や年長者に従うこと)の正しい行いを実行すれば、あなたは堯になれるでしょう。

これに反して、あなたが桀と同じ非礼の服を着、仁義に悖る言葉を述べ、暴虐な行いをしたならば、あなたは桀と同じ人間にほかありません。」

「私は鄒君にお目見えしたら、屋敷を借りることが出来ます。できればしばらく滞在して、先生よりお教えを受けたいと存じます。」

「いや、人の道は大路(大道)のようなものです。どうしてそれを知るのに難しいことが有りましょうか。

求めないことが問題なのです。

〈愚生注〉この場合の大路とは、多くの才能ある人たちが行き交う場所に己が居ても、求めようとする自覚や人を見抜く力が無ければ、単なる喧噪な大通りにしか見えない、の意だろう。

求める気さえあれば、帰られても(現在の居るべき場所)、師とすべき人物が必ずおられるでしょう。

無理にここに留まる必要はありません。」


(愚生の短見だが)この意味は、立派な人物になるのは、難しいことはない、ただそれを為そうと努力しないだけである、というのが趣意なのだろう。

趙岐(後漢末の政治家)の章指(心裏を文章にしたものか?)にも、天下の大道、人並び之に由る、さざるをやまいあたわざるをわずらえず、と述べている。

愚生なりきに解釈して記せば、

才能が無くて出来ないのではなく、省みる事もせず・実行しようとしない、所謂、自らの努力を惜しみただ漫然として、為さねばならぬことを怠っているのだ ということだと受け止めるが、如何だろうか。

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2022年03月14日

孟子 11

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      我     爾
      爲     爲
      我     爾


(なんじ)は爾()り、我は我為り。

春秋時代、魯の国の大夫の柳下恵の言葉だといわれる。

この言葉は、確固した信念の持ち主の言葉だろう。

だが、ひょっとするとそうではなく、願望からでた言葉なのかも知れない?という説もある。

〈注〉

柳下恵:本名は展禽、字は季と言う。

 柳下という地に居り、死後に恵と(おくりな)されたことから後世、柳下恵と呼ばれるようになった、という。


<管 見>

柳下恵は、流俗に動かされること無く、自ら信じるところを行った賢大夫として知られている。

だからきっと、彼の言わんとすることは、

「世の流言などに惑わされることなく、己の信ずるままに生きよ」という箴言だろう、と思う。


世の中に繁茂する諸犯罪や個々心の鬱・種々の悩みだとかいう原因は、さも本人以外の周囲の人たちや環境によるものとする傾向が一般的である。

例えば、虐めによって自殺した児童が出た時、親族・マスコミをはじめ世間の大勢は、その因を本人以外に目を向けて糾弾することが慣わしの如くの傾向があり、それに反する言動をする者を白眼視する風潮が強い。


然し、それ一辺倒でいいのだろうか?

世間一般や個々の人間には戴けない悪癖が多く、何時の世にあっても蔓延るのを阻止できない。

何故だろうか?

それらは、個人の品位・人間力にかかっているのだが、多勢と無勢をいち早く掴み多勢に加担するという、無定見・日和見・付和雷同・風見鶏など、中には二股膏薬・無節操な輩が多いせいだろう。


孟子はこのようにも言っている。

「皆国のため、国家のためというが、国の元は家庭にあり、家庭の元はわが身にある。

国を思うならば、わが身を修めることが先決だ。」

言い換えれば、

「大きなことを言ったり、他人の所為にしたり、また世間の実の無い物事に興を湧かせる暇があったら、先ず己の頭の蠅を追え!」ということだ。


〈追記〉:今少し「柳下恵」のことを記せば、

周の時代の職名

卿 :最上級の大臣

大夫:次官・長官で、柳下恵は、士師(しし)と呼ばれる裁判官に相当するような職。

士師:中国、周代の官名の一つ。刑罰の任にあたった役人。士吏。司法官。

彼は、幾度か官位を下げられた、という逸話が残されている。

度々降格されたということは、上役からみれば扱い難い人柄だった、と類推される。

多分、今回の至言からして想うには、下には篤く上には厳しい態度で対したのではなかろうか。

それでも罷免されること無かった、という事実から思い合わせてみると、

  有能だけど、上司に対しては甘言が無く、諫言が多い。

  かといって、いないと職務に支障を来す。

  だから、昇格はさせぬが、辞めさせることも出来ない。

  そこで、官位を下げても本人は飄然として職務に専念している。

つまり、名利より己の信念に沿った生き方を貫く、といった存在だったのだろう。


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2022年03月07日

孟子 10

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(文王)
       如    視
       
       傷    民

(周の文王)は、

一般の民を労りの心を寄せ、恰も傷つける人を見るように、心配りをした。


<管 見>

はなに記した言葉の後に、望道而未之見、が続くのである。

そこで改めて全文を記せば、文王は民を()ること、()める(ものを傷む)が如く、道を望むこと未だ之を見ざるが如し、となる。

周の文王は民に対しては、病人を哀れむように民をいたわり、正しい道を仰ぎ望むことと、

同時に、まだ見ぬものをあこがれ慕うように熱心であった、ということになる。


また、伝説時代の三皇五帝を除き、それ以降の聖王と後世から尊敬され慕われるような人たちを、孟子は次のように述べている。(夏王朝・殷王朝・周王朝の三代について)

孟子は、(※記述のものは、重複するが……)

「禹(夏王朝の始祖)は、美味い酒などを遠ざけて、善言を聞くことを好んだ。

湯王(殷王朝の創始者)は、中庸の徳を持って賢者を登用し、依怙贔屓(えこひいき)しなかった。

文王(周王朝の創始者)は、人民を怪我人をいたわるかのように視察し、どうすれば正道を行くことができるのかと未踏の道を望むがごとくに(こころ)()がれた。

武王(周王朝の初代の王)は、側近を侮ることなく、疎遠な者どもですら心に忘れなかった。

周公(名は旦、周王朝・文王の子で、武王の弟。武王を援けてその死後、甥の成王の補佐役に徹して周王朝の存続に貢献した)は、これら夏・殷・周の三代にわたる四人の聖王たちの業績を全て兼ねようと思い立った。

このように、聖王たちの政治が現代の実情に合わないことがあったならば、正しい解答はどこにあるのかと、天を仰いで昼も夜もずっと考え続けた。

そして幸いにもよい解答が思いついたならば、すぐにでも政治に適用しなければと焦る気持ちで、早く朝が来ないかと座って待ち続けたものだ。」

以後、現在までこのような聖人・賢人に相当せずとも、それに少しでも近いといわれる人たちどれほ存在しただろうか?


世界的諸問題を多く抱えている現在、選挙の時ばかり美酒・甘言を並び立て国民のクダラナイ輩どもを相手に票稼ぎに精を出し、当選すればそっくり返る有様である。

それが、国単位から地方単位まで押しなべて然りなのだ。


ある時、医院の待合室で何気なく横目で、横の席のスマホを覗き見したら

「選ばれる方も・選ぶ方も、どっちもどっちなんだよ!」

と、呟くようなメールを受信したその人は、目でその文を追いながら笑っていた。





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2022年02月28日

孟子 9

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             好          惡
             善    而    旨 
             言          酒

旨酒を悪んで、善言を好む。

「禹王」は美酒を退けて、好んで人から善言を聴き、そして、それを用いた。

儀狄(ぎてき)酒を作る。()は飲んで之を(うま)しとして曰く、後世必ず酒を以て其の国を亡ぼす者あらん」、

また、しょうげんを拝す」というのは、古書に書かれた「禹王」の態度だった、といわれる。


【愚生注】

儀狄(ぎてき) :禹王の夏時代(BC1900年頃 –BC1600年頃)にいた人の名前。

(しょう)(げん):道理にかなった良い言葉。善言。


<管 見>

儀狄が穀物から出来た酒を献上したところ、あまりの美酒に禹王は、

「後々、このような美酒に溺れ、人道を誤り、剰え国家を滅ぼす者が現れるだろう……」と言って、儀狄を遠ざけ重用しなくなったという。

この逸話を推量すれば、

酒を飲む事によって、(麻薬と同様に)精神喪失・精神耗弱や正常な判断を失い種々の問題を起こし、その人自身は勿論日ならずして、人間関係の悪化に発展し、やがては地域社会・組織さらには国までも滅ぼして仕舞いかねないことを恐れたのであろう。


人間は、如何に文明・文化が発達しようとも本来の性は変わらない・

まして、普段は本性を抑えている人ほど酒に飲まれた時の人の豹変ぶりは、目に余る。


美酒を甘言、良薬を諫言に置き換えても「肯綮(こうけい)(あた)る」(要点をつく)のではなかろうか。

世の乱れは、「禹王」の先見(予想)通りで、現在にまで続いているのは周知の通りである。

交通事故・各種の犯罪・等々……。



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2022年02月21日

孟子 8

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       知     恵
       爲     而
       政     不


恵なれども、(まつりごと)を為すを知らず。

恵む心はあるけれども、大局から見れば真の政治の方法を知らない、と孟子は説く。

鄭の名宰相として名高い子産が、人々が川を徒歩で渡っているのを見て、自分の車(馬車・牛車か)を貸してやった、という。

それを聞いた孟子は、

「小恵であるが、政治ではない。為政者として為すべきことは、もっと大局に意を注ぐべきだ」


と言った、というのである。

<管 見>

世界中が厄災に悩まされている時に、自らお祭り騒ぎを煽り立てて旗を振っている。

それが、〇〇屋と言われる所以なのであろう。

矛盾=E自家(じか)撞着(どうちゃく)=E自家(じか)撲滅(ぼくめつ)=E朝令暮改=c…を臆面もなく振る舞うことができるのも当事者の資質を考えれば、”然もありなん”と何だか妙なところで納得してしまう。

〈そんな輩は、今更話題にするに値しないのだが、中国の春秋・戦国時代など周末から漢代にかけて出現した諸子百家の人々と比較すること共に、理非を判別する意味合いで記したに過ぎない……〉

―閑話休題―

孟子に先立つこと≒180年前の孔子は、子産が亡くなったことを知った時に、「(いにしえ)の遺愛なり」(昔の宰相のように民を本当に愛すること)と、言って惜しんだ、という。

扨て、そこで三者のことを記してみると、

「孔子」(BC551BC479春秋時代)は、広い学識により信望を集め,多くの門弟を教えた。

「子産」(BC585?BC522春秋時代)は、春秋時代の(てい)の名宰相。

法治主義(法律によって国を治める主義)によって国を治め、中国最初の成文法を作った。

外交・内政に優れ、巧みに大国間(晋〜楚)の均衡を保ち平和を実現するなど、国に貢献した。

「孟子」(BC372BC289戦国時代)は、 孔子の孫の子思の門人に学び,(りょう)  (せい)  (そう)などを遊説を遍歴するも目的が叶わず、晩年故郷で門人の教育にあたった。

孔子・子産と孟子の違いは、≒180年程の差があり時代背景が異なることも一因だろう。

では試みに、この三者を上記とは異なる見地を以てすれば、

孔子:(春秋時代)「仁」、つまり、人間(個々)を大切にすることが基本とした、思想家・教育家。

子産:(春秋時代)「法治主義」を以て国を治めた、実務家・政治家。

孟子:(戦国時代)「義」(人としての基準)、特に孟子は、生命より義を選び、社会的行為がある一定の規則にかなっていること、を重要視した。つまり、社会の規範を重視した、思想家・教育家。


従って、今回の至言である孟子の大局的見地の指摘も否定はせぬが、だからと言って多くの人たちによる子産の高い評価は、些かも褪せることは無い、と言える。

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2022年02月14日

孟子 7

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            求           道
            諸    而     在
            遠           爾

道は(ちか)きに在り。而るに()れを遠きに求む。

人の道は手近な日常生活のうちにある。

それを忘れて、何かというとわざわざ高いところや遠いところに在ると思いがちである。

<管 見>

*平地から見る天空

*里や麓から見る高山

*田舎から見る都会

*在所から見る高名な名所旧跡

など、世の聞こえ高い所へ目が向きがちである。

例えば、

*地元の鎮守様

*質素な菩提寺

よりも、

有名な神社仏閣へ行けばご利益がある、と思う人達は少なくない。


孟子は、親を親愛し、年長を尊敬する、その気持ちが人の道なのだ≠ニ説いている。

極論かも知れないけれども、換言すれば人の道は、己の心の中にある≠フではないだろうか。

その自身の心を放っといて、他に頼った生き方をするのは、まさに本末転倒であろう。

そう言えば、

「山高きが故に貴からず、樹有るを以もって貴しと為なす。人肥えたるが故に貴からず、智有るを以て貴しと為す。」という言葉がある。

即ち、山は高いから貴いのではなく、そこに樹が生えているから貴いのである。

人も、見た目が立派(図体が大きい)だから高潔だとは限らない。

つまり、見かけや評判が問題なのではなく、正味である中味()が大切なのである。

序でに記せば、孔子や始皇帝などで馴染みの山東省に在る「泰山」は、高さは1,500m程で、決して高くは無いけれど、五岳独尊とも言われ、五岳でもっとも景仰(徳を慕い仰ぐ)される春秋時代以来の伝統がある。

然も、封禅の儀(天を地を祭り、天命を受ける儀式)が行われる山として名高かった。

ところで話は転ずるが、嘗て(50年以上前になるか?)女性が結婚相手に選ぶ基準として、高収入、高学歴、高身長の「三高」が男性に求められていた時代があった。

今から思うと、高度成長期の一過性のものに過ぎなかったけれど、それに踊らされた若者も少なくなかったように記憶している。

また、「より速く、より高く、より強く」は、オリンピックのモットーであるが、これは結果よりも「目標を目ざして、努力し続つづける」経過の大切さを意味するのでは?

加えて、単にスポーツだけに止まらず、人間として「より深く・高く・広く」を極めるために継続した努めを怠ることのないように、という精神を求めているのではないのだろうか。

何事も出発時から時を経ると、その目的やその過程の大切さはお座なりにされて色褪せ、単なる勝負だけに拘る風潮が、今時では益々顕著になっていくことは、真に嘆かわしい世相である。



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2022年02月07日

孟子 6

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       強     惡

          而

       酒     酔


酔うことを(にく)んで酒を()う。

酔っ払いを憎みながら、人に酒を無理に飲ませる。

これは理屈に合わないことだと、いうのだ。

何故なら、不仁(自己抑制がなく、他者への思いやりに欠けること)は、我が身を亡ぼすからだ、と説くのである。


<管 見>

「仁」とは、人()と二からなる形声文字で、人と人との間に通う親しみ。

つまり、自分=他者の考え方だから、酔っ払いの様子を認識するということは、他者の酔った醜態を客観的認めることでもあるのだ。(然し、これは第三者の立場での認識であって、仮に酔っ払いたちはその時は正常に理解している者もいるのかもしれないが、醒めると殆ど記憶にない……、と国会での答弁みたいなことを宣う)


愚生は酒を好まないから以下は推想だけれども、

酒好きな仲間たちを想うと、酒に酔った者自身には正常な感覚が麻痺しているから、その時の自他の言動は勿論のこと、一切の事柄については真面な認識は皆無なのであろう。

それは、(他者の)酔人の姿は自分自身の姿でもあるのだ。

つまり酔っ払い同士は、お互いに鏡の中の己の姿を見ているに等しい訳である。


そして、これは酒だけのことではない、といえる。

他者を貶めたり、無理強いなどをすることは、自身に対していることと解するべきなのだろう。




さらに発展して意見を述べることは、愚生の多くの欠点の中の一つでもある、言葉が過ぎる≠アと、所謂要らざる≠アとと、叱声が発せられるのが必定なので、ここで筆を置く。 


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2022年01月31日

孟子 5

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       道    不

       不    直

       見    則



(ただ)さざれば則(すなわ)ち、道は見(あら)われず。


過ちというものは、言葉を尽くして正していかなければ、真の道は明らかにならない。


だから、友に過ちがあれば遠慮せずに忠告しよう、というのだ。


<管 見>

今回の至言については、「孟子」を知る以前つまり、物心がつく頃から吾の本性(生まれつきの性)なのであろうと思われるが、還暦を過ぎるころまで子供・大人に限らず誰彼無しに、言動に違和感を感じた際には黙認することはしなかった。

だから、この至言を目にした時には、然もありなんと大いに首肯したものである。


だが、愚生の今回の短見は、下記の点について述べたい。


@  改めさせようと幾度も繰り返し「忠告」をしても、その効果が全くなく疲れ果ててしまう。

A  そこで、手段・方法に工夫を凝らし、根気よく尽くしても徒労に終わり、際限がない。


B  それではと、心を込めて言うばかりでなく、行動(垂範)で示しても効果がない。

C  「友」とは、ただ血縁・戸籍上・級友・竹馬の友・地域・グループ・会社などを同じくすることには全く関係ない。

D  特に困るのは@〜Bでも述べたように、真心を核とした言動に細心の注意を以て臨み「忠告」しても、全く受け付けないばかりか所謂逆切れされたり、年齢や目上・目下・性別などには関係なくこれらの人たちの中には甘言馴れした輩ほど諫言をはき違えて怨みとなって反撃してくるのだ。


これらの場面・仕打ちを、愚生は今日まで言い尽くせない程遭遇し、相当の苦汁も幾たびも味わってきた。


どう考えても、身近な相互関係だけの単純なものに限らず、社会の一員としての最低の常識さえ弁えない輩は、経歴の良し悪しとか肩書などとは関係なく、見える部分という形だけを気にする者ほど偏見を振りかざしてくることが顕著であり、全く以て度し難い。

そして、この世に昔からそんな省みない者どもが、確かに存在することは厳然たる事実である。


各人が周囲を見渡して見て、それらの輩の存在の有無が確認できるかどうか、それ次第で、自らの存在が明らかになるだろう。

今回の<管 見>は、孟子の至言から遠く離れてしまい、愚生の愚痴話に終始した感が拭いきれない。

それに対する誹りは甘受するのみで、敢えて弁解はしない。



〚言い足らないので追補する〛孟子の言う通りに実行して少しでも効果の兆しでも感ずるならば、心友・親友とは言えないまでも(仮に広義での友であっても)、言葉を尽くして正すことには吝(やっぶさ)かではない。
然し、その言動を日数や月数単位では無く、何年・何十年努めても「もとの木阿弥」では匙を投げざるを得ない、のではなかろうか。
それとて、まだ未だ……
*辛抱が足らない。
*智恵・工夫が浅慮・短慮の域を超えていない。
*説得する者の人間力不足。
などと言われてしまえば、返す言葉もない。
だが、話し手と聞き手相互の心理的とか人間力というようなモノ・コトだけではなく、やはり相性の問題が関わり合うことの方の要素が少なくない、のではなかろうか?
八十路の愚生も、これまで随分色々な形・場面で多くの人たちと必然(因縁・宿命)・偶然(遭遇・邂逅)或いは公的・私的といったような関係での関わり合いがあったけれども、結論は相性と相克といった陰陽五行説としか考えられないことが、どんなに文明・科学が進んでもあることを断言しておきたい。


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2022年01月24日

孟子 4

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      謂      ヘ

         

      之   善   人

        

      忠      以


人に教うるに「善」を以てする、之を「忠」と謂う。


*人を教えるのに、如何なることが「善」であるか?
*その「善」は如何にして、実行するか?


を考えての仕事こそ、本当の「忠」というのだ、と説く。


<管 見>

この前後を付記すれば、

人に物を分け与えることを「恵み」と言い、人に善を教えることを「忠」と言い、天下の為の人材を得ることを「仁」と言う。


ここでの孟子の言う大意を記せば、「天下を任せる人財を得ることが如何に難しいか」なのであろうが、愚生の独断で今回は少しそこから離れて、「善」と「忠」について考えてみたい。


六書(漢字)によれば、

*「善」〜会意文字で、仁人・君子の美しい言葉にあって正理(正しい道理)に適った、完全なものなのだといい、転じて、一般に良い意味≠ニある。

     また、旧字では原告と被告の発言の意が含まれ、両者が良い結論を求めるために利己心を捨てて論じ合う様から、やはり良い意味≠表す、としている。

     つまり、それらから勘考すれば、道理・正道≠ネどとなるのだろう。

*「忠」〜会意兼形声文字で、中身に欠け目(不足・不完全・欠点)が無い心のこと、真心とか誠意に溢れている、などの意義とある。

     ところで、殆どの辞典では「忠」(忠義)とは臣下や民衆が国家や君主に仕えること、と定義している。

     だが、本来の「忠」(忠義)とは上記とは逆で、国家や君主が臣下や民衆に対して、道理を以て真心溢れる仕事()をすること、なのではないだろうか?

    何故なら、「主権在民」の本源は、古代ギリシアの民主政(democracy)に発するからだ。

    ただ、これを始まりとしながらも、今日に至るまでの間君主制など当時の権力者及びそれに与する者たちによる時代もあったことは、歴史上においても確かな事実だ。

     だが、その期間に長短があるも、とどのつまり永続することが無かったではないか。


これらから思うことは、上位の者は己の仕事を「善」として実行しているか否かを下位のものを鏡

()として、常に深い自省の念を忘れずに務めることが肝要なのであろう。


例えば、「教育」を取り上げてみると、孟子に教うる亦術多し(教育も亦多くの方法がある)

<私がどうしても教える気が無く断った者も、それを機に反省して、自ら学を修めて徳に進むよ

うになれば、此の謝絶(教えることを拒絶)も教えの一つだと言えるだろう。>

つまり、時には「敢えて教えない」のも教育の方法の一つだ、というのである。


「教育」とは、押し付けるものではなく、長期的視点から対象者たちの自発的成長を促して、彼ら

に期待することに止めて静観するものである、というのが愚生の持論なのである。

これまた極論かもしれないが、学校で教育を受けるという意味は、学ぶことの興味を肌で感じて独

学することの楽しさやコツ(要領・急所・呼吸)を知るための手段であって、目的では無いのだ。

然しそれを習得すれば、一生の宝となって各自が己の力で目的を定めて、独学を以て成し遂げるま

で苦痛や飽くことことなどを全く感じず、かえって継続・意欲が自ずと湧き起り一途に邁進するこ

とであろう。


「書経」の<〜習い性と成る〜>を出典とする成句に、

習慣は第二の天性なり

習慣は自然の如し

[習慣は、知らない内に身に付き、天性(生まれつき備わっている才能)のようになる]

というのがあるけれど、結果としてその独学という習慣が健全な人格を磨き、より人品を高みへと

導てくれる働きを果たしてくれるのである。





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2022年01月17日

孟子 3

56孟子 A_20210812Ajpg.jpg

「孟子・公孫丑下」2

       

                  此      彼

                  一      一

            也    時      時



あの時はあの時、この時はこの時、時に従って最適の道を守る。


この言葉は、得てして誤解を招きやすい、といわれる。

人によっては、弁解・言い逃れする時に用いる場合があるからである。

然し、「孟子」の真意は、決断を迫られた時は時勢に従うのが良い、というのだ。


<管 見>

愚生は、この「至言」について連想するのは、荀子の是々非々(是・非を明白にする場合、常に公平な立場を崩さない)≠ニいう言葉である。

さらに付言すれば、時代の変遷の勢いに逆らうことなく、その時々の出来事に従い言動することは当然であり、その場合夫々の岐路の選択に差が生じることは当然だ、と説いたものなのだろう。

ただ、欠いてはならないのは、「道理」・「公平」・「謙虚」の堅持であろう。


そこで、世の大勢と己れ個人の立場とを考えるとき、

@相互が矛盾する場合

A相互共に整合する場合

とがある。

その時、Aの場合は問題ないのでさて置き、

@の場合を(世の中と自己の)夫々について、さらに糺せば、

*世が正しい道が行なわれている場合には、謙虚に己の身を世の道に従わせて生きる。

*世が正しい道が行なわれていない場合ならば、趨勢に阿ることなく己の道を守る。

になるだろう。


では、夫々の正と不正()とを見極めるにはどうすればよいのだろうか?

(短見ながら)、鏡・鑑の応用だと考える。

それには先ず、

@十分に時間をかけて、現状を正確に把握すること。

A各自のこれまでに蓄積した能力を使って(色々な手法を用いて)@の材料を分析することで本質を焙り出し

   てその内因を突き止める。

その上で、

*歴史

*書・他者

を鏡()に写す・照らし合わせることで、真の姿を知ることになるだろう。


何れにしても、正しい道を公平な立場で守りながら、道理を見極めて判断する為には、日頃からの学びを怠らないことと、謙虚な姿勢に努めることが肝要だろう。

「道理」は、不変である。

だから、「公平」な立場を堅持し、「謙虚」な姿勢を以て臨むことが肝要なのだ。



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2022年01月10日

孔子(論語・述而) K

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       楽
       以
       忘
       憂

楽しみを以て憂えを忘れる。


人によって辛苦の多寡には差があろうとしても、皆無の人はおそらくいないであろう。


だから、人生に在っては「道」を楽しみ、憂いを忘れる「余裕」と「趣味」をもつことだ、と孔子が自身の体験から説いた、のだ。


<管 見>

<>

 道: *人道、仁義……。

*道理。

*働き、手段。

*学問、技芸……

趣味:*専門(学者・職業……)としてではなく、味わいを楽しみ・愛好する者。

   例:文学・書・絵画……。

余裕:*形而下。

    肉体的・物質的な意として…

   *精神的・形而上…。

    時間・空間を超越した抽象的・理念的…

孔子は弟子に、

「辛苦の多い世の中の状態と考えると食事のことも忘れてしまい、また、逆に楽しみごとに熱中すると心配事も吹っ飛んでしまう。そして、老い先の短いことも忘れてしまうような、そんな男が私なんだよ」

と語った、という。


そこには、聖人と言われる近寄り難い孔子の姿ではなく、並の人間の親しみを感じてしまう。

だからこそ凡人は、知徳の高み・深みなどを感じて仰ぎ見るのであろう。

下がるほど 人が見上げる 藤の花=E実るほど 頭の垂るる 稲穂かな≠ネのか…。


愚生の場合は、孔子ほどには勿論到底及ばぬので、

l  義憤を感じて憤りを覚える時には、食事をすることは忘れないが、味は砂を噛むようであることは間違いない。

l  一方、楽しむときでも心配事が気になり、晴れやかな気分にはなれず、熱中できない。

だから、どっちもどっちの中途半端な状態で、凡人の域からは脱し切れずの身なのだ。


だけど、齢を重ねることで身を以て知ることの一つに、時の過ぎる速さがある。

まさに、白駒の隙を過ぐるが如し∞光陰矢の如し≠フ箴言が針のように胸を刺す。

そうすると、止まる事の無い今の時の大切さが、深く沁みてくるのである。


また「食事」を心身に入り込む広義でのモノとすれば、単なる食べ物に限定することは出来ない。

それは、自らの好む・好まざるに拘わらず、心身に(好悪の)影響を及ばすことになる。


だとすれば、短い余生を楽しみを以て憂えを忘れる≠スめには、

l  学問・技芸に勤しみ、

l  それを楽しみ、

l  心に反映させる。

ように、日々努めることと、受け止めたい。



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2022年01月03日

孔子(述而) J

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       臨
       事
       而
       懼

事に臨んで懼る。


大事に直面しては、むしろ戦戦兢兢として身を慎むべきだ、という。

これは、決して臆病ではない、と断言している。


<管 見>

人生においては、折々選択・決断を迫られる。

その場合、

* 一時逃れ

* その場凌ぎ

* 匙を投げる

* 八方美人

* 頬被り

* 丸投げ

…などの無責任な言動は、何時かまた己に還ってくるのだ。


何事もまめ(忠実)に処理することに努め、未処理・未解決・未決定などを溜め込まないことだ。

心の内をゴミ屋敷状態にしたり、胸中の庭を雑草で埋もれさせるようであってはならない。

その時の処理方法も問題で、除草剤などの使用や業者など他人に依頼したりせずに、自らの力を以て、マメに手間をかけることが肝要だ。


最近、よく見聞きする断・捨・離≠ニいう言葉がある。

「断」は、入ってくる不要なモノを断つこと。

「捨」は、既にあるガラクタを捨てること。

「離」は、モノへの執着から離れる。

これは、物質的なことより、先ず精神的な健康状態のために断・捨・離≠ェ望まれるのだ。


さて余談はさておき、事に当たっての姿勢についての今回の「至言」に触れたい。

前後の句を記すと、

子曰、

暴虎馮河、死而無悔者、

吾不與也。

必也臨事而懼、好謀而成者也。

で、現代語訳は、

〚「若し、軍の総大将となった場合、誰を副官に選びますか?」子路の問いに〛孔子は、

「暴虎馮河のような者は任命しない。

注意深く、成功率の高い綿密な計画を立てる人物を任命するだろう。」

と答えた、という。


思慮深い、慎重な人物というのは、一朝一夕では出来上がるものではない。

日頃から怠らぬ学習・体験⇒経験が、<いざっ>という時に役立つのだ。


前にも触れたが、平時には<如何にも…>といった風情を装う者が、非常時には背を向け遠ざかり平然としている輩の姿勢を、これまで数多く味わってきた。

㋑ 苦難を敢えて受け、自ら苦汁味わう者。(他人事でも自分のことのように心を配る者)

㋺ 苦難を極度に避け、他人に苦汁を味あわせる者。(己の事でも他人事のことのように振舞い、他者に丸投げした上、収まれば己の手柄にする輩)


これまでの経験からすれば、名利に拘る者ほど、この世では㋑よりも㋺の方が断然多い。

何故なら、上記㋺の殆どの輩は、常識的・道徳的に基づけば、当然あるはずの屈託(気にかけての心配り)・躊躇い・恥じらい、と

いった感情が見受けられず、平然として憚らない(恐縮・遠慮がない)からである。


それは愚生のような、この世の底辺を徘徊してきた者のみが知ることでもあるようだ。

 

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2021年12月20日

孔子(論語・雍也) H

52孔子 H_20210710 (21).jpg

      仁
      者
      壽

仁者は壽(いのちなが)し。


仁者は外部の事情によって、己の心を動揺させない。

また、仁者という者は、

l  自然(人為に拠らず、大自然に和する生活)

l  安心立命(人事を尽くして天命に委ねる生活)

故に、自ずから長寿を保つ、という。


<管 見>

寿命については、実際の生活程度のギャップにより、下記のような種別・年代別で厚生労働省のホームページなどに公表されている。

@  平均寿命:制限生活を余儀なくされる中、生命が尽きるまでの予測(要、介護者など)

A健康寿命:心身が健康で自立生活が可能(介護不要者)

@  は、男性で凡そ80歳で、女性は凡そ86歳。差は、6歳。

A  は、男性で凡そ70歳で、女性は凡そ73歳。差は、3歳。


これは何を意味するのか?


というのは、さて置いて、今回の「至言」でいう「長寿」とは、上記のAであることは議論の余地が無いところであろう。

だが、老いても尚、

*名利を追い求める生活をし続ける者。

*過去の経歴を捨てきれない者。

などは、上記Aであったとしても、心の健康という面では失格だと考えられる。


烏滸がましくとは思うけれど、愚生が還暦から目指してきた、またこれからも目途として自らに課しているのは、

※生涯現役の保持

※天命が尽きるまでの「challenge spirit(挑戦)精神」・「modest spirit(謙譲精神)

である。


これを、具体的に(思いつくままに)列挙すれば、

*家内労働など自分でできることは、積極的に行い増やしていく(身体の活性化)

*知的好奇心・学習の継続(脳・心の活性化)

*頼らず、自力で処理する意欲の向上。

*他人を意識しない。

*「もう……」ではなく、「まだまだ……」を心掛ける。

 (:戸籍上の年齢に惑わされない)

*心友との語らい。

である。


さらに、端的に記せば、「人生樂在相知心」を大切にすることであり、それを維持するための日々の努力だろう。


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2021年12月13日

孔子(論語・雍也) G

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            先
          而
       獲     難

難きを先にして獲ることを後にす。

何事でも、先ず困難なことを行い、結果として獲る利益のことは、二の次として後回しにする。

それが仁者(真っ直ぐな心で人生を歩む者・人格者)の道だ、というのである。


<管 見>

この「至言」に接した時の(愚生の)思いは、「極、当たり前のこと」という風に捉えた。

それは、森羅万象にあっては人に限らず生あるものは、須らく当たり前の営みだからだ。

何故なら、獲るためには先ず何か行為をしなければ、取得することが出来ないのは当然であって、

例えば、農業を考えてみれば、土壌づくり⇒耕し⇒播種⇒健康管理(雑草除去・害虫駆除・水・施肥・異状気候対策)⇒収穫⇒製品化⇒出荷⇒対価の取得。

これは、

  工業(手作業によるモノづくりの職人〜工場での生産)

  漁業(櫓櫂の操船や手職の荒働きによる魚など水産物の捕獲)

  商業(供給〜需要の架け橋的役割)

など、他の産業でも然りである。


だからといって、今回の「至言」は決して月並みな言葉ではないのだ。

今から2,500年ほど前に成立したとされる「論語」の<雍也篇>

「仁とは人を愛することだ」という孔子の話しを、理解できなかった樊遅という弟子がいた。

そこで孔子はさらに、

「仁者というものは、人の嫌がることを率先して行い、報酬は後回しにするのだ」

と言い直した、とされる。


亦候の感が拭えないけれど、何時もの如く下手の無駄口というか、泡沫のような解釈を付してみる。

「貧富の差・貴賤の差が生まれたときの態度によって、真の友情がわかる」と、司馬遷が言う。

それほど人間関係というものは複雑で、順風な時と逆風な時では異なる現象をみることがある。


身を以て経験とした司馬遷の意見を土台にして、狭き人生を歩んできた愚生の、偏見と独断を敢えて恐れずに記せば、この世で難き(難しい・困難)モノ・コトは、対人との関わりあいだ。

とすれば、

難きとは、人間関係となる。

そこで、愚生として今回の「至言」難きを先にして獲ることを後にす≠、

下記のように表記してみた。

先ず選んで而る後に交わる(相知心を以て誼を結ぶ)


序でに記せば、「方丈記」の鴨長明は極度なほど対人関係が不得手だったらしい。

これについて、後世の歌人らは批判的であるが、愚生は長明の心情は理解できる。

それは、格式高い家に生まれながら、晩年に至るまで幾たびも重なる悪しき運命に翻弄され続けた挙句に、やっと辿り着いた粗末な庵での一人住まいが、長明の安住の境遇だったからである。


そんな長明も、嘗ては上皇に才能を高く評価されて名利を目指した時期もあったが、人為による作為的な謀りにより阻まれ、観念の臍を固めた経緯を知れば<然もありなん>と得心できる筈だ。

かてて加えて、「相知心」を持ち合える人(乃至は、人たち)との出会いがあまりにも少なく、無に等しかったのが一層独歩を加速させたのだろう。

それでも拗ねたり、めげたりせず、運命として素直に受け入れての自然を相手の隠遁生活をする内に、この生活こそ己の求めていた道だったと知るに至ったのだ、と思う。

そればかりか、その暮らしの中にこそ喧噪な場では得られない充ちた日々を見出したのだ。

だから、他者が思う以上に幸せな暮らしだった、と確信してやまない。


そして、常に歩き、常に働くは、養生なるべし≠ニして、何事も自力で為すを信条の前向きな人生を歩み続けた長明を、狷介孤高な人物などと批判的な論には、愚生は首肯することは出来ない。

何故なら、批判的な人たちの人生は、

  幸運のみの環境。

  常に、天険・隘路を意図的に避け、大通り・広小路のみの世渡り。

  「先難而後無」を他者に代行させ、自らは「先獲而後獲」・「先甜而後甜」……。

  目途は終始上位にあり、下位のことは一顧だにしない。


そこで、鴨長明に代わって書すれば、

文字通り、今回の至言の先難而後獲≠フ生涯であった。

けれども、長明の「獲」は自らの魂を込めた、永遠の不朽の名作である『方丈記』であった。




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2021年12月06日

孔子(論語・雍也〜子游曰) F

50孔子 F_20210710 (17).jpg

       行
       不
       由
       徑

行くに径に由らず。


<注>雍也(ようや):人の上に立って指揮ができる人物

大道を真っ直ぐに進むのが良いのだ。

それは、一見すると回り道に見えても、平らで正しいのだ。

これに反して、見るからに変化に富んだ魅力ある近道だと思えても、そのような小道はやがて行き詰まる、という。



<管 見>

子游(孔子の弟子)が武城(魯国)の長官になった。

そこで、孔子は子游を訪ねた。

孔子は言った、

「お前は有能な人材を見つけたか。」

子游が答えた。

「澹台滅明(たんだいめつめい)という者を見つけました。

彼は(澹台滅明)、道を行くときは近道をしません。

それに、公用がないときは、私の家の部屋に来たことはありません。」


この時代には、

「役人という者は、常に天下の公道を歩むべきであって、間道をこそこそ歩むな」

と、定められていた。

つまり、万民に仕えるつもりで常に公明正大を旨として、私利私欲を満たすために抜け道を探し求め、歩むことにつとめるようなことがあってはならない、というのだろう。


また、用もないのにやたら上役の部屋に行くのも好ましくない、とされていた。

これを言い換えれば、公用以外にわざわざ上司を訪ねるというのは、媚び諂いなどの邪な思惑があるからに違いない、のだ。

自分の仕事に専念していれば、そのような必要はない。

また、そんな暇はない。


序でに記せば、

澹台滅明は醜男であった。

そこで孔子は、外見から判断して才能を低く見ていた、という。

だが、彼は、後に三百人からの弟子を持つほどの人物になったのだ。


後にそれを知った孔子は、己の判断の過ちを悔いた、といわれる。

従って、孔子よりも子游の方が人物鑑定が上だったことになる。


上に立つ者ほど、日々の研鑽が必要であり、大切なのだ。



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2021年11月29日

孔子(論語・公冶長) ➅

49孔子 ➅_20210710 (14).jpg

       下   不
       問   恥

下問を恥じず。


自分より年齢や地位が低い者に質問したり、教えを請うことを恥じてはならない。


<管 見>

分からないことがあったら、外連味の無い素直な心をもって聞く姿勢が大切だ、というのだ。


人は、年長・履歴・地位などにより、夏炉冬扇の如しプライドに拘ってしまったが故に、かえってその人の軽さや卑賎さを露呈させてしてしまう場合がある。

また逆に、人としての深み・人品の高潔さ・勤勉さに心を奪われてしまうこともある。


今から六十余年も前のことを記してみたい。

それは、愚生が中学時代だった時のことである。

「理科(物理)」の時間だった。

その先生(吉川?)は担任ではなく、教えを受けたのも短期間であった。

先生の印象は、痩せ型で縁なしの眼鏡をかけた、見るからに神経質そうな方であった。

柔和な感じとは縁遠い、所謂、取っ付き難い先生だったように記憶している。


ある時、質問した。

すると、暫く教科書を見たり考えたりしていた先生は、

「悪いけど、自習時間にします」

それから続いて、

「教員室へ行って調べて来るから…」と言って出て行ってしまった。

先生が戻ってきたのは、授業時間直前だった。

「調べたけど自信がもてないので、僕の宿題にくれるかい?」

と言った先生は、ペコリと頭を下げて、

「次回までには、自信をもって答えられるようにするから…」

と、済まなそうに言うと去って行った。


愚生は当時を回想する時、何時でも(子供心に)その潔い言動に爽やかさを感ずるのだ。


(質問内容や回答・解答については、記憶を辿れども蘇ることは無い)

ただ後年、この至言を学んだ折り、即座にこのシーンと吉川先生の貌(振舞い)が鮮やかに浮かぶと同時に、自身の未熟さを思い知らされた思いが強く湧き上がるのである。


自身が人を評価したり判断する時、

@ 正味がほぼ風体と一致する場合。

A 正味と風体の相違を感ずる場合。

がある。


今思えば、第一印象で吉川先生に対してAであった、と思ったのは先生の外見(クールそうな態度)から中身(非情・無情…)を判断してしまったのだ。

これは、愚生の見る目の無さが招いた大変な間違いであって、先生の誠実さや能力の高さについてはここで改めて述べるまでも無く、上記の質疑の様子で明らかであるからこれ以上は記さないことにする。



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2021年11月22日

孔子(論語・里仁) D

48孔子 D_20210710 (12).jpg

      知  觀
      仁  過
      矣  斯

過ちを観て、斯に仁を知る。

過ちは避け難い。

その過ちにも、

  情けがあり過ぎて犯す場合

  情け知らずの場合

とがある。

その過ちの仕方(行為・方法)の有り様によって、その人の真の姿が解る、というのだ。


<管 見>

八十年に及んだ人生を顧みると、確かに過ちというものは避け難いものである。

何故なら、この世の人は、等しく生かされている身であり、己れの才覚には限りがあるからだ。

ならば、その過ちを活かすことにするのが賢明、というものだろう。


ということで、その観点から考えてみたい。

そこで、知者(知識人)と仁者(徳・情・慈悲のある人・博愛者)との違いを考えてみると、

  知者〜主義主張(特に利益の確保)を同じくする者同士の結束は固く、互いの便宜は図るが、諫言はせず馴れ合いの関係。

  仁者〜主義主張の枠に囚われず、決して徒党を組むことはせず、要用(差し迫って要する場合)は敢えて怯まずに諫言を行う。

となる。

但し、「仁者」でも過ちを犯すことがある。

然し、その場合言い訳をせず、速やかに謝罪し改める。


躊躇わずに、それが出来るのが「仁者」なのだ。


愚生の素な姿はどうだろうか?

顧みても判然とせず、甚だ心許無い。


だが敢えて記せば、どちらでも無く中途半端な放浪人生だった、

というのが的を射ているのだろう。




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2021年11月15日

孔子(論語・八佾) C

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     既   遂
     徃   事
     不   不
     咎   諌

遂事(すいじ)は諌(いさ)めず、既往(きおう)は咎めず。

<起きた事は語るまい、遂げられた事は止めまい、過去の過ちは咎めまい。>


<管 見>

人の過去にどのような過ちがあろうとも、何時までもそのことを咎めだてすることはよくない、と孔子は説いているのだ。


「できてしまったことを、あれこれ言うのではない」

「やってしまった事を、ああすれば・こうすれば良かったなどと言うんじゃない」

さらに、

「これは、他人に対してだけではない」

「自分自身の過去にくよくよするのも、何の足しにもならない」

と、解き明かしている。


ただ、

喉元過ぎれば熱さを忘れる≠ナあっては、所謂、性懲りもなくの無反省では、現状維持どころか頽廃に向かうばかりである。

この言葉には、

<ところで、この失敗をこの先の人生にどのように役立てようか>

という思案(深く考えて工夫をめぐらす)するという、今後の成長を目指す前向きで積極的な姿勢が隠されているのだ。


だから、折角の成長の糧となる失敗という貴重な体験を、確り噛みしめることが肝要なのである。

過ちを生かすも殺すも、己れ次第なのだ。


この世では、永遠不変なコト・モノはあり得ない。

諸行(この世の全てのモノ)は、無常(常に変化してとどまることは無い)である。


それ故、人生行路の歩みの先には、常に岐路が現れ、選択を迫られる。

その時に、発作的・衝動的判断のもとに行動して過ちを重ねないことが必要になるだろう。


いざ岐路に立った際に正しい選択するには、

  判断する自身が陸(正しい心)でなければならない。

  その鑑(手本)は、経験である。

経験は、過去の体験から生まれる。

但し、苦い体験だけで終わらせずに、十分に味わい咀嚼の上、自身の意見を沁み込ませておくことが大切なことで、失敗体験+心念⇒経験にして心底に保存して置く。

そして、いざという時に判断材料として活用する。


その積み重ねが、成長という形につながるのである。





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2021年11月08日

孔子(論語・八佾) B

46孔子 B_20210710 (8).jpg

           繪

       素    事


絵の事は素より後にす。


絵を画くには、先ず下地を確りとしていることが大事なのだ。

色をつけるのはその後のことだ、というのだ。


<管 見>

”素”とは、

この言葉の解釈には二通りある、と言われる。

➀ 描く前の生地づくり 

絵を画くときの白絹(日本画の場合の絵絹〜画布の意?)

下手の横好きの愚生でさえ、体験⇒経験として痛感することがある。

その一つは、油絵などでのキャンバスづくりである。

砂や水或いは葉っぱとか手間のかからぬものは勿論、手近な新聞やチラシの裏などでは満足な画()を思うようには描くことは出来ない。

画布づくりは大切な工程である。

朱子が言う「絵の事は素より後にす」は、絵筆を持つより前に確りした素地(画布の意?)づくりの大切さを述べたのだろう、という意。(短見)

転じて、すぐれた人格というものは、資質(素〜先天)と幼児期に周囲に感化された基本的な人間性(素直さ)の上に礼(絵〜後天)を加えて完成するという意であろう。


また、

➁ 描くための初期工程

絵の下地として胡粉(ごふん)を塗ったもの(下地づくり)

または、色をつける前のもと(素描・下書き)

確りとした下地(素描)がなければ、いい絵はできない。

孔子が、ここで絵を画くには下地が大事だと強調したのは、身を飾るよりも心が大事だ、という戒めのためなのであろう。


孔子の教えの核とするのは「仁」と「礼」に尽きる。

「仁」は、自己抑制と思いやり・人間愛。

「礼」は、その「仁」を具体的に示すもの。


何れにしても、見えない・聞こえないところにこそ気配りが肝要だ、というのが「礼」(人道の最重要な規範・手本)の基本である、



posted by 頑輝 at 01:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記