2021年05月24日
老子 7
2021年05月17日
老子 ➅
2021年05月10日
十八史略 @
これは、秦の丞相・趙高の強弁だという。
<注> 趙高:宦官。始皇帝の死後権力を握り、遺言を書き換えるなど横暴ぶりを発揮した。
趙高は、秦の二代皇帝に末子の胡亥を強引に即位させて実権を握ると胡亥を傀儡化し、自らは裏で形ばかりの皇帝を操る黒幕となった。
そして、自らの権力ぶりを誇示するために皇帝の胡亥に「鹿」を献上して、
「これは、馬です」と言った。
皇帝は、不審に思い臣下たちを見たが、殆どの臣下は趙高を恐れて黙っているか、「馬」と答えた、というのだ。
<管 見>
愚生の経験からすると、全員が趙高に対して幇間のような者ばかりではなかった、と思う。
少なくとも、一人くらいは剛直・頑固者がいただろう。
何故なら、何時の世にも世間から変わり者、と言われる愚直を良しとする奴がいるのだ。
だから、そのような想定から、次記のようではなかったか?
@「馬です」と言った者。
➁「・・・」ただ黙っている者。
B「鹿です」と答えた者。
これら三者の答弁に分かれたのが、真相であろう。
@は、趙高に媚び諂う輩。
➁は、洞ヶ峠・日和見を決め込む輩。
Bは、事実をありのままに述べ、反骨精神を示した人。
Bの人たち(一人若しくは少数)は、即、殺害された。
その後も、事あるごとに賢者たちは次々と処刑された。
結果、始皇帝健在時には、豊富であった有能な人材も枯渇することになった.
趙高は恐怖政治を敷いたことと合わせ、大いに民から恨みを買うことになったのだ。
やがて、秦帝国は崩壊への道を辿ることになる。
本当は、「民」(弱者)ほどいざという時には強くて恐ろしい者はないのだ、ということを知るべきだ。
然し、それを知った時には、時すでに遅しなのである。
2021年05月03日
洪自誠(菜根譚) ➁
また、病気をするとそれを機に我が身を大切にする心が芽生える。
したがって、どんな心配事もそれは喜びの因になるとも解釈できるだろう。
また、そのように理解するべきだ、というのだ。
人は、「順境」だと喜び,「逆境」だと悲しむ、というのが一般である。
然し、「禍福は糾える縄の如し」である。
従って、順境の場合は、有頂天になって手放しで喜ぶのではなく,次に備える心構えが肝心である。
また、逆境の場合には、「一陽来復」を訓言とし、諦めずに頑張ることが大切なのだ。
真人と言われる人は、喜びだとか悲しみだとかの区別を忘れている、いわれる。
つまり、微生物の世界も宇宙の世界も、陰・陽、正・負、調和・不調和などは僅かな現象なのだ、という。
だが人は、
「苦」の場合は、大きく・長くなど「負」を実際よりも重く。
「楽」の場合は、小さく・短くなど「正」を実際よりも軽く。
と、受け止めがちである。
だが、それは心身の健康状態とも相俟って、決して一様ではない。
それに、禍福は特別な人だけに訪れるものではない。
万人の人生に等しくやってくる「ごく当たり前のこと」という風に捉えるのが賢明なのだ。
さらに短見の歩を進めれば、
災厄は、人類の傲慢さに対する天命なのだ。
今、直面している難問題を克服しても、決して終わりは無いだろう。
何故なら、人の「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という性がある限り永遠に続くからである。
それは、苦労して積み上げた石積みをいとも簡単に崩されるに等しく、反省と果たすべき努めを、際限なく繰り返し求めるものと、解すべきである。
ならば、継続した生のためには、「一病息災」をキーワードとして暮らすことだ。
人は、誰しも僅かの安らぎのために、日々の大半を費やすのを当然として生活している。
畢竟、少しの楽しみのために、多くの努めを惜しまないのが人生の嗜みだ、と思う。
苦い体験を経て経験と昇華した時、改めて「苦しみこそ人生の糧」だとしみじみ味わうことだろう。
2021年04月26日
洪自誠(菜根譚) ➀
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2021年04月19日
荘子 C
形だけの名利の者に限らず、佞弁で世間を渡っている輩は、「諫言」よりも「甘言」を好む。
なれど、「愚直者」には権力者の顔色を窺っての言動なんてことは、死んでもできないのである。
何時の世でも、「愚直者」は少数派である。
従って、世間的に喜ばれない。
然し、その愚には人間の賢しらな知識が一切働いていないのである。
だから、それこそ本当の道に合するものだ、と荘子は説く。
マイ・ウエイお世辞まっぴらで 損もするけど…(有馬三恵子・訳詞)と、かつてのバーブ佐竹は歌っていた。
まさに、「我が生き方・我がやり方・我が道」であり、俺にはそれしかないし、それしかできないのだ。
2021年04月12日
荘子 B
2021年04月04日
孟子 14
恥ずることなきを之れ恥ずれば、恥無し
無恥を恥じる心があれば、この人は恥ずべきことの無い人である。
<管 見>
恥を知るとは、自らの誤った行いを恥ずかしがる心があることである。
孔子(BC552〜BC479)は、
「己を行うに恥あり」と、自分の行動について、恥とは?ということを弁えている「士」(学問・道徳を具えている人)の精神を大いに讃えている。
また、「恥を知るは勇に近し」とも言っている。
人が自らを恥ずかしがることは勇気が必要であり、恥を知ってこそ金銭の欲を抑えられ、困難に負けず、謙虚でいることができ、他人に対して思いやりを持って接することができるのだ。
孟子(BC372〜BC28)は、
「悪を恥じる心がないのは、人間でない」とも言っている。
孟子の「性善説」は、人は生まれつき、哀れむ心、恥じる心、謙虚の心、是非の心を持っており、これらは仁、義、礼、智の芽生えであるとし、
これら人類にしかない善の性は、禽獣や虫魚には備わっていない。
人は悪を恥じる心があるから、名利を前にして立派な節操が働くのだ。
また、
「人は恥知らずではならず、恥知らずの恥こそ、恥知らずなり」との言もある。
即ち、人は恥をなくしてはならない、恥知らずという恥は本当の恥知らずである。
自身の能力不足を素直に、そして躊躇わずに認めるという言動は容易なことではない。
人が自分の不足を恥と感じ、改正する勇気があれば、まだ救いがある。
* 恥そものの、意識が無い(恥を恥と思わない)。
* 人の反応を勝手(自分に良いように)な解釈して、自慢にする。
* 人の反応を勝手(故意な悪評と捉えて)な解釈して、反省せずに開き直る。
朱熹(1130〜1200)は、
「人に恥じありて、為すべきでないことを為さない」と言っている。
人に恥じる心があったら、してはいけないことをしない。
恥を知れば、自ずと意志固く、貧富、得失、利益において取捨選択ができ、欲望に走らない。
そうでなければ、恥じる心がないとなんでもやりかねない。
呂坤(1536〜1618・明代の学者)は、
「五刑は一恥にかなわず」と言った。
即ち、如何なる厳罰でも、百姓(人民)に恥を知ってもらうことに敵わない。
人に廉恥(恥を知る心)を知ることは刑罰より大切で、道徳が高まることで恥を知れば、自ずと言動を弁えるのだという。
これは法を犯してから刑罰するより効率的である、というのだ。
ドストエフスキーの「罪と罰」では、(主人公の学生の理論と実践について)
➀理論(理想):罪悪(殺人など)は善行(社会貢献)によって償われる、とする勝手な立論。
➁実線(現実):目的とする殺人以外にも、殺人を犯してしまう、という実態。
B結果:@と➁のギャップに増長する一方、苦悩する主人公。
そのような中にあって、家族の為に献身的な自己犠牲に生きる女性を知り、自首する。
という人間回復の物語だが、これも真の善というものを知らない成長過程にある若者とはいえ、人としての勝手極まる恥ずべき行為だろう。
序でに記せば、
「恥」は、会意形声文字で、心が柔らかくイジケルこと、また、恥じて耳が赤らめること。
大辞典(漢和辞典・昭和41年初版)によれば、会意文字で、(六書総要)《心は耳に従うとあり……、心が柔らかくイジケルこと》、という。
「愧」は、恥ずかしくて心にシコリがあること。
「辱」は、柔らかい意を含み、恥じて気後れすること。
「怍」は、ドキッとして、顔色が変わること。
何れにしても、外部から或いは自らの情報を素直な感覚で受け止めて、素直な心へと伝達するという互いに密接な関係にあり、自らの心を咎めることが肝要なのだろう。
2021年03月29日
老子 C
2021年03月22日
老子 B
2021年03月15日
K老子 A
2021年03月08日
荘子 A
2021年03月01日
韓非子 ➁
2021年02月22日
韓非子 @
2021年02月15日
淮南子 ➀
2021年02月01日
荀子 ➀
2021年01月25日
老子 ➀
「信(まこと)の言葉は、
美しく飾ったものではなく、
また、
飾った言葉は、
真実を欠いたものだ。」(老子)という。