荀に日に新たに、日日に新たに、
又た日に新たなり。
今日の行いは、昨日よりも新しく良くなり、
明日の行いは、今日よりも新しく良くなるように、
修養に心掛けなければならない。
殷の湯王)は、これを盤(※)の器に彫り付けて、
毎日の自誡(自戒)の句とした。
<管 見>
殷(商)の時代の明君であった湯王は、
洗面器に今回の至言一文を刻み込み
「修身」の決意を日々新たにしたといわれる。
また、日本でも昭和の世にあって、
・誰もが認める昭和を代表する財界人。
・経営者として数々の企業の再建に貢献。
・当時の政府から懇願されて、
行財政改革会長として活躍。
などで知られた土光敏夫さんの生活は、
公私共に質素を基本とした人であったが、
その座右の銘としたのはこの至言だった。
サントリーの健康情報によれば、
我々の体を構成する細胞は、
約60兆個あるという、それは成人以降も
神経細胞や骨格筋細胞などの一部を除いて、
ほんの僅かずつであるが日々生まれ変わってい
るらしい。
所謂、細胞の新陳代謝だといわれる。
何故、体にはそのような仕組みが備わって
いるのか?
例えば、機器を考えるとき、
機器全体は夫々の機能を持つ部品からできている。
どんな機器でも性能を維持するためには、
一定の期間を経たら点検・修理は欠かせない。
(身近な車の点検・車検・法定検査を考えれば理解し易い)
そのためには、
*メンテナンス(維持管理)
*オーバーホール(分解して点検・修理・部品交換)
などは安全・安心した生活(公私)のためには
必須なのだ。
このような機器同様、人の体も然りなのだ。
体の細胞にも有効期限があり、
古くなった細胞を新しい細胞に交換が
必要になってくるのだ。
こうした新陳代謝が体内の各部分で
少しずつ進行していることで、
我々の健康と生命が維持されて
いるのだ、という。
これはまた、肉体的だけではなく、
精神的にもいえることである。
何故なら、人の健康寿命は肉体面と
精神面とは、車の両輪の如くだからだ。
いや、精神の肉体に及ぼす影響力は大だと思う。
それは、心(精神)⇒言葉⇒行動(自他共)。
つまり、先ず心(精神)があり、
そこから発した言葉によって、
(義での運動である)肉体を思いのままに
(牽引するが如く)誘い動かすのであろう。
例えば、感動(心の琴線に触れて)すると、
表情や体の動きとして表れる、そして……。
だからこそ、
湯王は、洗面器に至言の一文を刻み込み、
土光敏夫さんは、座右の銘として、心(精神)に
刻み込んだのであろう。
上記のような方々でさえ、日日怠ることなく
努めたのだから、僅かな目的しかない愚生などは
(それでも一歩でも近づくには)、
その何倍も何十倍もの努力をしても、到底無理かもしれない。
然し、その能力や進歩は微々たるものでも、
諦めずに継続することに意義があること信じて、
倦まず弛まずこれからも努めたいと思う。
〈用語注〉:
殷の湯王:夏の桀王(酒池肉林…などの)は
暴政を敷き、その治世はひどく乱れた。
殷の湯王(契から数えて13代目、
天乙ともいう)は天命を受けて
悪政を正すとして、伊尹(名宰相
・湯王の補佐役)の助けを借りて蜂起
、夏軍を撃破し、夏を滅亡させた。
盤 :洗面器